第15話 真相
秋の夜気が、仄かな甘い香りを運んでくる。
花と燃える油の匂いが混じる中、セツは静かに頭を垂れた。
「挨拶が遅くなって申し訳ありません」
「構わん。どうせ昨日来られても、オレは留守にしていたからな」
そう言って笑うのは、
彼――
次いで、もう一つの杯をセツへと突き出す。
「堅苦しいのはいらん。お前も飲め」
「……は、戴きます」
先達と同じように、一息で飲み干す。
それを見て、“いけるじゃないか”と徹が笑った。
「さて、せっかくの酒の席だ。少し与太話に付き合ってもらうぞ?」
「……?」
「概ねのところは、道世から聞いている」
その言葉に、セツは目を瞠る。
それを見て、徹は呵々と笑い声を上げた。さらにもう一杯、酒を飲んで膝を叩く。
「言っただろう? 与太話だと。酒の肴代わりだ、付き合え」
「はい」
最初からそのつもりだったのだろう。
周囲には、二人以外の姿はない。
燈台の灯りがゆらりと揺れる中、徹が口の端を吊り上げた。
「全く、蒸気船沈めたって話にも笑ったが、まさか“鋼蜘蛛”を叩き斬るとはな」
「いえ、あの。色々と助けを借りてのことですから」
「当然だ。そんな出鱈目、独力でやられてたまるか」
助けがあろうと無かろうと、“鋼蜘蛛”相手に太刀振りかざして突っ込むなど、馬鹿のやることだと徹は笑う。
「い、いや。あの場合は――」
「良い良い。別に怒っちゃいない。そのお陰で、オレも早く家に帰れたしな」
「? どういうことですか?」
「あの“鋼蜘蛛”な。三日、もう四日前か……兵庫寮から盗まれたものでな。その捜索に、“滝口”まで駆り出されていたのよ」
どこかウンザリした顔で、徹は酒を呷る。
前代未聞の事態に、
今も、他の盗難品を探して、捜索に明け暮れているのだと彼は続けた。
「ったく、何でオレ達が尻拭いに奔走せんとならんかね」
「はぁ」
「で、陰陽寮の術士なんかも総掛かりで色々捜索してるのに、手掛かり一つ見つからない。さて、困ったと思っていたところに、
式神を通じて“鋼蜘蛛”を確認した道世は、セツたちの支援を行いながら、状況を陰陽寮の者たちに伝えていたらしい。
そこから、他の部署に報告が飛び、内裏は大騒ぎになっていたそうだ。
「いや。笑った笑った。大失態を挽回するのに必死な連中と、この機会に手柄を上げようする奴らが、競馬かというような勢いで飛び出していってな」
当然の職務として、検非違使たちも動き、何やら合戦じみた様相を呈していたと、徹は口の端を歪めた。
「とはいえ、“鋼蜘蛛”相手に生身じゃ、何騎集めても蹴散らされるだけだ。仕方ないから、“機巧甲冑”持ってるオレ達も後を追ってな。着いてみたら、何か倒れてやがる。見てみたら、片方の脚全部無くなってんのな!」
「……はぁ」
さすがに度肝を抜かれたと、膝を叩いて大笑する。
どう反応すれば良いか分からず、セツは頬を掻いて目を逸らした。
“鋼蜘蛛”を倒し、随伴していた者達を一蹴した後、セツたちはその場をすぐに離れている。
道世から、検非違使たちが向かっていると言われたためだ。
見つかれば、拘束されて面倒なことになる。
そんな彼の警告に従い、渋る少女を引っ張りながら慌てて退散したのだ。
そのため、後の経過がいまいち分からない。
「“鋼蜘蛛”を使っていた者達の素性は、聞いても大丈夫ですか?」
「ん。オレもお前に聞いておきたかった。お前、連中を皆殺しにした?」
「はぁ?」
思わず変な声を上げたセツを、徹が真顔で見つめる。
彼はため息をつきながら、烏帽子をずらして頭を掻いた。
「……連中な、全員首が無くなっていたよ」
「――ッ!?」
ボソリと告げられた言葉に、セツは息を飲む。
無論、セツたちはそんなことをしていない。
つまり――
「俺達があの場を離れて、徹様たちが到着するまでの間に口封じをされた?」
「そういうことになるな。素性を示すものは何も身につけちゃいなかった。それで首がないから、これ以上は追い掛けようがない」
フン、と徹が鼻を鳴らす。
彼は鬱憤を晴らすように酒を呷り、セツの杯へとおかわりを注いだ。
セツもまた、言い知れぬ渇きを覚え、一息に飲み干す。
「そういえば」
暗くなった気分を打ち払うように、徹が話題を変える。
彼はセツの姿を眺め、得物はどうしたのかと首を傾げた。
「はい。“鋼蜘蛛”との戦いで――」
「あ~。折れたか」
「いえ。粉々になりました」
その言葉を聞いて、徹が目を丸くする。
セツは、再び頭を垂れた。
「せっかく戴いたものなのに、申し訳ありま……いえ」
途中で言葉を切る。
徹は、何も言わない。伏したまま、セツは言葉を改めた。
「本当に良い一振りを、ありがとうございました。あれが無ければ死んでいたところです」
「……そうか」
うなずいて、徹は空の杯に酒を注ぐ。
少年が顔を上げるまで、彼は黙ったまま杯を重ねたのだった。
◆
賀茂道世の屋敷が、いつになく賑やかだ。
普段より人の気配が多いというだけで、ずいぶんと空気が変わる。
具体的な数は四人。なんと倍である。
「ふふ」
ゆえに人が多いのは、苦にならない。
数日前の夜、夫が若い娘を連れて帰ってきた時には、すわ合戦かと考えた彼女だが、話を聞けば父を探して
さらに昼間出会った少年も一緒となれば、嫉妬の炎はまたたく間に鎮火され――今は勝手ながら娘が出来たようだと、少女の逗留に喜んでいる。
「――――!?」
「―――っ、――――!!」
「あら」
何やら言い争う声が聞こえて、
少年と少女は、共に礼儀正しく落ち着いた性格だ。それなのに、お互いに対しては、どういうワケか年相応、いや幼い言動であたることが多い。
「こんな、星も見えない灰色の空のどこが良いと?」
「そこは難だと認めるが、しかしそれ以外は魅力的だろう? 蒸気機関なんて、ここでしか見られないし」
「あんな物のどこが良いのか理解できないわ」
「格好良いじゃないか。“鋼蜘蛛”の姿を見ただろう!?」
「は。あれだけ酷い目に遭ったのに、あなた馬鹿なの? いえ、馬鹿だったわね」
「良いものは良いと認めるべきだろう」
様子を窺えば、なぜか“鋼蜘蛛”の格好良さを力説する少年と、それに引いた様子で首を振る少女の姿。
傍らでは、我関せずと道世が文机に向かっている。
「二人とも、喧嘩をしてはいけませんよ」
「いや。サヤが――」
「いいえ。セツが――」
互いを指さす二人に、
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