第35話 訪れる嵐(三)

 宙を舞う鬼の首級。


 それを目にした瞬間、再び手掛かりを取りこぼしたのだと理解して、五夜さやは小さく息を漏らした。


(今回は、仕方がない)


 戦う様子を見ていれば、生け捕りが無理筋なことくらい彼女にも分かる。

 それでも、ギリギリまで生け捕りを狙ってくれたセツに感謝はあれ、恨む気持ちは微塵もない。


(それでも――)


 どうにかして捕らえたかった。

 そう思って落胆する気持ちは抑えられない。

 セツたちから、少し離れた場所に落下した首級。

 地面を転がるそれに、五夜さやは昏い視線を送った。


「……ぇ?」


 優れた視力が、兜の下に隠されていた貌を捉え――彼女は息を飲んだ。

 兜からごろりとこぼれ落ちた頭部には、貌が無かった。鼻はなく、口もなく――さらに言えば、木で出来ていた。

 申し訳程度に二つ並ぶ穴が、唯一、顔の部品と言えるだろうか。

 それは。


「木偶人形、だと……?」

「…………」


 愕然とした義家の声。

 それを聞き流しながら、五夜さやは低く呻いた。最初から、生け捕りになどしようがなかったのだ。

 鬼気の正体はこれかと理解して、同時に我に返った。

 はっと顔を動かせば、首のない体躯が大太刀を振り上げる様が目に飛び込んでくる。

 対するセツは、未だ体勢を立て直せていない。


「セツ!!」


 思わず上げた声は、思った以上に悲鳴染みていた。

 五夜さやは、義家の目があることも忘れて指先を鬼に向ける。

 白雷を喚び――力任せに球雷と成す。


(間に合いなさい!!)


 強引な力の行使の代償に、五夜さやの指先が灼かれる。

 引き攣れるような痛みをかみ殺し、彼女が撃ち放った閃光は、文字通り厳槌いかづちとなって機巧甲冑を打ち据えるが。


「――――っ」


 わずかに揺らいだだけの鬼を見て、五夜さやは悔しげに顔を歪めた。

 彼女の稲妻は、生物に対しては回避も防御も許さぬ最強の一撃となる。

 しかし、鋼の鎧を身に纏っているのは、何らかの呪術で動く木偶人形だ。

 雷に打たれても心の臓が止まることはない。

 純粋な威力で破砕しようにも、装甲表面を伝って大半が地面に流れた稲妻に、そこまでの力は無い。

 稼げたのは、わずかな揺らぎ――半瞬ほどの時間に過ぎない。

 ゆえに。


「――――っ!!」


 強烈な鬼気を伴って振り下ろされた大太刀。

 その一太刀をセツが捌くことが出来たのは、ひとえに稲妻が稼いだ半瞬によるものだ。

 甲高い音と火花が散って、逸らされた剛撃が地面を叩く。

 即座に追撃がセツを襲うが、今度は余裕をもって対応出来ている。

 薙ぎ払われた刃を後方に跳んで躱す彼の姿を見て、五夜さやは知らず安堵の息をこぼしていた。


「――は」


 早鐘のように鳴り響く心臓を落ち着かせようと、もう一度深呼吸。

 痛みの走る指先から、震えが止まった。


「よし」


 瞳に力を宿し、真白に転じた髪をなびかせて――稲妻を従える少女は大きく前に踏み出した。





 大きく距離を取ったセツに、赤鬼からの追撃はなかった。


「……?」


 これまでの様子なら、躍起になって追い掛けてきそうなものだが、とセツは首を傾げる。

 何か狙いがあるのか。

 それとも、先ほどのように誘導されることを警戒したか。


(いずれにせよ、助かった)


