第14話 闇の向こう側(下)
轟と大気が震え、大地が爆裂する。
一斉に放たれた矢が、雷光に呑まれて破砕した。
「状況が膠着しましたね」
「といっても、こちらは一つ当たれば終わりですけどね」
道世の言葉に、セツは首を振って応じた。
一撃食らえば木っ端微塵なこちらに対し、相手方は何度攻撃を受けても問題ない。
現に
その随伴者たちも、未だ一人も減っていないことを考えれば、状況は絶望的と言えよう。
(向こうも相当に焦れているとは思うけど……)
絶対的優位なのに仕留めきれないという状況は、彼らの矜持をいたく傷付けているハズだ。
それでも動きを変えず、“鋼蜘蛛”の視界確保とこちらへの牽制に専念しているあたり、よく統制が取れている。
(状況を変えるには、こちらから斬り込むしかなさそうだが……)
“鋼蜘蛛”への対抗手段がないままに挑むのは、流石に無謀の類だろう。
最悪、取り巻きと斬り結ぶ最中に、諸共に吹き飛ばされかねない。
「道世様、ドカーンと術で何とか出来ませんか?」
「出来ません」
「ですよね」
うなずきながら、セツはチラリと視線を動かす。
その先には、無言で呼吸を整える少女。
(まずいな)
二人と一羽は、砲撃を避けるために、ほぼずっと動きっぱなしだ。
全力疾走するようなことは無いものの、それでも疲労は蓄積していく。
それが、蒸気砲に狙わている今の状況なら尚のことだ。
恐怖が呼吸を乱し、緊張が四肢を固くし、消耗は加速度的に積み上がる。
まして、彼女は矢の斉射に備え、常に球雷を従えているのだ。
そろそろ限界に近いだろう。
「斬り込むとしたら、何か術の援護は受けられますか?」
「…………僅かな間、鋼を断つ威力を太刀に与えることなら」
「……っ」
少女が何かを口にしようとして止めた。
無謀な真似を諫める言葉か、それとも有効な手立てを黙していたことへの非難か。
結局、それが明かされることはなく、その視線がセツの顔と肩とを行き来するだけに留まる。
「といっても、不確実です。太刀がどれだけの威力を発揮するかは、セツ殿とその刀次第」
「どういうことですか?」
「術の効果は、太刀の意思に委ねられるということです」
「?」
「大切なことなので、理解してください。物にも意思があります」
道世は言う。
器物の意思は、人や獣に比べればずっと希薄で曖昧なものだ。
また、声なき彼らがそれを表すことは基本的に無い。
永い永い時を経て、あるいは何らかの条件を満たして、神霊妖物と化さねばその意を示すことなど不可能だ。
「それでも意思はあるのです。ゆえに、術でその発露を助ける」
「……つまり、太刀が俺を助けようという気が無ければ」
「そう。威力が増すどころか、減るかもしれませんね」
「待ちなさい」
確かにソレは、自分と太刀次第だと納得したセツの隣で、少女が口を挟む。
式神を見据えるその視線には、非難の色があった。
「ただの物品がその意思により、己の機能を増すのは――」
「ええ。自殺行為となります。それは、未来を対価として引き起こす奇跡ですから」
道世は、少女の懸念を肯定する。
たとえこの場を切り抜けたとしても、セツの太刀は二度と使い物にならなくなるだろう。
そう続けた陰陽師は、静かに問うた。
「どうしますか?」
「お願いします」
即答だった。
全く躊躇なしに告げられた答えに、
「し、失礼。全く躊躇なしですか……」
「迷っていられる状況でもないでしょう」
「……それで良いの?」
「構わない」
怒っているような、気遣っているような、何とも複雑な視線。それに、セツはうなずきを返した。
手元の太刀を見て、もう一度うなずく。
(思い入れがないワケじゃ無い。大切じゃないハズもない)
当たり前だ。
七つの時に、
銘も無ければ号もない。
