第41話 武士と陰陽師(上)

『準備が整いました。そちらはどうですか?』


 式神を通して告げられた言葉に、賀茂道清かものみちきよは頭上を見上げた。

 雷光走り、風雨渦巻く荒天。

 そこに、声の主が日頃から自慢している飛行機械の姿がある。

 荒れ狂う風の流れを、上手く読んでいるのだろう。

 一見、木の葉のように翻弄されているようで、その実、確実に龍神への距離を詰めていく様子に、道清は口の端を吊り上げた。


「やるじゃないか、先生」

『ははは。今、“太郎坊”の手綱を握っているのは、私ではありませんよ。流石と言うべきか、嵐の中を進むのはお手の物のようです』

「へぇ……そりゃ、大した船頭がいるもんだな」


 道清は意外そうに眉を上げた。

 飄々とした言動のわりに、実際には相当な偏屈者である道世から、“太郎坊”の操縦を任されるほどの人物。

 若干の興味を抱くが――


(今はそんなこと考えてる場合じゃないか)


 道清は内心で首を振り、周囲の同僚に目配せをした。

 視線を受けた同僚がうなずきを返す。


「こちらも、準備は終わってる。今から調整に入る」

『了解です』


 会話を打ち切って、道清は周囲に目を向ける。

 彼らがいるのは、平安京たいらのみやこの中央部――朱雀大路と三条大路が交わる辻だ。

 そこに、道清を含め三名の陰陽師が待機していた。


「よし。こっちも始めるか」

「はい」


 頷いた陰陽師が、辻の中央へと向かう。

 そこには、道世の案を受けて設けられた即席の護摩壇がある。

 雨避けの術によって守られているため、荒れ狂う風雨の中にあっても、積み上げられた薪は全く濡れていない。


「――――ッ」


 陰陽師が何事か囁くと、護摩壇に火が点った。

 火の粉を飛ばしながら薪が弾け、炎が生まれる。嵐の中、それは急速に成長し、瞬きを数度した後には天を衝くような火柱と化していた。


「よし」


 道清はうなずく。

 雨避けのような簡易的な術であればともかく、この規模の火呪となると、風雨に宿った神気の影響は免れない。

 そもそも嵐の中で火を焚くという行為自体、筋が良いものではないのだ。それでもこうして術が発動、維持できていることに彼は安堵の息をついた。

 そして。


 ゴォオオオン――……


 別の陰陽師が、銅鑼を打ち鳴らす。

 低く重い――寺院の梵鐘によく似た音が鳴り響く。

 陰陽師は、一定の間隔を置きながら、繰り返し嵐の中に波紋を広げる。

 変化が生じたのは、すぐ後のことだった。

 音が増えたのだ。彼らのいる場所とは別の辻から、呼応するように銅鑼の音が響いてくる。


 一箇所だけではない。


 打ち合わせ通りであれば、今、この場を含めて十二の地点で銅鑼の音が鳴り響いているはずだ。

 道清たちが鳴らした銅鑼の音を切っ掛けに、嵐に広がる十二の波紋。最初は微妙にズレていたそれらは、徐々に重なり合い――


『今、同期しました』


 道清の肩に留まっていたカラスが告げる。

 その言葉にうなずいて、道清は弓と矢をその手に取った。

 ゆっくりと調息、精神を研ぎ澄ませる。


「――――」


 これから行う術は、洛中の十二箇所で同時に行使しなければならない。

 道世のように飛ばした式神を用いて同期を図るのが一番確実だが、この神気吹き荒れる嵐の中では現実的とは言えない。

 それ故の方策がこれだった。京中に展開した陰陽師たちの呼吸を合わせるため、銅鑼の音が鳴り響く。


 音に変化が生じる。

 徐々に、しかし確実に早まっていく音の連なり。

 そして。


「――――っ」


 一際強く打ち鳴らされた銅鑼。それを合図に、息吹とともに矢を放つ。

 矢の先端に結ばれた符が、嵐の中、金色の耀きを放った。

 天へと光の尾を引いて飛ぶ矢を見つめ、道清は呪を口にする。

 彼の担当は北――“子”を司る禽であるおおとりの式神を具現。


「…………ぅぐっ!?」


 構築した式神が、吹き荒れる神気に引き裂かれそうになる。

 その強烈な負荷に抗いながら、道清は歯を食いしばった。


(クソッ)


