第13話 闇の向こう側(中)

 それは、蒸気船が鳴らす汽笛に似ていた。

 蒸気の噴出をもって、己が存在を知らしめる機械の咆吼。

 その声の主が、闇の中から姿を現す。


「な――」


 少女がギョッと目を見開いた。

 集中を乱したか、球雷がほどけて消える。

 それを見た男が、一目散に駆け出した。


「あ、待ちなさ――」


 慌てて雷を喚ぶがもう遅い。

 再び球雷が形成された時には、男は大きな影の許にいた。

 影に付き従っている者達が、男を迎え入れる。


(さて、アレがどういうものかだな)


 男を取り逃がしたことを、セツは特に気にしなかった。

 情報は、他の失神している者たちから得れば良い。

 技量を鑑みれば、ただの賊ではあり得ず、ならば何も知らないという事もないだろう。

 だから、セツが気にするのは新しい闖入者の方だ。


 敵の第二陣。

 その中核を担うソレに、目を細める。


(格好良いな。いや、そうじゃない)


 随伴する者たちの松明によって照らし出されたその姿は、蜘蛛に似ていた。

 もっとも、全高一丈半4.5m、幅二丈半7.5mにも及ぶ体躯を持った鋼の蜘蛛など、セツは聞いたこともないが。

 前からでは全長を確認できないが、幅よりも短いということはあるまい。

 話に聞く“土蜘蛛”ですら、ここまで出鱈目ではなかったハズだ。


「……蒸気仕掛けの蜘蛛」


 小屋ほどもある匣状の胴を支えるのは、脛だけで人の背丈を上回る八つ脚だ。

 一歩進むごとに、その付け根からあふれ出る白煙は、おそらく蒸気だろう。

 胴の両肩には、細長い――と言っても人が横になれる大きさだが――匣が取り付けられ、そこから鉄の筒が伸びている。


「何よ。あれ」

「――“鋼蜘蛛”です」


 少女の問いに答えたのは、空からの声だった。

 バサリと音を立てて、セツの肩へと闇夜のカラスが舞い降りる。


「道世様!」

「すみません。式神の接続を絶たれたので、慌てて次を――」

「いえ。とりあえず、アレと戦う上での注意点を教えてください」


 陰陽師の言葉を遮って、セツは太刀を構えた。

 悠長に話をしている暇はない。

 はじめて目にする物だ。どう戦えば良いかを博学に問う。


「胴の両肩にある鉄筒からは、砲弾……巨大な矢のようなものが撃ち出されると考えてください」

「なら、出来るだけ近く、可能なら胴部に取り付いた方が安全ですか?」

「いえ。下手に取り付くと、噴射された蒸気を浴びる羽目になります」


 蒸気の噴射口は、胴体上部に四つ、下部に二つ。下部にある噴射口は、稼働式で、自由に噴射方向を変えられるらしい。

 よく考えられているなと、セツは感心する。


「戦い方に定石は?」

「同じ“鋼蜘蛛”や“大鉄牛”をぶつける。あるいは、逃げることです。生身で挑む時点で大間違いですよ」

「ですよね」


 苦笑するセツに、カラスがため息をついた。


「それでもやるのなら、胴体前部にいる御者を無力化するか、脚を破壊するといった所でしょうか」


 どちらも簡単にできる事ではない。

 胴は前面が分厚い装甲で覆われているし、八本の脚も鋼鉄製だ。

 人の振るう刃では歯が立たないだろう。


「取り巻きの排除が先か」

「必要ないわ」


 少女が“鋼蜘蛛”を睨みながら告げる。

 その周囲には、一〇を超える球雷が浮遊していた。

 それらが、彼女が腕を振るのに合わせ、一斉に稲妻となって奔る。

 ほんの一刹那、辺りが昼間のように明るくなり――


「え?」


 再び闇が戻ってきた時、眼前の様子は特に変わっていなかった。

 鋼の蜘蛛と、松明を手に随伴する者達。

 少女が狼狽の声を上げる。


「どうして……?」

「“鋼蜘蛛”が盾になったようですね」


 よく見れば、随伴者達の位置が変わっている。

 雷光が閃く前に、蜘蛛の後方に下がっていたとカラスが告げた。

 そして、“鋼蜘蛛”に稲妻は効かない。


「命中した稲妻は、装甲表面を伝わって地面に流れるだけです。残念ですが、中に乗っている御者には届きません」

「そんな」


 呻き声を上げた少女を、“鋼蜘蛛”が睥睨する。

 その胴が回り、さらに鉄の筒を備えた匣が上下に旋回した。

 それは、明らかに照準動作であった。


「伏せろッ!!」


 鉄の筒――即ち蒸気砲が少女を捉えると同時、セツは地を蹴った。

 体ごと彼女にぶち当たり、押し倒すようにその身を伏せさせる。

 直後。


「――――!?」


 轟音。

 二人の頭上を貫いた何かが、数間先で土砂を巻き上げる。

 土塊が波濤のように吹き飛んで、その向こう側に雨となって降り注ぐ。


「なるほど。まともに受けたら体が無くなるな」

「…………」


 即座に身を起こし、セツは少女の手を引いてその場から動く。

 着弾地点は、地面が大きく抉れていた。

 燃え尽きつつある火矢の明かりが見せるその惨状に、セツは呆れた目を向ける。

 威力過多も良いところだ。人間相手に使うものではない。

 と、ヒョウと矢音が聞こえた。


「追加の火矢か」


 至近に飛んできたものを斬り払い、セツは舌打ちをした。

 広範囲にばら撒かれた火矢が、辺りを照らし出している。

 しかも、どうやら一部が下草に燃え移ったようで、セツたちの周囲は随分と明るい。

 多少の煙が生じているが、“鋼蜘蛛”の視界の妨げにはなるまい。

 これでは、闇に紛れて逃げることも出来ない。


(どうするか)


 人が作った化け物は、これまで遭遇した怪物よりも余程に脅威だった。


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