第34話 訪れる嵐(二)

 唸りを上げて、巨大な刃が薙ぎ払われる。

 その斬撃をひざまづくように低くした身で掻い潜り、セツは小さく鼻を鳴らした。


(確かに威力は凄まじい)


 頭上を流れる刃風に背筋が寒くなる。

 よくこれを空中で捌いたものだと、彼は義家の技量を賞賛した。

 賞賛しながら、呼気を放つ。


「ハッ!」


 下方から上方へ。

 身を起こす勢いを乗せて、逆袈裟の一閃を打ち放つ。

 大太刀を振り抜いた直後だ。赤鬼の反応が一呼吸遅れる。

 その身がまとう赤染めの装甲を、神威宿す白刃が捉え――


 ――火花が散る。


 舞い散る橙の粉は、まるで血しぶきのようだった。

 焦げたような臭いが辺りを漂う。しかし、セツは舌打ちをした。


(浅かったか)


 斬撃は、装甲の表面を削っただけだ。

 深手どころか、鎧の内側にさえ届いていない。

 そして、二の太刀は間に合わない。

 蒸気の噴射によって遠間に逃げた鬼に、セツは小さく息をついた。


「面倒な」


 先ほどから、この繰り返しだ。

 向こうの攻撃は、下手に受ければそのまま両断されかねず、こちらの刃は装甲と機動力に阻まれて届かない。


「さすがは機巧甲冑といったところか」

「ああ。やはり、あれが機巧甲冑ですか」


 そうだろうなとは思っていたものの、確信を持てなかった事柄。

 それを近くに寄ってきた義家の言葉で確定されて、セツの声に興味深げな色が宿る。


「うん? 見るのは初めてか?」

「はい。どういうものか、ということは聞いておりましたが、目にする機会はありませんでしたので」


 ――機巧甲冑。


 人間に鬼の如き剛力を与える機巧兵器。

 その言葉を胸中で呟きながら、セツは対峙する鋼の人型を見つめる。

 全身を覆う装甲の下には、特殊な織り方で気密性と伸縮性を持たせた布袋が何十、何百と据えられているという。


『要は、蒸気の出入りによって伸縮する人工筋肉ですね』

『ははぁ』


 以前、そんなやり取りを道世とした記憶がある。

 その人工筋肉の働きを、背中の箱から伸びる鋼のてあし――汽車や鉄牛などの各種蒸気機関と同様、蒸気圧を利用して駆動する機巧が支援するのだとか。


(蒸気噴射で高速移動するという話は、道世さまも仰らなかったな)


 碩学の陰陽師とて、全てを知っているわけではないらしい。

 後で教えてあげよう。どんな顔をするだろうかと、セツは内心で笑う。


「まったく、厄介なことだな」

「はい」


 もう少し人数がいれば、追い立てることも出来るだろうが、二人では囲みを作っても簡単に破られてしまう。

 苦笑交じりにぼやく義家にうなずいて、セツは調息を終えた。


五夜さやの稲妻なら捉えられるだろうが……)


 必要ないと彼は頭を振る。

 先ほどから五夜さやの視線を感じるが、今回、セツは彼女に頼るつもりはない。

 正体が義家に露見した時、彼の反応が分からないというのも理由の一つだが、そもそも必要がないと考えているからだ。


「確かに厄介ですが――」


 セツは思う。

 あの剛力と機動力は確かに脅威だ。

 しかし。


 威力は凄まじいが、単純で大振りな太刀筋。

 装甲頼りで、ろくに回避をしない防御。

 それで危なくなれば、推力に任せて強引に離脱。

 

 そんな鬼の戦い振りに、セツが抱いた印象は――


「動きが雑」


 呟いた言葉が、期せず義家のものと重なった。

 綺麗に合わさった声に、セツの目が点になる。

 思わず鬼から視線を逸らし、傍らを見そうになるのを何とか堪え、代わりにセツは小さく笑った。


「はは! 何だ、セツも同じ印象か!!」

「はい」


 愉快に思ったのは、義家も同じだったらしい。

 噴き出すような笑い声。緊張で強ばった身体をほぐすように、あるいは高まりすぎた内圧を下げるように、彼は声とともに大きく息を吐き出した。

 明るい声で続ける。


「機巧甲冑の性質上ああなのか、それとも着用者が未熟なのか。前者ならば、後で武士もののふ相手では役に立たないと申し伝えないとな」

「苦戦するようでは、説得力がありませんが」

「確かに。なら――」


 早々に片付けてしまおう。

 義家の言葉にうなずいて、セツは太刀を構え直した。





 戦っている中で、分かったことがある。


(あの蒸気噴射による移動は、後退が出来ない)