 ちらりと肩に留まる式神を見つめ、彼は己を奮起させる。

 この嵐の中、事もなげに式神を飛ばしてくる道世と、式神を維持するので精一杯な自分。力量の差は歴然だ。


(何が、光榮の再来だ)


 自分を称える者たちの目を節穴と嗤い、同時に自身の未熟を痛罵する。

 そうやって己に檄を飛ばしながら空に視線を戻せば、幾条もの光が荒れ狂う龍神を目指している。

 その先端には、亀や虎、狐にみずちといった禽の姿。

 いずれも式神だ。

 それを見て、自分だけがしくじるワケにはいかないと、道清は声なき咆吼を上げた。


「――――っ」


 十二の方位から放たれた十二の式神。

 それは、嵐を物ともせず真っ直ぐに天を駆け――


『――十二方陣』


 次瞬、巨大な光の環となって、荒れ狂う龍神を虚空に縛り付けて見せた。

 それを見て、道清は笑う。


「よし。次――」


 十二方陣は、方位の力を用いることで強力な拘束を実現する術だが、単発で龍神を抑え続けるのは不可能だ。

 ならばどうするか。


『三六禽を用い、十二方陣の三重封縛で抑え込みます』


(ったく、軽い調子で無茶を言う!)


 脳裏を過った提案の言葉に悪態をつきながら、しかし目を爛と輝かせ、道清は弓に新たな矢を番えたのだった。





 梵鐘に似た音を聞いて、渡辺徹わたなべのとおるは北に目を向けた。

 嵐の中、遙か先に赤々と燃え盛る炎を捉え、小さく息をつく。


「……やっと始まったか」


 呟いたその声に、辟易とした調子が含まれるのも無理はない。

 甲冑に身を包んだまま、風雨に曝されるのは辛い。“機巧甲冑”であっても、それは同様だ。

 全身を鋼でよろっていると言っても、それなりに隙間はある。

 そこから染みこんでくる雨がもたらす不快感は、何とも言い難いものだ。

 いっそのこと、ずぶ濡れになっている方がマシだと舌打ちをした彼は、あと少しの辛抱だと己に言い聞かせる。


「……フン」


 南側でも立ち上がった炎の柱を眺め、直後、彼は不快げに鼻を鳴らした。

 彼方に見える灯火を遮るように、一際大きな影が顔を覗かせたからだ。


 ――それは巨大な蜘蛛だった。


 全高は一丈半4.5mといったところ。

 小屋ほどもある匣状の胴を、白煙を吐き出す八つ脚で支え、長大な二本の鉄筒を誇らしげに掲げる鋼の怪物。

 機巧兵器“鋼蜘蛛”――銅鑼の音に吸い寄せられるように姿を現したその威容を、徹は目を細めて見つめる。


「……随伴兵はなしか」


 七条大路から出て来た怪物の周りに、人の姿はない。

 決して機動力があるわけではない彼の兵器は、単独運用には不向きなのだが、そんな事はお構いなしと言わんばかりの堂々とした振る舞いである。


(舐められたものだな)


 素人めと、舌打ちを一つ。

 とはいえ、状況は決して良くない。“鋼蜘蛛”の蒸気砲が撃ち込まれれば、儀式を行っている陰陽師たちは肉片の一つも残せまい。

 そして、燃え盛る護摩の灯火は、砲撃を行うにあたって格好の目印だ。


「征く」


 告げると同時、徹は“鋼蜘蛛”を目指して地を蹴った。

 人工の筋骨が駆動し、一足で数間を進む跳躍を成す。

 さらに背中に負った箱笈はこおいから蒸気を放出――鬼を模した深紅の甲冑は、蒸気による大推力を得て一気に加速した。


 蒸気砲を備えた“鋼蜘蛛”に対し、こちらの装備は右手で握る大太刀一振りと、左腕に取り付けた箱筒――杭打ち機が一つ。

 火力という点では、到底及ばない。しかし、徹はそれを問題としない。

 どれ程の火力差があろうとも、当たらなければどうということはないのだ。

 しかし、懸念はある。


(間に合うか?)


