第17話 時と金

 賑やかな通りを、牛車が進む。

 左京は町尻小路から七条に西入りし、朱雀大路をまたいで更に西へ。

 二十町2km強ほどの距離とは言え、重い車を引く黒牛の足取りには微塵の疲れも見られない。

 道理である。何しろこの牛、生き物ではない。

 その黒々とした皮革の下には、蒸気で動く鋼の骨格が隠れている。


「ううむ」


 機械仕掛けの牛――鉄牛の傍らを歩きながら、セツは低く唸った。

 一切の淀みなく歩みを続ける鉄牛の姿は、本物の牛とほとんど見分けがつかない。

 もっとも、長く観察していると、その淀みのなさゆえに器物としての無機質を感じるのだが。


「見てても面白くない」


 渡辺津わたなべのつでも耳にした、機械仕掛けの牛。

 ようやく間近で目にしたその機械の仕組みには、大変興味を惹かれる。が、外見はただの牛である。

 無火蒸気式のため、煙を吐き出すということもないのだ。 

 その脇腹には、蒸気を充填するための給気口があるが、蓋の上に皮革が被せられているため、ぱっと見では分からない。


(何で皮を被せているんだろうな)


 そこまでするのなら、本物の牛に車を引かせれば良いのに、とセツは首を傾げる。

 生き物の皮を被った機械に、何とも言い難い気持ち悪さを感じて、セツは目を逸らした。


「…………」


 鉄牛の鼻輪に繋いだ操作索を持つのは、水干姿の牛飼童だ。

 鉄牛を引いて、どこからともなく姿を現した垂髪の童子。

 一言も発することなく黙然と歩むその姿には、鉄牛と同質の無機質さが漂っていた。


(道世様の式神だろうか?)


 疑問には思っても、“お前は人間か?”などと問うワケにもいかず、悶々としているセツに、車の中から声が掛かった。


「そろそろ到着ですよ」


 道世の言うとおり、西市にしのいちが近いのだろう。

 先ほどから、ずいぶんと人通りが増えている。

 元々人の多いみやこだが、この辺りの空気には、他と一線を画す活力が漲っているようだ。

 賑やかな通りを、笑顔を浮かべた人々が行き来する。

 馴染みのある空気。故郷の港を思い出し、セツは頬を緩めた。


「市の近くだからか、一気に人が増えましたね」

「このあたりは、もう西市の外町ですから」


 手に荷物を持って歩む者や大量の荷を載せた車の傍らを、道世たちが乗る網代車あじろのくるまが追い越していく。

 チラリとこちらに目を向けた通行人たちの表情に、牛車への興味は見られない。

 そのことに、セツは内心で苦笑を浮かべた。


(やはり、みやこは違うな)


 これが渡辺津わたなべのつであれば、牛車が走っていれば――それが中、下級貴族が乗る網代車であったとしても――興味深げに目で追うものだが、彼らにそんな様子は微塵も見られない。