 息を整えながら、セツは鬼の様子を見つめる。

 頭のない人型は、数歩進んでは進路を変えることを繰り返していた。

 時折、何もない場所を大太刀で薙ぎ払っている。

 その様子は。


「……こちらを見失ってる?」

「そんな感じだな。もっとも、全く見えていないワケでもなさそうだが」


 駆け寄ってきた義家が、鬼の様子を見てそう評する。

 荒らされた庭をうろつく歩みは、先ほどまでと対して変わっていない。

 完全に視力を失ったのであれば、平衡感覚も狂うため、もっと覚束ない足取りになるはずだと彼は続けた。


「何というか、至近しか見えていない感じがあるな」

「落ち着いて体勢を立て直せるので、こちらとしてはありがたいですが」

「うん。さっきのは見ていて肝を冷やした」

「――本当よ」


 苦笑を浮かべて発せられた義家の言に、背後で冷ややかな声が同意する。

 義家とは逆――セツの右手側に立ちながら、五夜さやがジロリと険のある視線を向けてくる。

 それを受け止めて、セツは小さく頬を掻いた。


「悪い、心配をかけたか」

「……まったく」


 ため息をついて、彼女は首を横に振る。

 その動きに合わせ、真白の髪が揺れた。セツの顔から逸らされた視線が、転がっている鬼の頭を捉える。


「……こちらを見失っているのは、物的な視覚を失ったからでしょう」

「物的な視覚……?」

「貴方たちと同じ物を見ている目のこと。おそらくは、それを死霊に与える術が木偶の頭に仕込まれていたのだと思うわ」

「死霊?」


 義家が五夜さやの言葉に首を傾げる。

 彼は、異相に転じた五夜さやの姿に一瞬だけ目を瞬かせたものの、それについて言及することはなかった。

 そんな彼にうなずいて、彼女は説明を続けた。


「あの人形には、死霊……死者の魄が宿っているわ。セツが首を落としたことで偽装が取れたみたい。少し見にくいけれど、間違いないはずよ」

「……なるほど」


 死者の魄を宿し、呪力によって動く人形。

 死者の声を聞いたり、その怨念を利用して呪詛を仕掛けるための呪具。

 そうしたものの一種なのだろうかと、義家は唸った。


「そんなところじゃないかしら。私も詳しくは知らないけれど」

「……ふむ。それで話を戻すが、その“物的な視覚”を与えていた頭を失ったので、今は完全に盲目になったということか?」


 義家が首を傾げた。


「すぐ近くは見えているように感じるが……」

「実際に見えているでしょうね。死霊としての感覚……霊的な視覚は生きているはずだから」


 死霊には、目や耳以前にそもそも身体がない。

 それでも人を襲ってくるのは、霊的な感覚によって標的を認識しているからだと彼女は続けた。

 それを聞いて、セツは鬼がこちらを見失っている理由を理解した。


「霊的な視覚だけになったから、近くしか見えないのか」

「そういうこと」


 よく出来ました、と五夜さやが笑う。

 セツの脳裏にあるのは、彼女に見せられた灰色の世界だ。

 このみやこは、霊的な視覚がほぼ機能しない。

 彼女の言うとおりなら、鬼の視界は深い霧の中にいるようなものだろう。

 無論、個体差はあるのだろうが。


「何だかよく分からない部分もあるが、現状は概ね理解した。では、これからどうするかだが」


 義家がコホンと咳払いをして話をまとめる。

 未だこちらを見失っているようだが、いつまでも放置はできない。

 彼の言葉にうなずいて、セツも小さく唸る。

 五夜さやが、ぴっと指を立てた。


「無力化する方法は二つ。一つは、人形を砕くか燃やすなりして、憑代として機能出来ないほど損壊させる」

「なるほど。太刀でやるなら細切れにする感じか」

「……鋼の鎧ごとソレが出来るなら、話は早いわね。貴方たちの場合、そういうことを力技でやりそうなのが恐いけれど」

「さすがに無理だろう」

「どうだか」


 セツの返しに、五夜さやは半眼で呟いた。

 続ける。


「もう一つは、宿っている死霊を滅ぼす。鬼気の元を絶てば、人形はただの木偶に戻るわ」

「それは、陰陽師の領分のように思えるな」


 義家が低く唸った。

 そのとおりだとうなずいて、セツは前者の方法――人形を木っ端微塵にする手段に頭を巡らせる。

 ふと、鬼の背にある箱が目に入った。


「…………」


 上がり過ぎた蒸気圧を調整するためだろう。

 その場で真っ白な蒸気を吐き出す様を見て、セツは目を細める。

 あの箱が、機巧甲冑の心臓部――つまり、蒸気機関を搭載している部分なのは間違いない。

 箱の中には、複雑に組み合わさった歯車と、それを動かすための動力――火炉と水缶、そして蒸気を蓄積するための容器があるはずだ。

 遠くからソレを壊すことが出来れば。


「遠間から矢でも射かけましょうか」

「今なら背中に“蒸気矢”をぶち込むのも楽か。それで箱の中にある蒸気筒を巻き込めば、人形くらいなら簡単に四散させられるな」


 悪くないと、義家が笑った。

 とはいえ、近くに弓はない。“蒸気矢”と併せて、取りに行ってくる必要があるだろう。


「よし、今から二人分の弓矢を取って来るから、競べ矢といこうじゃないか」

「……ハハハ」


 言うや否や、そこで待っていてくれと半壊した母屋の方へと駆けていく。

 そんな義家の背中を見つめながら、セツは乾いた笑いをこぼした。


「よほど貴方と遊びたいみたいね。応じない方が不義理なのでは?」

「……そうだよな」


 畏れ多いという気持ちに変わりは無い。

 この一件で見せられた彼の器量を考えれば、むしろ、その思いは一層強まっている。

 しかし。


五夜さやの言うとおりだよな)


 あれだけ、こちらに歩み寄ってくれているのだ。

 立場の違いを理由に断る方が、よほどに無礼だろう。

 何より。


「人たらし……」


 許されるなら、友人になりたい。

 そんな風に思ってしまっている己を自覚して、セツは照れたように笑った。


 鬼は、未だにこちらを見つけることが出来ずにいる。

 一射ごとに立ち位置を変えながら“蒸気矢”を撃ち込めば、程なくして制圧できるだろう。

 ならば。


 ――勝負の結果に関係なく。


 そう考えた直後。

 義家が入って行った母屋が、轟音とともに吹き飛んだ。


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