第11話 蜃気楼(下)

 唐突に式神との接続を絶たれ、道世は舌打ちをした。

 術を破られた反動はない。つまり、手心を加えられたということか。

 矜持を傷付けられた彼は、悔しげに口の端を歪める。


(いえ。今は、それよりも――)


 新しい符を取り出す。

 しゅを囁いてカラスを放った後、道世はため息をついた。


「彼のことだから、大丈夫だとは思いますが……」

「何だい先生。みやこに帰ってたのかよ」

「……おや。道清殿」


 振り返った道世の表情がほころぶ。

 声を掛けてきたのは、良く見知った人物だった。

 蓬髪によれよれの烏帽子えぼしを被り、くたびれた狩衣に身を包む彼は、欠伸を噛み殺しながら手を振る。


 名を賀茂道清かものみちきよという。

 陰陽寮の暦生だ。

 素行の悪さは曾祖父――賀茂光榮かものみつよしの再来と言われる問題児だが、その力量は高い。

 それこそ曾祖父に匹敵すると目されるほど。

 もっとも、当の本人は“そんなワケあるか”と一蹴していたが。


「何だか眠そうですね」

「あ~、ちょっと厄介ごとが起こってな。この三日間、術士全員が泊まり込みだ。先生がいたら、絶対に駆り出されていたね」

「それは、また大事おおごとですね」


 男の言葉に、道世は眉を上げる。

 ちょうど良い機会だと、彼は探りを入れることにした。


「それは、いま噂になっている鳥辺野とりべのの怪異ですか?」

「あン? いや、違えよ。ていうか、そりゃ何の話だ?」

「いえ、少し小耳に挟みまして。とりあえず気にしないでください」


 首を傾げる道清の反応に、道世は「なるほど」と内心でうなずく。

 どうやら、陰陽寮は件の怪異を認識すらしていない。


(それどころではないと言った風体ですね)


