第18話 とある因果(上)

 十花とうか五夜さやが戻ってこない。


「まあ、そういうものですよ」


 二人が市廛みせの中に入ってから、すでに二刻1時間

 肩をすくめて笑う道世の隣で、セツは欠伸をかみ殺した。

 回廊に囲まれた中庭に目を向ける。

 うすぎぬ越しに見える広大な庭には、真っ白な細石が敷かれていた。

 今日は誰の姿も見られないが、日によっては猿楽や闘鶏などが催されるという。


(闘鶏はともかく、猿楽は見たかったな)


 咒師猿楽や侏儒こびとの舞い。傀儡師による木偶操りに、大陸伝来の奇術・幻術といった業の数々。

 あるいは、田の神相手の独り相撲、独り双六。ぐにゃぐにゃの骨なし芸に、ゴツゴツの骨あり芸などの笑いを誘う数多の芸。

 それらを見物していれば、時間などあっという間に過ぎ去ったことだろう。

 無人の中庭を少し残念に思いながら、視線を戻す。

 廊下には、一定間隔で置き縁が置かれている。

 そこに腰掛けている男達を見て、セツは苦笑を浮かべた。


「……なるほど」


 道世の言うとおり、“そういうもの”らしい。

 直衣のうし姿の堂上も直垂ひたたれ姿の凡下も、皆一様にくたびれた雰囲気をまとっている。

 セツたちのすぐ傍らでも、男が一人、置き縁に腰を下ろしていた。


 二十代半ばといったところだろう。

 今が盛りの直垂姿は、座っていてもよく鍛えられていることが見て取れる。

 その肩に立て掛けるように持つ太刀を見て、セツは目を細めた。


(どこの武士もののふだろう)


 身幅太く無骨な拵えは、貴族が飾りに佩く細太刀とは対極の存在だ。

 そんなものを持つ姿は、華やかな空間の中で随分と浮いている。

 もっとも、眼をどんよりと曇らせ、肩を落として座る様は、他の殿方と何ら変わりがないが。

 男の傍らには、色とりどりの織物が置かれていた。まさか荷物持ちだろうか。

 ふと、目があった。


「…………」


 互いに黙したまま、しばし見つめ合う。

 ふっ、と表情を緩めたのは、果たしてどちらが先だっただろう。

 力強くうなずき合った。戦友ともよ。


「――何だと!!」


 芽生えかけた友情を引き裂いたのは、唐突に響き渡った怒声であった。





 怒鳴り声に、道世はため息交じりに目を向けた。

 三人の男たちが市廛みせの主らしき人物に詰め寄っている。

 傍らのセツが視線を鋭くした。

 わずかに立ち位置を変えたのは、荒事に備えてのことだろうか。


「何事でしょうか?」

「さて、何やら揉めているようですが」


 黄色い声が途絶え、代わりにヒソヒソと囁き合う声が廊下を満たす。

 貴婦人たちが、何事かと眉をひそめて様子を窺っていた。


「なあに、あれ?」

「どこの家の」

「まあ、大きな声」

「前の陸奥守の」

「興の冷めること」


 漏れ聞こえてきた言葉の一つに、道世は片眉を上げる。

 あの男達の素性を指す言葉。


前陸奥守さきのむつのかみ

「ええと、藤原登任ふじわらのなりとう、様の家人ということですか?」

「聞こえてきた話が本当であれば、ですが」


 さざめくように“前陸奥守”と噂する声は、冷たい嘲笑を含んでいる。

 道世は、然もあらんとうなずいた。

 前陸奥守のことは、彼も知っている。とはいえ、面識があるわけではない。噂を耳にしているという話だ。

 三年前に陸奥みちのくは奥六郡での戦に敗れ、その責により更迭された受領は、未だ人々の嘲笑の的となっている。


「ええと、その、やはり嫌われているんですね」

「まあ、仕方ないでしょう。とはいえ、少々同情しますが」

「――同情?」


 横から声が掛かる。

 顔を向けると、男が置き縁から腰を上げていた。


(これはこれは)


 身の丈六尺180cmを優に超す長身。

 それを分厚い筋肉で鎧う体は、まるで大型の肉食獣のようだ。

 先ほどまでどんよりと曇っていた眼には、今は厳しい光が宿っている。

 男は、ギロリと道世を睥睨した。


前陸奥守さきのむつのかみに、同情の余地があると?」

「皆無とは思いません」


 そっと前に動こうとしたセツを制し、道世は穏やかに言葉を返した。

 何やら己の言葉が癇に触ったらしき武士もののふを前に、陰陽師は悪びれることなく続ける。


「鬼切部の敗戦は責められるべきですが、もう三年が過ぎています。それなのに、未だ嘲笑の的というのは同情に値すると思いますよ」


 その言葉に、セツが傍らでうなずいた。

 戦の勝敗は、兵家の常だ。

 敗者が無能なのではなく、“運が悪かった”とか“相手が強かった”と庇う声が多少はあっても良いものだが、件の敗戦にはそれがない。

 道世は肩をすくめる。


「相手と後任が悪かったのが原因でしょうが」

「どういうことですか?」


 セツが首を傾げる。

 道世は、チラリと男に視線を向けた後、言葉を続けた。


「……蝦夷相手に敗北したこと。そして、後任が源頼義みなもとのよりよし様であったことです」

「蝦夷相手に敗れるのは、何かマズいのですか? いえ、そもそも負けるのがマズいのでしょうが」

「セツ殿は、そのままが良いと私は思います」


 道世は、疑問符を浮かべる少年を眩しげに見る。

 気がつけば、向かいの男も苦笑していた。何やら毒気を抜かれたようで、先ほどまでの威圧感は綺麗に失せている。

 一人、セツだけが解せぬと眉をひそめていた。

 道世は、何でも無いと軽く手を振る。


「蝦夷のことを、中央の人間は俘囚ふしゅうと呼んで蔑んでいます。鄙びた辺境、未開の土地に住まう獣同然の卑しき者ども、と。その是非はここでは置いておきますが、そういう認識であるがゆえに、負けを認められない」