取り立てて業物というワケでもない。何てことない数打ちの一振り。
『ガキの玩具としちゃ少々大げさだが、そのくらいの歳から馴染ませれば、ちったあ使えるようになるだろうさ』
そんな言葉とともに渡されたものだ。
渡した者は、そんな刀の事など覚えてもいないだろう。
それでも、セツにとっては宝物だった。
抜き方すら分からぬまま扱い、いきなり手を切って。
振るには力が足りず、悔し泣き。
振れるようになれば、一日中振り回して
(……寝汗で鞘の塗りが痛んでからは、流石に自重したけど)
この手で振った回数は、百万をとうに超えている。あるいは千万に届くかもしれない。
少年にとっての半身だ。
だからこそ、迷ってはいけない。
太刀とは、敵を討つためのもの。
戦の中で折れるを怖れ、敵を前に日和る馬鹿者に、どうして刃の尊厳を守れよう。
ゆえに、セツは道世に請うた。
「お願いします」
「……分かりました」
それは、太刀へと掛ける言の葉だ。
――
陰陽師の呪力を受けとって、一度だけ太刀が震えた。
セツは、大きくうなずくと、“鋼蜘蛛”へと視線を向ける。
「援護をお願いします」
答えを聞くことも無く、走り出す。
真正面から突っ込むような真似はしないが、その側面を目指し、考え得る最短距離を駆け抜ける。
「――――!」
突撃を敢行するセツを良い的と、“鋼蜘蛛”が胴を回した。
砲身が駆動し、愚か者への照準を合わせる。
轟と、大気が爆裂した。
「そろそろ見飽きた」
何度も砲撃に晒されたのだ。そろそろ御者の呼吸も掴めるというもの。
砲撃の瞬間に、セツはその場を飛び退いていた。
大気の悲鳴とすれ違い、大地の苦悶を置き去りに、
「近づけるな!!」
蜘蛛に付き従う者達が、一斉に矢を放った。
面で叩き付けられる矢の雨は、刀一振りで払える数ではない。
それでもセツは躊躇などしない。
「馬鹿な人」
怯むどころか一層加速する少年を、少女の囁きが稲妻となって追い抜いた。
閃光が、雨を成す矢の尽くを破砕する。
カァ――
瞬間、仮初めの太陽へと転じ、辺りを昼間のように照らし出す。
はっきりと敵の姿を捉えた少女の雷が、“鋼蜘蛛”の側面にいた者どもへと襲い掛かった。
「――――ッ!?」
数名がその場に崩れ落ち、難を逃れた者も慌てて退避する。
そうして無人となった“鋼蜘蛛”の側面に、セツが太刀を振りかざして走り込む。
狙うのは、左脚だ。
(前から全部叩き斬る)
研ぎ澄まされた意識が、胸に点った炎を感じ取る。
それは、怒りではなく、憎しみでもなく――
ただ、膨れ上がっていく圧力に押されて、セツは咆吼した。
「アアアアアアアア――――ッ!!」
鋼の脚に太刀を振り下ろす。
袈裟斬りに叩き付けられた一閃は、易々と鋼を両断した。一本目。
斬り抜けると同時、手首を返す。
断ち切った脚の横をすり抜けるように、体を前に送った。
二本目。先ほどとは逆しまに奔った斬光が、やはり斜めに鋼を断った。
その勢いままに、軽く前へと跳躍。
着地と同時、左足を軸に旋回――水平に太刀を薙ぎ払う。三本目。
最後の一本を見据え、太刀を振り上げる。
左上から右下へ。甲高い音とともに斬鉄の一閃。四本目。
左脚全てを失い、“鋼蜘蛛”が無様に倒れる。
それを背に、セツは血ぶりをくれるように太刀を一振りした。
「さて――」
残敵を睨め付ける。
そして、急速に輝きを失っていく太刀に、気安い調子で声をかけた。
「もう一太刀、みせてやろう」
応と、太刀が震えた。
ゆっくりと息を吸い、愛刀を構える。当たり前だが、間合いには誰もいない。
関係ない。
――太刀が応えてくれる。
ゆえに。
セツは、真一文字に“空”を斬った。
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