第14話 闇の向こう側(下)

 轟と大気が震え、大地が爆裂する。

 一斉に放たれた矢が、雷光に呑まれて破砕した。

 カラスがカァと鳴き、少年と少女は“鋼蜘蛛”の蒸気砲から逃げ回る。


「状況が膠着しましたね」

「といっても、こちらは一つ当たれば終わりですけどね」


 道世の言葉に、セツは首を振って応じた。

 一撃食らえば木っ端微塵なこちらに対し、相手方は何度攻撃を受けても問題ない。

 現に一〇丈30mほど離れた場所で脚を止めている“鋼蜘蛛”に、被雷の影響は全くない。

 その随伴者たちも、未だ一人も減っていないことを考えれば、状況は絶望的と言えよう。


(向こうも相当に焦れているとは思うけど……)


 絶対的優位なのに仕留めきれないという状況は、彼らの矜持をいたく傷付けているハズだ。

 それでも動きを変えず、“鋼蜘蛛”の視界確保とこちらへの牽制に専念しているあたり、よく統制が取れている。


(状況を変えるには、こちらから斬り込むしかなさそうだが……)


 “鋼蜘蛛”への対抗手段がないままに挑むのは、流石に無謀の類だろう。

 最悪、取り巻きと斬り結ぶ最中に、諸共に吹き飛ばされかねない。


「道世様、ドカーンと術で何とか出来ませんか?」

「出来ません」

「ですよね」


 カラスを操る陰陽師に問うが、答えは無情なものだった。

 うなずきながら、セツはチラリと視線を動かす。

 その先には、無言で呼吸を整える少女。


(まずいな)


 二人と一羽は、砲撃を避けるために、ほぼずっと動きっぱなしだ。

 全力疾走するようなことは無いものの、それでも疲労は蓄積していく。

 それが、蒸気砲に狙わている今の状況なら尚のことだ。

 恐怖が呼吸を乱し、緊張が四肢を固くし、消耗は加速度的に積み上がる。

 まして、彼女は矢の斉射に備え、常に球雷を従えているのだ。

 そろそろ限界に近いだろう。


「斬り込むとしたら、何か術の援護は受けられますか?」

「…………僅かな間、鋼を断つ威力を太刀に与えることなら」

「……っ」


 少女が何かを口にしようとして止めた。

 無謀な真似を諫める言葉か、それとも有効な手立てを黙していたことへの非難か。

 結局、それが明かされることはなく、その視線がセツの顔と肩とを行き来するだけに留まる。


「といっても、不確実です。太刀がどれだけの威力を発揮するかは、セツ殿とその刀次第」

「どういうことですか?」

「術の効果は、太刀の意思に委ねられるということです」

「?」

「大切なことなので、理解してください。物にも意思があります」


 道世は言う。

 器物の意思は、人や獣に比べればずっと希薄で曖昧なものだ。

 また、声なき彼らがそれを表すことは基本的に無い。

 永い永い時を経て、あるいは何らかの条件を満たして、神霊妖物と化さねばその意を示すことなど不可能だ。


「それでも意思はあるのです。ゆえに、術でその発露を助ける」

「……つまり、太刀が俺を助けようという気が無ければ」

「そう。威力が増すどころか、減るかもしれませんね」

「待ちなさい」


 確かにソレは、自分と太刀次第だと納得したセツの隣で、少女が口を挟む。

 式神を見据えるその視線には、非難の色があった。


「ただの物品がその意思により、己の機能を増すのは――」

「ええ。自殺行為となります。それは、未来を対価として引き起こす奇跡ですから」


 道世は、少女の懸念を肯定する。

 たとえこの場を切り抜けたとしても、セツの太刀は二度と使い物にならなくなるだろう。

 そう続けた陰陽師は、静かに問うた。


「どうしますか?」

「お願いします」


 即答だった。

 全く躊躇なしに告げられた答えに、カラスがカァとひと声鳴いた。


「し、失礼。全く躊躇なしですか……」

「迷っていられる状況でもないでしょう」

「……それで良いの?」

「構わない」


 怒っているような、気遣っているような、何とも複雑な視線。それに、セツはうなずきを返した。

 手元の太刀を見て、もう一度うなずく。


(思い入れがないワケじゃ無い。大切じゃないハズもない)


