第二章 めぐるもの
第16話 なんてことない一日
宮中を震撼させた大不祥事への対応は、
もっとも、解決にはほど遠い状況だ。
失われた機巧兵器のうち、回収出来たのは“鋼蜘蛛”一機のみ。
残る二機の“鋼蜘蛛”及び“大鉄牛”三機、そして“機巧甲冑”三領の所在に関しては、未だ手掛かりすら掴めていない。
「……といっても、いつまでも総出で大捜索ってワケにもいかないからな」
「まあ、そうでしょうね」
言葉とは裏腹に、不満タラタラな様子の賀茂道清に、道世は苦笑してうなずいた。
陰陽寮に限らず、いずれの部署も暇では無い。いつまでも本来の業務を放り出しているワケにはいかないのだ。
残りの日数的に、今頃はどの部署も修羅場となっているはずだ。
「このあたりで、一度仕切り直すのは良いことだと思いますよ」
「長期戦になるだろうからな」
何しろ唯一回収された“鋼蜘蛛”は、鴨川を越えた先――
他の機体も、洛外に持ち出されていると考えるべきだろう。
解決に要する時間は年単位となるかもしれない。
「……聞き込みにも全く引っ掛からないからな。ったく、どんな技量してんだか」
「鳥辺野であれだけ派手にやったのに、誰も気がつかなかったくらいですから」
道世はため息をついて、首を横に振った。
だが、その住人達の中に、“鋼蜘蛛”の姿はおろか、砲声さえ認識していた者はいなかった。
何らかの術の効果と思われるが、道世はそうしたものの存在に気がつくことさえ出来ていない。
式神越しだったとはいえ、力量差は明確だ。
(どんな化け物ですかね。本当に)
もはや悔しさを通り越して、教えを請いたくなるほどだ。
そして、その力を考えれば、誰にも知られずに機巧兵器を持ち出すことなど、造作もあるまい。
「そういえば、“鋼蜘蛛”の“
「しっかり持ち去られていたよ」
「ですよね」
機巧兵器も蒸気機関を動力とする以上、その稼働には蒸気が必要だ。
とはいえ、大きく揺れることもある戦闘兵器の中で、火室に燃料――
また、
かといって、無火蒸気機関では、継戦能力に大きな不安が生まれる。万が一、蒸気の圧力が下がり、戦場で動きが止まったら一大事である。
そうした諸々の問題を解決するのが“真火筒”だ。
長さ
その内部に、年単位で燃え続ける超高温の炎を封じた呪具である。
様々な術法を駆使して作製されたその筒を用いれば、蒸気機関は水さえあれば無限に動き続けることが可能となる。
蒸気機関の魂とさえ言える代物だが、素材が非常に貴重なため、おいそれと作製することは出来ない。
関白所有の蒸気船といった例外を除けば、機巧兵器にしか搭載されない。
超が付くほどの重要物だ。
「私が回収出来れば良かったのですが」
「先生の式神が居合わせただけでも物凄い幸運だし、それ以上を望むのは欲張り過ぎだろうさ」
あの場では、他に手立てを思いつかなかったのだが――
「参りましたね」
呟いて、天を仰ぐ。
視線の先には、いつものとおり灰色の空が広がっていた。
◆
灰色の空を映し出す刀身が、冷たい輝きを放った。
屋敷の濡れ縁に腰を下ろしたまま、静かに抜いた太刀。
その青褪めた月の如き煌めきを、セツは目を細めて見据える。
(これは、タダで貰ったらマズい奴ではないだろうか)
己の口許が引き攣っているのを感じる。
セツが手にしているのは、失った愛刀の代わりにと渡された一振りだ。
製作者は、
道世の頼みを受けて百成が鍛えた太刀は、ひと目で分かる業物だった。
刃長
鍛えは小板目の肌がよくつんでおり、刃文は直刃調に小乱れが混じっている。
どこか無骨で、決して華やかとは言えない。
しかし、美しい太刀だ。
粉々になったセツの愛刀を材料の一部に用いて鍛えられた刀身は、以前とほぼ同じ長さだ。このため、間合いの変化はない。
一方、手にした時に感じる重みは、以前よりも増している。だが、新調された柄などの拵えによるものか、恐ろしくセツの手に馴染んでいた。
そのおかげで、何の違和感もなく扱うことが出来るのだが――
(……本当に俺が扱って良いのか?)