「…………ははぁ」


 この反応は、よく分かってないなと道世は苦笑する。


 相手が朝廷の軍と渡り合えるほどの力を持つのなら、俘囚と馬鹿にする認識こそが誤りなのだ。だが、それを認めることは出来ない。

 そして、認識を改める必要はないのだと、後任である源頼義が裏付けた。


「彼の武士もののふたちの棟梁は、一戦も交えることなく、一兵も損なうことなく、奥六郡を統べる安倍氏を屈従させました」


 無惨な敗戦の記憶を塗り替える、鮮やか過ぎる完全勝利。

 朝廷の威光は回復し、先の敗戦は何かの間違いだったと公卿たちが声高に主張する。

 そこに上東門院の大病平癒を祈願して大赦が行われ、安倍の罪が許された。

 そのことに感激した安倍の棟梁は、朝廷への臣従を誓うとともに、“頼義よりよし”と同じ名は畏れ多いと、己が名を“頼良よりよし”から“頼時よりとき”に改めたという。


「帝の大徳により、味方はもちろん、敵さえも血を一滴も流さず事態は収拾されました。そのことに感心された御仏のご加護により、上東門院さまの大病は癒やされ、かくして世に平穏が取り戻されたというわけです」

「……なるほど」


 しかし、それで“めでたしめでたし”とならないのが人の業。

 敗戦の事実がある以上、誰が悪いのかと皆は考える。


「まあ、言うまでもないですね」


 奥六郡で生じた戦は、陸奥国で産出される鉄と黄金の独占を目論んだ藤原登任の強欲を因とするもの。

 ならば、朝廷の軍と争った罪はあれど、蝦夷の者達にも同情すべき点はある。

 源頼義みなもとのよりよし殿が従えた朝廷の軍に、争うことなく恭順の意を示した以上、これ以上の血を流すのは不徳だろう。

 そうしたことも踏まえ、帝は全てを救わんと大赦を発したのだ。


(本当のところは、頼義殿に手柄を与えないためでしょうが)


 道世は、皮肉げな笑みを浮かべた。


「戦わずして勝ちを治めた源氏の武威凄まじく、それ以上に帝の大徳こそ日本ひのもとの誉れ。さて、けしからんのは前陸奥守。先日の敗北は、あの者の無能に加え、この末法にあって強欲を戒める御仏のご意思かも――」


 そんな話が、何処からともなく生じたのは偶然ではないはずだ。

 そして、それは燎原の火のように、あっという間にみやこ中に広がった。


「日頃の行いが良ければ、庇う者も出たでしょうが……」

「やはり悪名高かったので?」

「いいえ」


 男の言葉に、道世は首を横に振った。

 えっ、と意外そうな声を上げた彼を見て、道世は笑う。


「もちろん、良い評判はありませんでした。ただ、悪い評判もなかったのです。さらに言うなら、誰も関心を抱いていなかった」

「関心を抱いていなかった……」


 良くも悪くも、どこにでもいる中級貴族の一人。

 辛うじて殿上に上がるのを許された程度の小人に過ぎず、その程度の者に、京人みやこびとはいちいち興味など持たないのだ。

 そう告げて、京の陰陽師は嗤った。


「ですが、そんな無名の受領は、陸奥の件で一躍有名人となりました」


 そうして興味を持った者達が調べれば、かつての任国である出雲でも、年貢を大幅に引き上げていたとか、受領の立場を利用して賄賂を要求していたとか、色々と埃が出てくるわけだ。


「受領ってそういうものなのでは?」

「まあ、そうなんですけどね」


 セツが口にした身も蓋もない意見に、道世は苦笑してうなずいた。

 受領と言えば強欲とされる昨今だ。

 藤原登任が行ったことは、他の受領と比べて特に悪辣だったわけではない。

 しかし、立場が弱まった彼を攻撃する上では、格好の材料となる。


 後は、先ほどのとおり。

 帝の大徳を、源頼義の武威を讃え、そして――


「藤原登任だけが、徹底的に貶められる。しかも、大半の人々は、正義感や危機感から前陸奥守を叩いているワケではありません」


 その多くは、奥六郡の戦などどうでも良い。

 対岸どころか、遠く離れた見知らぬ場所の火事に過ぎないのだ。

 深刻ぶった話をするための、数ある種の一つといった意識だろう。


「ええと」


 道世の言葉を聞く内に、話が見えなくなったのか。

 セツが、首を傾げながら問うた。


「つまり、結局、未だに前陸奥守さきのむつのかみが嘲笑われるのは?」

「ええ。つまり、玩具にちょうど良いからでしょう」

「…………」


 絶句する二人。


「自業自得。しかし、同情の余地が皆無とは思いません」


 京人みやこびとたちがクスクスと嗤う中、道世はそう締め括った。


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