 当たり前だ。

 七つの時に、みやこから訪れた先達に渡された太刀。

 銘も無ければ号もない。

 取り立てて業物というワケでもない。何てことない数打ちの一振り。


『ガキの玩具としちゃ少々大げさだが、そのくらいの歳から馴染ませれば、ちったあ使えるようになるだろうさ』


 そんな言葉とともに渡されたものだ。

 渡した者は、そんな刀の事など覚えてもいないだろう。


 それでも、セツにとっては宝物だった。

 抜き方すら分からぬまま扱い、いきなり手を切って。

 振るには力が足りず、悔し泣き。

 振れるようになれば、一日中振り回してを潰し、眠る時さえ手放すことはなかったのだ。


(……寝汗で鞘の塗りが痛んでからは、流石に自重したけど)


 この手で振った回数は、百万をとうに超えている。あるいは千万に届くかもしれない。

 少年にとっての半身だ。


 だからこそ、迷ってはいけない。

 太刀とは、敵を討つためのもの。

 戦の中で折れるを怖れ、敵を前に日和る馬鹿者に、どうして刃の尊厳を守れよう。

 ゆえに、セツは道世に請うた。


「お願いします」

「……分かりました」


 カラスの口を借りて、陰陽師がしゅを口ずさむ。

 それは、太刀へと掛ける言の葉だ。


 ――以心衝天以霊穿山その魂を天地に示せ、急急如律令。


 陰陽師の呪力を受けとって、一度だけ太刀が震えた。

 セツは、大きくうなずくと、“鋼蜘蛛”へと視線を向ける。


「援護をお願いします」


 答えを聞くことも無く、走り出す。

 真正面から突っ込むような真似はしないが、その側面を目指し、考え得る最短距離を駆け抜ける。


「――――!」


 突撃を敢行するセツを良い的と、“鋼蜘蛛”が胴を回した。

 砲身が駆動し、愚か者への照準を合わせる。

 轟と、大気が爆裂した。


「そろそろ見飽きた」


 何度も砲撃に晒されたのだ。そろそろ御者の呼吸も掴めるというもの。

 砲撃の瞬間に、セツはその場を飛び退いていた。

 大気の悲鳴とすれ違い、大地の苦悶を置き去りに、疾風はやての如く地を駆ける。


「近づけるな!!」


 蜘蛛に付き従う者達が、一斉に矢を放った。

 面で叩き付けられる矢の雨は、刀一振りで払える数ではない。

 それでもセツは躊躇などしない。


「馬鹿な人」


 怯むどころか一層加速する少年を、少女の囁きが稲妻となって追い抜いた。

 閃光が、雨を成す矢の尽くを破砕する。


 カァ――


 そらに舞い上がったカラスが、闇夜に鳴いた。

 瞬間、仮初めの太陽へと転じ、辺りを昼間のように照らし出す。

 はっきりと敵の姿を捉えた少女の雷が、“鋼蜘蛛”の側面にいた者どもへと襲い掛かった。


「――――ッ!?」


 数名がその場に崩れ落ち、難を逃れた者も慌てて退避する。

 そうして無人となった“鋼蜘蛛”の側面に、セツが太刀を振りかざして走り込む。

 狙うのは、左脚だ。


(前から全部叩き斬る)


 研ぎ澄まされた意識が、胸に点った炎を感じ取る。

 それは、怒りではなく、憎しみでもなく――

 ただ、膨れ上がっていく圧力に押されて、セツは咆吼した。


「アアアアアアアア――――ッ!!」


 鋼の脚に太刀を振り下ろす。

 袈裟斬りに叩き付けられた一閃は、易々と鋼を両断した。一本目。

 斬り抜けると同時、手首を返す。

 断ち切った脚の横をすり抜けるように、体を前に送った。


 二本目。先ほどとは逆しまに奔った斬光が、やはり斜めに鋼を断った。

 その勢いままに、軽く前へと跳躍。

 着地と同時、左足を軸に旋回――水平に太刀を薙ぎ払う。三本目。


 最後の一本を見据え、太刀を振り上げる。

 左上から右下へ。甲高い音とともに斬鉄の一閃。四本目。


 左脚全てを失い、“鋼蜘蛛”が無様に倒れる。

 それを背に、セツは血ぶりをくれるように太刀を一振りした。


「さて――」


 残敵を睨め付ける。

 そして、急速に輝きを失っていく太刀に、気安い調子で声をかけた。


「もう一太刀、みせてやろう」


 応と、太刀が震えた。

 ゆっくりと息を吸い、愛刀を構える。当たり前だが、間合いには誰もいない。

 関係ない。


 ――太刀が応えてくれる。


 ゆえに。

 セツは、真一文字に“空”を斬った。

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