第10話 蜃気楼(中)

 洛東――鳥辺野とりべの

 鴨川に架かる五条大橋を渡った先に広がるその土地は、かつては風葬地として、人々の死体が野ざらしにされていたそうだ。

 といっても、火葬が主流となった今は、道端に髑髏どくろが転がっているようなことは滅多に無い。


「……滅多に無い、ということは」

「まあ。稀には、ね」


 昔と様相が変わっていても、ここが葬送の地であることに変わりはない。

 そのためか、黄昏時の鳥辺野とりべのに人気は無く、どこか薄気味悪い雰囲気を漂わせていた。

 そんな中、苦笑交じりに人語を発するカラスは、あやかしの類にしか見えない。

 それを肩に止まらせて、平然と会話する少年も同様だ。

 ある意味で場に相応しい二人――一人と一羽は、ソレを前に足を止めた。


「本当にあった」


 セツが目を瞠る先にあるのは、五重の屋根を持つ楼閣だ。

 檜葺きの屋根と朱塗りの柱や垂木が、色鮮やかに存在を主張している。

 間近で見上げるその威容に、セツは小さく息を飲んだ。


(とても幻とは思えない)


 そっと楼閣の入り口――両開きの扉に手を伸ばす。

 指先がすり抜けることはなく、硬い感触が返ってきた。


「触れる……」

しんが生む楼閣は、気が散逸すると夢幻ゆめまぼろしと消えてしまいますが、それまでは実体がありますから」


 もっとも、その実体はしんが吐き出した気であり、本来は水や風のように定まった形を持たないものだ。

 そのため、通常の手段で破壊するのは難しいだろうと、道世は告げる。


「正確には、“壊してもすぐに復元される”が正しいでしょうか」

「……鵺の時にも思いましたけど、それズルくないですか?」

「はは。あやかしとは、元来そういうモノですよ」


 負けず劣らず妖しげな陰陽師が笑う。

 その返しに、釈然としないとぼやきつつ、セツは扉を押し開いた。

 足を踏み入れる。


「……これは」


 中は、天井が高い上に、四階までは中央部が吹き抜けとなっていた。

 そのせいか、外から見ている以上に広く感じる。


「鏡があるのは、最上層?」

「でしょうね」


 同意するカラスと共に、慎重に階段を登り始める。

 勾配が緩やかである分、二階までが遠い。その中程を超えたあたりで、セツは太刀の柄に手を触れた。

 何やら嫌な感じがする。

 さほど強くはないが、何かがまとわりつくような不快感。


「符を柄に巻いておいてください」

「龍でしょうか?」

「いえ――」


 周囲を見回すが何もない。

 眉をひそめるセツに、陰陽師が不快感の正体を告げる。


「雑霊の類が活発化しはじめたようです」

「……雑霊」

「少し待ってください」


 カラスが音もなくセツの肩から飛び立った。

 ゆるりと、吹き抜けの中央で旋回する。

 そして。


 カァ――


 鳴き声を上げた。

 犬の吠え声が魔を退けるように、カラスの鳴き声は、隠れた陰気を暴き出す。

 それは、見えない脅威を伝え、あるいは迷える魂魄を捕捉する。

 カラスが古くから導き手として伝えられる所以ゆえんだ。


「――――」


 一変した楼閣内の様子に、セツが目を細めた。

 視線の先には、宙を舞う無数の鬼火。

 その一つが、セツを狙って飛んでくる。


「――ハッ」


 呼気とともに一閃。

 両断した鬼火が消え去るのを尻目に、彼は一気に階段を駆け上がる。

 二階に飛び込むと同時、上方からの強襲を叩き斬り、返す刀で下階からの追撃を斬り払った。


「数が多い」


 走りながら、舌打ちを一つ。

 上階への階段を数段飛ばしで走り、進路を塞ぐモノ、追いすがるものを片っ端から叩き斬る。

 所詮は雑霊だ。セツの脅威にはなり得ない。

 刃はもちろん、その一閃が生む剣風だけで、群がる鬼火は両断される。

 だが、それでも一向に減る様子のない鬼火の群れに、セツはウンザリとした面持ちを浮かべた。


(面倒な)


 鵺と遭遇した時とは違う。

 胸の内に火が点ることはなく、ただ鬱陶しいと雑霊を薙ぎ払う。

 鬼火に追い立てられ、蹴散らしながら、セツは楼閣を駆け上って行く。

 そして、四階に至ったところで――


「…………!?」


 ぬるりと天井から顔を出した龍に、ぎょっと目を見開いた。

 咄嗟に壁際に飛び退く。

 そんなセツの反応には目もくれず、龍は吹き抜けを一直線に下りていった。

 大きく開かれた顎門あぎとに、鬼火が丸呑みにされる。

 一つ、二つではない。まとめて十数体、一瞬でその姿が消えた。


「うわぁ」


 天井から一階へと、滝のように流れていく鱗に、セツは顔を引きつらせる。

 セツを追っていた雑霊は、上から降ってきた巨大な顎門あぎとに、逃げる間もなく呑み込まれたことだろう。


「あれがしん?」

「いえ。しんはまだ鏡の中のはずです」


 セツの肩に降り立ったカラスが否定する。

 流石に雑霊と一緒に丸呑みされるほど、間抜けではないらしい。

 とはいえ、少々危なかったと道世の声がぼやいた。


「あれは、この楼閣と同様にしんが作り出した幻身ですね。楼閣に集まってきた雑霊を捕食するためのものでしょう」

「楼閣に集まってきた……?」


 “蜃気楼”は、道に迷っている者や疲弊している者の前に現れ、これを誘い、そして捕食するための仕掛けだ。

 龍族に連なる者の気によって形作られた楼閣は、心が弱っている者や霊的な視覚を持つ者には、金色に輝いて見えるのだと道世は告げる。

 中途半端に残ったはくの残滓――地に返ることも出来ずに彷徨う雑霊たちには、この楼閣が極楽浄土のように見えているだろう。


「それに引き寄せられたところを、一網打尽ですか」

「そういうことです」

「何だか、もの凄く効率の良い漁をするんですね」


 感心したようにセツは息をつく。

 ふと肩のカラスに目を向けると、何とも言えない表情をしていた。


(というか、カラスって表情があるんだな)