 こちらに目を向けたのも、単に安全確認のためだろう。

 決して田舎者のつもりはないのだが、それでも京人みやこびととは違う。

 そのことを再確認しながら、セツは牛車とともに市門を通過する。

 通過して、目を丸くした。


「これは……」


 重そうに荷物を抱えて歩む者、手ぶらで市廛みせを冷やかして回る者。

 馬上から周囲を睥睨する者、ゆるりと進む牛車とそれに随伴する者。

 そうした諸々の間をすり抜けて、道の反対側へと駆け抜ける者。


 見渡す限りの人の群れ。

 老若男女、身分の貴賤を問わず、様々な人々が行き交っている。

 さすがに公卿や参議といった者達まではいないだろうが、中級程度までの貴族たちが訪れていることは、行き交う牛車の数から容易に推測できた。

 その活気は、市の外とは比べものにならない。


「すごい人ですね」

「建前上、このみやこで唯一、商取引が可能な場所ですから」


 平安京たいらのみやこにおける商いは、東西の市においてのみ許可されている。

 月の前半は東市ひがしのいち、後半は西市にしのいちが開かれ、日本ひのもと中から集まった様々な品が並ぶのだ。

 東西の市が同時に開かれることはないため、今日この日においては、この西市にしのいちこそが平安京唯一の商いの場となる。


みやこ中から人が集まると考えれば、この人混みも当然と言えるでしょうね」

「ははぁ」


 喧噪に掻き消されそうな道世の声に、セツは生返事を返した。

 己の身長よりも大きな車輪の横を歩きながら、彼はチラチラと右手に連なる市廛みせの様子を窺う。

 扱う商品を示す標を掲げ、大きな声で客を呼び込む者たちに気を取られていると、牛車の中から涼やかな声が降りてきた。


「あまり脇見をしていると、危ないわよ」

「む。……そっちは、あんまり驚いたりしないんだな?」


 五夜さやの言葉に、傍らの車を見上げる。

 視線の先の物見窓にはすだれが掛けられており、中の様子は見えない。

 しかし、その向こう側で、五夜さやが軽く肩を竦めるのを気配で捉える。


「私は、前に来たことがあるもの」

「そうなのか?」

「何の伝手もなく捜しものをするなら、人が集まる場所に行かないといけないでしょう?」

「……ああ。なるほど」


 “蜃気楼”の噂も、市で耳にしたのだそうだ。

 確かにこれだけ人が集まっていれば、みやこ中の噂を聞くことができるだろう。


「もうすぐ左手に曲がるので、気を付けてくださいね」

「左?」


 割り込んで来た道世の言葉に、セツは首を傾げた。

 街路の左手側は、先ほどからずっと築地が続いている。

 少し先に門が見えるので、そこから中に入るのだろうが。


「この築地の向こう側は、何があるんですか?」


 築地の向こう側に見える屋根は、立派な檜葺きだ。

 白壁に遮られてそれ以外は見えないが、屋根の姿だけで他の市廛みせとは別物なのが分かる。

 市を監督する役所――市司いちのつかさがあるのだと思っていたのだが。


「中に入れば分かりますよ」

「ははぁ」


 楽しげな口調の声に、セツは取りあえずうなずきを返した。





 四町にも及ぶ広大な敷地を持つ西市にしのいちは、四方の門から伸びる街路によって、大きく四つの区画に分けられる。

 街路が交わる中央部には、市の様子を監督するための市楼が建てられ、北西区に市司いちのつかさと市ノ姫を祀る社が設けられている。


 残る区画には、様々な品を扱う市廛みせが軒を連ねるワケだが、特に異彩を放っているのが、南西区を占有する大市廊だ。

 長さ一町五丈120m幅一〇丈30mの棟をロの字状に組み合わせた建物は、幾つもの市廛みせを内側に擁する巨大商業施設である。


「何でこんな大きな建物を……」


 訪れた客は、その内縁――中庭沿いをぐるりと廻る廊下を通って、連なる市廛みせを行き来する。

 そうした客たちに混じって、いくつかの市廛みせを覗いた後、セツは幅二丈6mもある廊下の隅に移動してため息をついた。


「普通に軒を連ねる市廛みせとは、また趣が違うでしょう?」

「それは、確かにそうですが……」


 面白がっている道世にうなずいて、改めて周囲を見回す。


 中庭からうすぎぬを透かして日差しが入り込む。

 その柔らかな光と、吊り灯籠の明かりが照らし出す建物の中は、華やかの一言に尽きる。

 セツと道世が立っている北棟は、絹布や縫衣などを扱う市廛みせが連なる区画だ。

 そのせいもあるのだろう。

