第12話 闇の向こう側(上)

 楼閣を出た時には、すでに日が暮れていた。

 彼方に望む西の空を除けば、辺りは夜のとばりに遮られ、見通しはほとんど効かない。

 暗がりの中、何となく振り返って見れば、そこに楼閣はない。

 まるで夢幻のように、忽然と姿を消していた。


「核となる鏡を持って出れば、消えて当然よ」

「そういうものか」


 少女の言葉に、セツは手にしている鏡を見つめる。

 暗いためによく見えないが、やはり映っているのは己の顔だ。

 その背後には、星月の見えない夜空。

 みやこを覆う灰天蓋は、洛東にある鳥辺野とりべのの上空も守備範囲としている。


「さすがに暗いな」

「こんなところに、よく住む気になるわね」

「いや。確かに空は暗いが――」


 呆れを含む少女の言葉に反論しようと口を開き、セツはそれを中断した。

 代わりに太刀を抜き放つ。

 驚きに硬直した少女の手を引いて背後に庇い、虚空を斬った。

 甲高い音とともに、火花が散る。


「な、何……?」

「矢を射かけられた。俺の前に出るなよ」


 鏃を刃で打ち払われ、力を失った矢がクルクルと回って地に落ちる。

 それに一瞥もくれることなく、セツは暗がりへと刀を構えた。


「何者か?」


 返答は、ヒョウという風音だった。

 二つ、三つと火花が散って、斬り払った矢が地面に落ちる。


(動かないと、このまま狙われ続けるか)


 この暗がりだ。向こうも、こちらをはっきりと捉えているワケではないだろう。

 火花を目印に矢を射ているのだろうと、セツは風音を叩き落としながら推測する。

 と、セツの視界に鬼火のような明かりが映った。


「あ、まずい」


 ヒョウと音を立てて、山なりに炎が飛んでくる。

 それは、二人から少し離れた場所に突き立った。

 ひとつではない。一〇を超える数が、次々に地面に降り注ぐ。


「………チッ」


 それら火矢の明かりを受けて、セツたちの影が長々と地面に伸びた。

 射手からは、こちらが丸見えとなっているだろう。


「大した力量だが、これで詰みだ」


 襲撃者が初めて声を発した。

 少し離れた場所に、松明の火が点る。

 松明を持った取り巻きを三名従えて、男がこちらに近づいてくる。


「その技量、失わせるには惜しい。鏡を置いていくのなら、命だけは助けてやろう」

「…………」


 キリキリと、弦を引き絞る音が聞こえた。

 断れば、一斉に矢を射かけられるだろう。


(俺一人なら、何とでもなるが……)


 背後に庇う少女を思う。

 彼女を守りながらでは、流石に厳しい。

 どうしたものかと頭を悩ませていると、足音が聞こえた。

 少女が、セツの背後から出たのだ。


「……あなた達、覚えがあるわ」


 地を這うような声。

 それを耳にして、ぞわりと背筋が粟立つ。

 思わず目を向けそうになるのを堪え、しかし冷や汗が止まらない。


 ――今、自分の傍らにいるのは、何だ。


 不快感はない。

 だが、否応なく感じさせられる圧力は、尋常のものとは思えない。

 パチパチと、何かが小さく爆ぜるような音が聞こえた。


「何だ貴様は――」


 男が低く呻いた。

 だが、それで取り乱すようなことはなく、手を振って後方に合図を送る。

 一斉に矢が放たれ――


「――――!?」


 水平に走った稲妻が、その全てを破砕した。

 刹那の出来事に、セツは息を飲む。


「一撃か……」


 雷光が打ち払ったのは、矢だけではない。

 白雷が、射手もまとめて薙ぎ払った様を、セツは閃光の中で目にしていた。


(どうやら、命拾いをしていたらしいな)


 争いにならなくて、本当によかった。

 内心で安堵の息をつきながら、セツは選択を誤った男を見つめる。

 男は、為す術無く失神した取り巻きたちに目を剥いていた。


「あなた達、お父様を襲った輩の仲間ね?」


 少女が、セツの傍らを通って進み出る。

 その背で揺らめく髪は、雪のような純白に変わっていた。


 ――火矢が生むあかりの中、その足下から伸びる影が、巨大な蛇のようにとぐろを巻く。


「安心なさい。気を失っているだけよ」


 少女が手を伸ばす。

 男に向けられた指先が、白い稲妻をまとって輝いた。


「でも――」


 指先に絡んでいた白雷が、虚空に向かって尾を伸ばす。

 そうして生まれた幾条もの電光が、寄り集まって球雷を形成した。


「でも、これから先はどうかしら」


 冷たい声音。

 力加減を間違ってしまうかもと、脅すように告げる少女。

 その意志を示すかのように、球雷が二つ、三つと数を増した。


「……何が望みだ」

「答えなさい。お父様はどこ?」


 呻きながら後じさる男に、一歩踏み出しながら少女は詰問する。


「何のことだ?」

「以前、播磨国はりまのくに佐用さよに来たでしょう?」

播磨はりま佐用さよ……」


 男の反応に、少女が静かに怒気を強める。


「覚えてないかしら?」

「ま、待て!!」


 彼女の従える球雷が輝きを強めたのを見て、男は慌てた様子で手を振った。

 口元に手をやって、記憶を探るように目を伏せ――


(まずいな。これは、時間稼ぎか)


 生真面目に言葉を待つ少女は、争いごとに向いていない。

 そう考えたのは、セツだけではなかったらしい。

 薄く笑った男が指笛を吹いたのは、彼が警告しようと口を開いた瞬間のことだった。


 ――高く鋭い音が、鳥辺野とりべのの闇に鳴り響く。


 応えるように、闇の向こうで咆吼が上がった――


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