 背中の箱に噴射口があるのだから、当然の話ではある。

 と言っても、身を引いて、体を縦にした状態で蒸気噴射を行えば、実質的には後退するのと変わらない。

 その場合、“身を引く”という動作分だけ初動が遅れてしまうが、一瞬で五間8mを移動する機動力である。

 ひと呼吸分の遅れなど簡単に帳消しにするし、そもそも真横にかっ飛ぶだけで十分に間合いを外せるため、欠点と言える程の問題ではない。

 だが。


(何かにつけ後ろに下がる癖があると、話は別だ)


 左足を引きながら右方に蒸気噴射――その推力で左後方に飛び退く。

 そうして遠間に逃れた赤鬼を見据え、セツは目を細めた。


 反応が一拍遅れる。

 移動方向が読みやすい。


 繰り返し、何度も見せられる隙。

 露骨過ぎて罠の可能性を疑うが、躊躇していては状況は変わらない。


(むしろ、悪くなる)


 どういう理由かは分からないが、あれだけ何度も蒸気を放出しているのに、機巧甲冑が蒸気切れを起こす気配はない。

 そして、機巧甲冑――おそらくはその着用者が放つ鬼気が、セツの集中力をゆっくりではあるが確実に削いでいく。

 加えて言えば、体力的な問題もある。

 戦いが長引けば長引くほど、不利になっていくのは自分たちだ。

 ならば、攻めるしかあるまい。


「さて、何か考えはあるか?」

「下がる相手を追いかけて斬るのは、正直、無理があるでしょう」


 弱点が見えていても、一人では速度差に阻まれて届かない。

 しかし、今は二人だ。

 ならば、その利点を活用するべきだと、セツは義家に答える。


「結局、挟み撃ちにするしかないのでは?」

「まあ、それしかないか」


 義家がうなずく。

 彼らの強みは、身体が二つあるということ。

 二方向から仕掛けられるという利点を捨てる手はない。

 問題は、向こうもそれを理解しているだろうという点だが。


「やりようはあるな」

「それは、どう――っ!」


 義家に向けた言葉が途中で切れる。

 蒸気噴射による突進。その勢いを乗せて叩き付けられた大太刀を、セツと義家は左右に分かれて回避した。

 期せず、二人が赤鬼を挟む立ち位置となるが――


「アアアアアア――――ッ!!」


 鬼が咆吼とともに義家を追う。

 ただし、こちらに背を向けることはしない。

 標的の側面に回り込もうとする足運びからは、やはり挟撃に対する警戒が見て取れた。


「義家さま!」

「いらん! 任せろ!」


 視線が絡む。

 鬼を追い掛けようとしたセツは、義家の声に制される。

 彼は、怒鳴りつけるように言葉を続けた。


「手勢が足りん! 動ける者を探してこい!!」


 方便だ。

 鬼気に当てられて、他の武士もののふたちは動けない。

 動けるならば、とうに助勢している。それが分からないほど、義家と家人の信頼は薄くない。

 ゆえに、その言葉の意味するところは。


 ――その場で待て。


 足を止めると、こちらをチラリと見た義家が満足げに笑った。

 そして、振りかざされた大太刀を前に、彼は足を止める。


「アアアアア――ッ!!」

「はっ」


 叩き付けられる剛撃を、体捌きで躱す。

 間髪入れぬ横薙ぎの追撃を、義家はスルリと後退してやり過ごした。

 それを追って、鬼が踏み込む。

 大太刀が閃き、一つ、二つと虚空に斬線を刻む。

 しかし、獲物を捉えることが出来ない。


「――――!!」

「はは。そら、俺はここだぞ?」

「アアアアアアアッ!!」


 焦れたように吠える赤鬼を、義家が嘲笑うに囃し立てる。

 憎悪の声が上がり、刃の速度が上昇する。

 しかし。


「やはり雑だな」


 義家が嗤う。

 単に力任せに振り回されている、というワケではない。

 鬼の振るう刃は、きちんと刃筋が通っている。最低限、剣技としての体裁は整えられていると言えよう。

 もっとも、それゆえに力量がハッキリと見えるのだが。


(使えないわけではないだろうが、大した技量ではないな)