 そんな、どうでも良いことを思っていると、楼閣を縦に貫いていた龍の体が、陽炎のように揺らめいた後、泡のように消え去った。

 その様を見て、セツは「なるほど」とうなずく。

 幻身とはよく言ったものだ。


「鬼火も消えてる」

「所詮は雑霊。直接呑み込まれずとも、近くで龍気の奔流が発生すれば、為す術なく消滅するでしょう」


 セツの剣風に斬り払われるのと同じだ。

 しんの捕食行為は、その余波で雑霊を消散させる圧力を伴っていた。


「よし――」


 がらんどうになった四階。

 それをぐるりと見回した後、セツは静かに五階への階段に足を掛けた。





 楼閣の五階。

 その中央に一枚の銅鏡が置かれている。

 人の手のひらよりも少し大きい。その鏡面に、セツの姿が映っていた。


「そういえば、よく噂の男は逃げ切れましたね」


 それを見つめながら、セツはポツリと呟く。

 先ほどの龍の幻身を思えば、襲われて助かるとはとても思えない。


「生きている人間を喰らうだけの力が無かったのでしょう。少なくとも、昨夜の時点では無かったでしょうし、……今も微妙なところですね」

「あんなに大きいのにですか?」


 カラスの言に、セツは目を瞬かせた。

 巨大な顎門あぎとを開いて、雑霊どもをひと呑みにする姿を思えば、人間などひとたまりもないと思うのだが。

 そんなセツの考えを、陰陽師はあっさりと否定する。


「あの幻身は、張り子のようなものです。霊的な圧力は雑霊を一蹴できるほどですが、物理的には、ほぼ何の影響力も無いでしょう」

「……そういえば、あれだけの大きさの龍が動いたのに、風一つ起こりませんでしたね」


 ならば、この“蜃気楼”に実害はないというだろうか。

 そんな疑問を、やはり陰陽師は否定した。


「今の状態でも、精神的な打撃で失神くらいはさせられるでしょう。そして、明日は人の魂を引きずり出すほどの力を持つかもしれません。そうして力を蓄えれば――」

「いずれ、封印を破って本体が出てくる?」

「そういうことです」


 封印されるような何かをやらかした龍族だ。

 封印の恨みも合わさって、まず穏便なことにはなるまい。

 討伐となれば、大きな被害が出るだろう。


「それは、見過ごせませんね」

「ええ。今の段階で見つけることが出来て良かったです。もっとも、疑問はありますが――」


 火災の時か、盗まれた後かは分からないが、鏡に傷でも入ったのだろう。

 そうして生じた封印のほころびから、少しずつ外部の気を取り込み、こうして“蜃気楼”を作るほどに力を蓄えた。

 そこまではよいと、道世は低く唸る。

 問題は、何故この鏡が鳥辺野にあるのかだと、彼は続けた。


「生者はあまり近づかず、雑霊が多く漂うこの土地は、しんが力を取り戻すには絶好の餌場です」

「封印を破るために、誰かが置いたと?」

「いえ。封印を破るだけなら、地面に叩き付ければよろしい」


 わざわざしんに力を蓄えさせる必要はないのだと、陰陽師は言う。

 何者かの仕業であると思われるのに、今ひとつ意図が見えない。

 それが気持ち悪いのだと告げる彼に、セツはひとつうなずいた。


「とりあえず、回収した後に考えれば良いのでは?」

「……そうですね」


 この場で悩んでも仕方ない。

 やるべきことを済ませようと、セツは鏡へと歩を進める。

 手が届くまで、あと数歩。


「…………」


 唐突に、その鏡面が揺らめいた。

 近づくセツの代わりに、龍の姿が映し出される。

 そして。


「セツ殿!!」


 ぬるりと、鏡から龍が顔を出した。

 不用意に近づいた愚か者へと、巨大な顎門あぎとを開き―――


「――ハッ」


 斜めに断割された。

 金色の粒子となって飛散する幻身に、セツは「なるほど」とうなずいた。

 確かに斬った手応えがほとんど無い。


「本当にスカスカですね」

「……ええ、まあ。そうでしょうね」

「?」


 ため息をつくカラスという珍しいものに首を傾げながら、セツは鏡を手に取った。

 再び龍が出現することはなく、宝鏡は沈黙を守っている。

 その鏡面には、セツの顔が映し出されていた。


「よく見ると傷が入ってますね」

「それが原因で封印がほこ―――」


 途中で道世の言葉が途切れる。

 ふわりと、視界の端を何かが舞った。

 視線を向ければ、それは一枚の符であった。そして、肩にいたはずのカラスの姿がない。


「え?」

「それを、こちらに渡しなさい」


 目を瞬かせるセツに、背後から声が掛けられた。


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