 見世棚には色とりどりの布が陳列され、それらを吟味する女性客の衣と相まって、極彩色の空間が形成されていた。

 時折、「をかし可愛い」、「いとをかし超素敵」と黄色い声が上がっている。


「……何で女の人は、何でもかんでも“をかし”って言うんでしょうか?」

「さあ」


 苦笑交じりに道世が肩を竦める。

 気を取り直すように、軽く咳払い。彼は人差し指をぴっと立てた。

 十花とうかと同じ仕草だと気がついて、セツは夫婦だなとうなずいた。


「さて、なぜこんな大きな建物を、ということでしたが」

「はい」


 先ほどのセツの言葉への返しらしい。

 道世は、連なる市廛みせから中庭側へと視線を動かした。

 そこには、簾のように吊られたうすぎぬが屋内外を隔てている。


「一言で言えば、煤煙対策です」

「煤煙」


 平安京たいらのみやこの風には、灰や煤が混じっている。

 そのため、外を歩くとそれが体や衣類に付着してしまうのは、セツも良く知っているところだ。


「その状態で色々な市廛みせを見て回っていると、灰や煤が商品に移ってしまう。それで汚れるのが、絹などの品となるとあまり面白くない」

「……出来るだけ、外を出歩かずに済むように、建物の中に市廛みせを並べたということですか?」

「そういうことです」


 道世の言葉に、セツは「なるほど」とうなずいた。

 この大市廊の東棟は、牛車を停める車宿となっている。

 そこに車を付けて屋内に上がるため、牛車に乗っている者は、一歩も外を歩くことなく買い物をすることが出来る仕組みだ。

 セツ達のように外を歩いていた者達は、屋内に上がる時に履き物を係の者に預けるのだが、その際に煤や灰を払われている。


「この大市廊で買い物をする限りは、自分の衣が汚れることもない」

「だから、裕福なご婦人方は、競うようにお洒落をして訪れるワケです。さらに、こうして品々が並ぶ光景は、大変に購買意欲をそそるようで――」

「あ~」


 狙いどおりか、嬉しい誤算か、大市廊の出現は市での取引を大幅に増加させたという。

 その言葉に、セツは何とも言えない表情でうなずいた。

 この光景が毎日繰り広げられるのなら、売り上げはどれほどのものになるか。


「この大市廊が出来たのが、十年ほど前。このおかげで西市にしのいちは息を吹き返したと言えるでしょう」

「え?」


 かつては寂れていたのだと告げる言葉に、セツは目を丸くした。

 今の賑わいからは想像も出来ない。


「西市に限らず右京は、湿地が広がっていたせいもあり、あまり人が住んでいなかったのです。周りに人がいなければ、市を訪れる者も少なくなるでしょう?」

「でも、それなら大市廊が出来ても効果がないのでは?」

「ええ。西市が息を吹き返した理由は、もう一つあります」


 右京に蒸気動力を利用した作業場が出来たのがもう一つの理由だと、博学の陰陽師は続けた。

 蒸気機関の力で稼働する繰糸機や機織り機。

 それらが何百と並ぶ工場と、そこで働く者達の宿所が設けられたのだという。


「そこで作られた生糸や絹などは、西市にしのいちに運び込まれ――」

「中でも高級品は大市廊に並んで、お金を落とす客を呼び込んだ……?」

「そういうことです。それらの工場が作られたのも大市廊と同時期でしたから、おそらくは計画的なものでしょう」

「すごいですね。どなたが発案を?」

「実は、よく分かっていません」


 道世は肩を竦める。

 旗振り役は、宇治殿だったらしいが、まさか関白自身の発案ではないだろう。


「何はともあれ、その結果、寂れつつあった右京側も開発が進み、ついでに大市廊は東市にも作られました。そして、東西の市を中心に財貨は廻り、その過程で右京左京ともにさらなる発展を遂げ――」


 ――誰かが描いた絵図どおり、平安京たいらのみやこの経済は劇的な成長を遂げたのだ。


 蒸気機関の実用化は二十数年前だが、実のところ今のみやこを形作ったのは、一〇年ほど前からの急激な発展なのだと道世は締めくくった。


「すごい人がいたものですね」

「見ている世界が違いすぎて、少々、恐ろしい気はしますがね」


 感心するセツに、道世は苦笑交じりに肩をすくめてみせた。

 そんなものかと首を傾げ、セツは再び市廛みせへと目を戻す。


「……ところで、あの二人はいつになったら戻ってくるんでしょう?」

「さあ」


 市廛みせの中に消えた十花とうか五夜さやが、買い物を終えて戻ってくる気配は、ない。

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