第36話 訪れる嵐(四)
天高く打ち上がった屋根の破片。
それを見て、セツは呆然とする
少し遅れて、目の前に残骸が落ちてくる。
「……何が」
どうやら、
柱のように地面に突き立った折れ木を見て、セツは呻き声を上げた。
視線を戻せば、屋根を失った母屋の姿。
元々、半壊の様相を呈していた建物だったが、もはや修復するより建て直した方が早いだろう。
そして、破壊の中心には“大鉄牛”が佇んでいた。
「ああ……そういうことか」
その姿を見て、セツは爆発の原因を悟る。
鋼の牛は、背中が無くなっていた。
割り開かれたかのように装甲が吹き飛んで、代わりに針山のように無数の鉄管が飛び出している。
それは、以前目にした蒸気船の残骸によく似ていた。
もっとも、牛の形を模しているせいか、“
「蒸気機関が爆発したのか」
安全弁の類も全て潰した結果、圧力を逃がすことが出来ず、限界を超えて爆発したのだろう。
それだけで、あれほどの威力になるのかとも思うが――
「どうして」
「
そんな彼の思考は、
そこに込められた響きに、尋常でない何かを感じ、セツは思わず彼女の顔を窺う。
(……いや、違う)
彼女の瞳が捉えているのは、別のものだ。
セツに視えない何かを見つめ、彼女は真っ青な顔で首を横に振る。
「うそ……どうし、て」
「どうした?」
こちらの声が聞こえていない。
動揺に瞳を揺らし、掠れた声で彼女は何事かを呟いた。
直後。
「――――ッ!?」
突如、視界が真っ白に染まり、同時に爆音が耳をつんざく。
それは、雷鳴だった。ならば、目を灼いたのは、稲妻の閃きか。
視界が戻ってくる。
そして、それを目にした。
漆黒の龍。
墨で染まったような闇色の鱗を逆立たせ、狂ったように暴れる巨体。
それが、“大鉄牛”の
「何だあれは……」
天に向かってのたうつ龍蛇。
その姿を見て、セツは呻き声を上げた。
いや、正体は分かっている。
――おとうさま。
彼女はそう口にした。
信じられない思いで、セツは狂乱する龍を見つめる。
(あれが、
そこに理性の色は無い。
辺りを押し潰すのは、昏く淀んだ気配――鬼気などよりも余程にセツの精神を削るソレは、もはや瘴気とでもいうべきものだった。
半ば実態化している瘴気が、触手のように蠢く。
その様は、大市廊に現れた化け蛇などより遙かにおぞましい。
祟り神。
そんな言葉がセツの脳裏を過る。
「――――ッ!!」
轟音が鳴り響いた。同時に閃光が走る。
その光に灼かれ、周囲にあった鉄管が尽く溶け落ちた。
身に触れるソレを、黒龍が邪魔だとばかりに払い除ける。
そして、そのまま天に向かって飛び立とうとし――突然、“大鉄牛”の内側から伸びてきた赤い鎖に囚われた。
炎で編み上げられた戒めが、龍身を灼きながら締め上げる。
「お父さま!?」
「……何なんだ、一体」
黒龍が身をよじり、再び閃光が爆裂した。
“大鉄牛”を中心に、暴風が吹き荒れる。咄嗟に
雷光に灼かれた視界が戻り、顔を上げると――
「飛んで……」
黒龍は、すでに戒めを振りほどいていた。
天へと飛び立ったその姿を見つめ、
「
慌ててその身体を支える。
すがりつくように、セツの衣を少女の細指が掴んだ。
泣きそうな顔を隠しもせず、
「私……追わないと、でも」
崩れ落ちそうな声。
無理もない。セツは、彼女を支える腕に力を込める。
たった一人で
それが、こんなカタチで再会すれば混乱もするだろう。
しかも、ようやく
その絶望は、どれほどだろうか。
(それでも、ようやく見つけたんだ。後は追いかければ――)
そこまで考えて、セツは息を止めた。
まさか、と思う。そして、彼女ならそうだろうとも。
「…………」
ふと、少女の指が目に入った。
赤く腫れて、水疱の出来た――真新しい火傷の痕。
「大丈夫だ」
「……え?」
そっと、セツは彼女から身を離す。震えるその手を、壊れ物を扱うように両手で包み込んだ。
手当をしてやりたいが、その時間はない。
「大丈夫」
「セツ……?」
間近で少女の瞳を見つめる。
言い聞かせるように、努めて穏やかに、セツは続けた。
「義家
――
物言いはキツいくせに、いつだって己を後回しにする優しい少女。
損な性分。致命的なまでに争い事に向いていない。
そんな彼女の額に、セツは己の額を触れさせた。
「こっちのことは気にするな。すぐに片して追いかける」
間近で揺れる少女の瞳を見つめ、セツは力強く言葉を口にした。
「行け。そのために、
「――はい」
それを見て、セツは彼女から離れた。
――伝えるべきは伝えた。もう話すことはない。
だから、彼は首のない鬼へと向き直る。
軽い足音が遠ざかっていくのを聞きながら、太刀を構えた。
「アアアアアア――――!!」
「うるさい」
吹き荒れる風が、煤煙を吹き飛ばしたせいだろうか。
ずいぶんと離れているのにもかかわらず、赤鬼がこちらを捕捉した。
大太刀を振りかざし、一気に間合いを詰めてくる。
その姿を冷たく見据えながら、セツは吐き捨てるように悪態を吐いた。
「いい加減、しつこい。こっちは急いでいるんだから――」
――疾く去ね。
口にすると同時、胸の裡に炎が灯る。
それは、怒りであった。そして、焦りでもある。
際限なく膨れ上がっていく圧力に押されて、セツは咆吼した。
「アアアアアアアア――――ッ!!」
鬼の咆吼をも掻き消す大音声。
振り下ろされる大太刀の前に踏み込んで、迎え撃つように刃を斬り上げる。
手にした太刀が、蒼い輝きを放った。
「――――――!?」
斜めに斬線が走る。
半ばで断たれ、虚空を舞う大太刀。
鬼が、慌てた様子で下がろうとするが、セツの踏み込みの方が疾い。
手首を返し、振り上げた刃を袈裟斬りに叩き付ける。
神速の二連撃。
その二撃目が、鬼の肩口に吸い込まれた。
斬鉄の太刀は、
そして。
「――――ぁ?」
刃が箱の中にあった蒸気筒を傷付けたのか。
セツは、間近で生まれた爆発に吹き飛ばされていた。
衝撃に、天地が回る。焦りのあまり、致命的にしくじったのだと自覚した時には、もはや意識の大半が白く染まっていた。
踏み止まれない。
(……ま、だ)
遠く、雷鳴が轟いて、暴風が吹き荒れる。
倒れ伏したセツの顔に、ポツリポツリと空から雨が落ちてきて、それはあっという間に土砂降りとなった。
――
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