冴え冴えとした白刃を見ていると、そんな不安に襲われるのだ。
代わりに、“下がり藤”の紋が
その後、一昼夜を経て、下げ渡しとして返されたものが、セツに与えられた形となる。
その来歴ゆえに神刀としての属性を有するこの太刀は、符の助けなくカタチなき妖を斬るという。
拵えこそ無骨な黒漆太刀。
しかし、断じて無位無官の少年が持つ物ではない。
「…………」
「その太刀に見合うだけの力量を示せば良いのよ」
「む」
声に振り返れば、少女が一人。
己の懊悩を見透かした言葉に、セツは小さく唸る。
そんな彼を見て、
「無理なら、返せば良いだけよ。“私の技量では釣り合いません”って」
「いくら何でも情けないだろ」
「それなら、精進することね」
言って、彼女は濡れ縁に腰を下ろした。
鬱陶しそうに曇天を見上げながら、ポツリと呟く。
「……私は、見合わないとは思わないけれど」
「…………そっか」
風に紛れて消えそうな声。
それを耳にして、セツは太刀を鞘に納めた。
面はゆいような、気まずいような、何とも言い難い心持ちを抱え、セツは彼女と並んで空を眺める。
「そう言えば――」
チラリと隣に目を向ける。
空を見上げる
その細身を包む純白の衣には、汚れの一つも見当たらない。
「サヤって、着替えはどうしてるんだ?」
「何、急に?」
「いや。特に意味はないんだが。単純に、どうしてるのかと思っただけ」
花びらとともに舞う灰や煤は、目に見えないほどに小さなものだ。
しかし、長時間に渡って外を歩いた後、顔を濡らした布で拭くと真っ黒になるくらいには汚れてしまう。
そのため、セツは数領の
それゆえの疑問に、彼女は事もなげに答えを返した。
「特に着替えはしていないわ。必要ないもの」
「ということは、ずっと、その水干を着てるのか……」
少女の視線に、すっと霜が降りた。
「不潔とか言ったら引っ叩くわよ」
「むしろ、何でそれで汚れ一つないのかを聞きたい」
外を出歩かないから汚れていない、ということはない。
日の出とともに外出し、日の入りとともに帰宅するのが、ここ数日の彼女の行動だ。日中は、ほぼ外を歩き詰めと言って良いだろう。
にもかかわらず、汚れなき純白を保つその衣は、どういう代物なのか。
「――――」
首を傾げるセツに、
もっとも、よく見ると頬の辺りが緩んでいるのが見て取れた。
彼女は、仕方が無いといった風体で袖を摘まんでみせる。
「……この衣は、お父さまに戴いた物だから、その辺にある物と一緒にされては困るわ」
「確かに、前に見た関白様のお召し物よりも上等な感じがするな」
「ふ、ふうん。ま、そうでしょうね」
一瞬、満更でもなさそうに表情を緩めた
自慢の響きを声に滲ませながら、彼女は自身の水干について語った。
「この水干の布地は、鹿庭山の雲海と清流から紡ぎ出した糸で織られているわ」
「雲と、水?」
「ええ。それを月光と星灯の糸で縫い合わせて作ったの」
紅の長袴は、朝焼けの輝きを編んで作ったとか。
何やらとんでもないことを口にする
特に問い質してはいないが、彼女は尋常の存在ではない。
出会った時の言動や、稲妻を統べる力を鑑みれば、正体は容易に想像できる。
(龍神の娘)
セツの推測があっているのなら、彼女の衣は龍神が与えた一品だ。
それが、尋常の物であるはずがない。
「お父さまの力が宿っているから、とても丈夫だし、汚れてもすぐに綺麗になるわ。後、少々破れても、少し時間が経てば元通りになるわね」
「それは凄いな」
「言ったでしょう。一緒にしないでと」
「ところで、それを真っ二つにしたら、各々が修復されて二つになったり――」
「しないわよ!」
何てことを言うのかと、柳眉を逆立てる
何はともあれ、疑問は解けた。
「なるほど。手入れ要らずなら、着替えも必要ないか」
「……そういうこと」
納得したセツの言葉に、
これで、この話はおしまい。
何てことのない世間話だ。これ以上の展開はない。
しかし。
「それは、いけません」
「え?」
そのはずは、話を聞いていた
振り向く
「女の子なのですから、ちゃんとお洒落をしないと」
「いえ。私は」
「まだ
「私は、お金を持って――」
「大丈夫。わたくしが出します」
「いえ、それは――」
「道世様が戻られたら、皆で市に行きましょうね?」
妙に力のある笑顔に圧され、
その様子を見て、セツはうなずいた。これは、抵抗するだけ無駄だろう。
早めの降参を勧めると、少女が恨めしげにこちらを睨む。
そんな彼女の顔を、
「ね?」
「…………はい」
そういうことになった。
「それと、セツ殿」
穏やかな声に、なぜか背筋が粟立つ。
居住まいを正したセツに、
「先ほどの“真っ二つ”発言は、冗談としても不粋です。思いやりのない
嬉しそうに父からの贈り物について話す者に、それを“真っ二つにしたら”などと、配慮に欠けると言わざるを得ない。
そう諭す言葉に、セツはぐうの音も出なかった。
「確かに。すまなかった」
「……別に怒ってないし。気にしてもいません」
“嬉しそうに”の下りに反応してか、その頬はわずかに赤らんでいた。
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