 とりあえず、セツが陰陽寮の術士とかち合う恐れは無いだろう。

 己の式神を破った者が気になるが、それは置いておく。


「その厄介ごとの内容を聞いても?」

「あ~、いいぜ。どうせ、これから駆り出されるだろうし」


 言って、ガリガリと頭を掻く道清の目つきは、口調とは裏腹にひどく剣呑だ。

 陰陽寮が総掛かりで未だに解決できない。そのことが気に入らないらしい。

 彼は、仏頂面を浮かべて続けた。


「要は、失せ物探しなんだが、未だに場所の特定が出来ないのさ」

「失せ物?」

「ああ。三日前に兵庫寮の蔵に盗賊が入ってな。“鋼蜘蛛”に“大鉄牛”、あと“機巧甲冑”がいくつか行方知れずになってる」

「……とんでもない不祥事じゃないですか」


 洒落にならない。いったい幾つの首が飛ぶだろう。

 思っていた以上の大事件に、道世は呆然と呻き声を上げた。


「で、いま大騒ぎしながら、占術やら式神やらで捜索してるとこ」

「それで特定できないということは……」

「まあ、間違いなく賊の中に術者がいるよな。それも、とびっきりの腕利きだ」


 何しろ陰陽寮に属する――つまり、この国で最高の術士たちが、形振り構わず行っている捜索から、未だ逃れたままなのだ。

 化け物の類である。


「んで、先生はどうしたんだい? こっちに自分から顔出すなんて珍しい」

「……珍しいというほどでは無いと思いますが……先ほど話した鳥辺野とりべのの怪異について、陰陽寮の動きを知りたかったんですよ」

「ん? ……ああ、関わりがあるのか、これから関わるのか。それで変にかち合ったら面倒だもんな」

「そういうことです。それでは、私はこれで」


 うなずいて、道世は踵を返す。

 その肩を、がっしりと大きな手が掴んだ。無言で、二人は動きを止める。


「……放していただけますか?」

「言ったろ。これから駆り出されるって」


 逃がさねぇ。

 そう物語る道清の目は、獲物を前にした獣のそれだった。





 “蜃気楼”の五階に、二つの人影がある。

 一つは渡辺切わたなべのせつ。もう一つは、少女のものだ。


 少女の歳は、セツとそれほど変わらないだろう。

 白拍子しらびょうしのように真っ白な水干を身に纏い、艶やかな黒髪をそのまま垂らしている。

 こちらを見つめるかんばせは、息を飲むほど整っていた。


「聞こえなかったかしら? その鏡をこちらに渡しなさい」


 もっとも、放つ気配は剣呑の一言だ。

 低く押し殺された声には、強烈な敵意が滲んでいる。

 親の仇に向けるような視線を前に、セツはチラリと目を動かした。

 床に落ちた符。

 道世の式神が消えたのは、十中八九、彼女の仕業だろう。


「……渡しても良いが、話を聞きたい」

「それに応じろと?」

「後から来て、“それをこちらに渡せ”と言うのなら、事情くらい話すのが道理では?」

「む……」


 あ、意外と素直だ。

 考え込むような仕草を見せる少女に、セツは内心で呟いた。

 立ち姿に育ちの良さを感じたので、争いを避けられるかと口にしたのだが、正解だったかもしれない。


(まあ、駄目なら斬り捨てればいいし)


 事情も言わずに奪おうというのなら、盗賊と何も変わらない。

 ならば女子であろうと、セツの対応にブレはない。

 とはいえ、出来れば避けたいのは武士もののふ――いやの人情だ。

 少女は、小さくため息をついて頭を横に振った。


「……事情は、話せません。ですが、それが私の探している物であれば、持って行かせるわけにはいかないのです」

「うん? じゃあ、探している物でなければ用はないと?」

「え? ええ」


 応えを聞いて、セツはうなずいた。

 言葉を交わす間に、剣呑な気配が薄らいでいる。

 一方的な要求をしておきながら、相手の話には応じる少女。


(争いごとに向いてないな)


 彼女の様子にセツは思う。

 生真面目で理性的。それなのに、見知らぬ相手に喧嘩腰で突っかかるのは――


(それだけ切羽詰まっているということか)


 険が和らいだ瞳の奥に、切実な光が見え隠れしている。

 泣きそうなのを必死で誤魔化しているように見え、セツは小さく息をついた。


「了解した。ただし、条件が二つ」

「……条件?」


 少女の声が硬くなる。

 その瞳に再び険が宿るが、セツは怯まない。


「一つは、そちらが探している物でなかったなら、こちらに返すこと」

「……もう一つは?」

「この鏡を、人を傷つけることに使わないと誓うこと」


 告げて、少女の目を見据える。

 条件としては破格のはずだ。何しろ対価を求めていない。

 これを飲めないなら鏡は渡さないと、黙したまま回答を待つ。


「……誓いましょう。条件はそれだけですか?」

「ああ。それだけだ」


 ため息ひとつ。肩から力を抜いた少女に、セツはうなずいた。

 差し出した鏡を、彼女は慎重な様子で受け取る。

 そのまま、食い入るように鏡面を見つめた。


「…………違う」


 ポツリと呟きをこぼす。泣きそうな声だった。

 失意に肩を落としながら、少女はセツに鏡を差し出した。


「約束どおりお返しします。正直なところ、龍が封じられているものを、そのままにするのは引っかかりますが」

「何か事情があるのなら、話くらいは聞くが」

「ありがとう。……でも、必要ないわ」


 落胆に俯く様子に言葉を投げるが、彼女は首を横に振る。

 そして、再び顔を上げた時には、気丈な笑みを浮かべていた。


「不躾な真似をしてごめんなさい。話を聞いてくれて助かりました」

「いや……」


 無理をしてるのが、丸わかりだ。

 見ていて痛々しいと、セツは小さく頭を振った。

 何か力になってやりたいと思うが、土地勘も何もない彼に出来ることは少ない。


(道世様なら、今のやり取りだけでも色々と察して、気の利いた言葉のひとつも投げてやれるんだろうけど)


 己の未熟にため息をつき、何か言うべき事はと考えて――


「とりあえず、下に降りようか」


 いきなり楼閣が消えても困る。

 結局、出て来たのは、そんな当たり障りの無い一言だった。

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