 どうやら、“鋼蜘蛛”は南側の護摩を標的に選んだらしい。

 こちらに背を向けるように旋回を始めた機体を睨み、徹は残りの猶予を考える。

 今、徹がいる場所は、六条大路と朱雀大路が交わるあたりだ。

 ここから、七条との辻付近にいる“鋼蜘蛛”まで五町弱約500m――斬り込むのでは間に合わない。


「なら――ッ」


 “鋼蜘蛛”までの距離が半分を切ったところで、徹は方針を変えた。

 右手の大太刀を逆手に持ち替える。加速の勢いを殺さぬよう注意しながら、跳躍中に身を捻った。

 思い切り腕を振りかぶり――


「らぁッ!!」


 巨刃を投じた。

 機巧の力を用いて放たれた刃が、嵐を抉り抜いて虚空を駆ける。

 それは、蒸気砲とまではいかずとも、五人張りの弓矢に並ぼうかという威力を以て、残る二町半の距離を突破し――


『――――ッ!?』


 こちらに背を向けた“鋼蜘蛛”――その背中に喰らい付いてみせた。

 甲高い音が響き渡り、火花が散る。

 致命傷にはほど遠い。

 しかし、予期せぬ衝撃に驚いたのか、“鋼蜘蛛”の動きが一瞬止まる。

 次いで、慌ててこちらに向き直ろうと動き始めたのを見て、徹は口の端を吊り上げた。


「ハ――――」


 “鋼蜘蛛”から放たれる強烈な敵意。それを真正面から受け止めて嘲笑い、彼は、左京側の築地に身を寄せながら疾走する。

 “鋼蜘蛛”の旋回速度は、先ほどよりもずっと速い。


「――――ッ」


 残り五丈15mほどまで迫ったところで、砲身が徹を捉えた。

 鋼の蜘蛛と紅の戦鬼が睨み合う。


 ――轟、と大気が咆えた。


 叩き込まれた砲弾によって、築地が吹き飛び大穴が空く。

 当然、そこにいた者は跡形もなく――


「んなもんが当たるか、馬鹿者め」


 蒸気を纏った鬼が、“鋼蜘蛛”の匣状胴部に左腕――そこに据え付けられた箱筒を触れさせて、嗤っていた。

 そのことに、“鋼蜘蛛”の御者は気がついていない。

 無理もない。

 真横に行った蒸気噴射で砲弾を躱し、間髪入れぬ連続使用によって残る距離を詰めた“機巧甲冑”の動きは、目で追えるようなものではない。

 それゆえに。


「――――」


 徹の左腕に備えられた箱筒内で、圧縮された蒸気が弾けた。

 射出された杭が、強固であるはずの“鋼蜘蛛”の装甲を易々と貫き――


「……なるほど、これが話にあった“木偶”か」


 穿った穴を取っ掛かりに装甲を引き剥がし、御者席をこじ開けた徹は、舌打ち交じりにソレを見つめる。

 そこには、真っ二つになった木偶人形が転がっていた。

 首を落としても動いたという話だったが、流石に衝撃で胴体を割り砕かれるとどうしようもないのか、人形に動く気配はない。


「……捨て駒か」


 随伴の兵を付けていないのも、それが理由だろう。

 機関部を停止させ、“鋼蜘蛛”から離れた徹は不機嫌に空を見上げる。


「…………」


 そこには、巨大な光環に縛られた龍神と、その周囲を旋回する羽付き舟太郎坊の姿。

 知らず、口の端が吊り上がった。


「気張れよ、渡辺切わたなべのせつ


 未熟な、けれど真っ直ぐな年若い武士もののふに言葉を投げて、彼は回収した大太刀を手に嵐の中を歩み始める。

 未だ賊徒どもの手には機巧兵器が残っている。


 休んでいる暇はないのだ。


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