 それは、攻防を見守るセツにとっても、一目瞭然だった。

 威力と速度は凄まじいが、剣筋は粗く、攻撃の連携もぎこちない。

 足運びもいい加減なせいで、己よりも遅いはずの義家に翻弄されている。


「そら、そんなもの……っと!?」


 ずるり、と義家が足を滑らせた。

 その身体が傾ぐ。鬼が大太刀を振り下ろす。


「…………っ」


 それを強引に飛び退いて躱す義家を、鬼が追撃する。

 好機を逃さぬとばかりに畳みかける鬼。逃げる義家。

 それを遠間から見守りながら、セツは思う。


(危ない真似をする)



 義家が足を滑らせたのは、言うまでも無くわざとだ。

 体勢を崩しているようで、しっかり対応出来る力を残している。

 とはいえ、背筋の凍る光景ではあった。

 お付きの人――景季が見ていたら、悲鳴を上げたかもしれない。


「アアアアア――ッ!!」


 鬼が吠える。

 一歩引いて眺めれば、義家の動きが誘いであると分かるのだが、鬼の目には必死に逃げているように映るのだろう。

 ダメ押しとばかりに、大太刀を大きく振りかぶる。


「――ハ」


 それを、義家が嗤って迎え撃った。

 鋼と鋼が打ち合う。澄んだ音が辺りに響いた。

 そして。


「――――!?」

「踏み込みが甘い」


 刃を打ち払われたのは、信じがたいことに鬼の方だった。

 剣士としての技量、三人張りの強弓を扱う剛力。

 それが、義家に鬼の膂力を凌駕させたのだ。


 打ち合いに敗れた鬼が体勢を崩す。

 先ほどとは逆しまに――今度は、真に生じた隙を義家が狙う。

 銀光が迸り、しかし分厚い装甲がソレを弾いた。


「――――ッ!!」


 謀られたことに気がついて、鬼が悔しげに唸りを上げる。

 その左足が退がったのを見て、セツは静かに息を吸った。

 予想される進路は、彼のすぐ傍らを通り抜けるものだ。

 しかし、そのことに気がつかないまま、鬼は義家の間合いから離脱した。

 その体躯が、無警戒のままセツのすぐ傍らを通過せんと跳ぶ。


(交錯の瞬間に首を刎ねるのが確実……)


 鬼の戦闘能力を考えると、生け捕りなどと言っている状況ではない。

 次の機会があると言えない以上、ここで確殺するべきだろう。

 しかし。


 ――大事な手掛かりだ。


 脳裏を過った五夜の顔余分に、セツは太刀を振るうのを躊躇した。

 交錯する瞬間、刃を振るう代わりに鬼の足を蹴り飛ばす。


「…………っ!」


 足から伝わってくる重さに、セツは歯を食いしばり――強引に蹴り抜いた。

 蒸気噴射による大推力は、一瞬で五間8mを跳ぶ加速を鬼に与えている。

 その慣性が、足を払われた鬼を空中で回転させた。


「――――ァガ!?」

「そのまま、寝ていろ!」


 何がどうなったのか。

 錐揉みしながら縦回転した鬼が、地面に叩き付けられる。

 仰向けに――箱を背負っているせいで、海老反り気味になったその胴をセツは思い切り踏みつけた。

 左腕を伸ばし、その顔を覆う鬼面の眼窩に指を差し込む。

 そのまま力任せに引き剥がし、兜の下に隠されていた貌を露わにした。


「……っ!?」

「アアアアアアアア――――ッ!!」


 それを見た瞬間、セツは太刀を振るった。

 見られた瞬間、鬼は咆吼とともに蒸気を噴射した。

 それは、ほぼ同時のことだった。

 凄まじい勢いで起き上がった鬼に、セツの身体が跳ね飛ばされる。

 彼は、受け身も取れぬまま地面に叩き付けられ――


「…………っ」


 鬼の首級が宙を舞う。

 跳ね飛ばされながらも振り抜いた一刀。その一閃は、狙い過たずに“機巧甲冑”の首から上を斬り飛ばしていた。

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