結 あまかけるもの
第37話 かみなり(上)
風の咆吼を、滝の如き雨音が押し潰す。
閃光が走り、雷鳴が轟いた。
嵐の暴威を前にした人間の反応など、どこであっても大差はない。
部屋に篭もり、息を潜めて、災厄が過ぎ去るのを祈るばかりだ。
とはいえ、やはり何事にも例外はあるようで、その屋敷では足音も荒く廊下を歩く大男の姿があった。
「どういうことか!」
「そう怒鳴るでない。他の者が何事かと驚くじゃろう」
部屋に入ると同時、
気の弱い者ならば、それだけで失神しかねない程の怒気。
雷にも劣らぬそれを叩き付けられて、部屋の主――枯れ木のように痩せ細った老爺が、飄々とした仕草で肩をすくめた。
彼は麦湯の入った椀を置き、守任に席を勧める。
ドカリと偉丈夫が腰を下ろすのを待って、のんびりと首を傾げた。
「それで、何事かの?」
「決まっている! “大鉄牛”の件だ! それと、あの黒龍のことも! それから――」
「待て待て。一度にまくし立てられても、この老いぼれの耳と頭では付いていけぬ。一つずつ順に話してもらえるかの」
「――――」
老爺が手を振って、守任の剣幕を押しとどめる。
癇癪を起こした孫に対するような声色だ。守任の額に青筋が立った。
しかし、この老爺相手では怒声など何の意味もない。
大きく息をはいて、彼は老爺を見据えた。
「改めて吉次さまにお尋ね申し上げる。なにゆえ、源頼義の屋敷に“大鉄牛”を送り込んだのか」
「我々にとって、最大の脅威は彼の者。あの者が諦めておらんのは、お主もよく分かっておろう。そして、その理由は息子のための基盤作り」
「……京に残した義家に何事かあれば、その理由を失うと?」
「然り。無論、次郎、三郎とおる故、完全に失われるわけではあるまいが、固執する気力は大きく減じよう」
守任の言葉に、老爺――吉次がうなずく。
険しい目で己を見る守任に、彼は苦笑して続けた。
「無論、他にも理由はある。術を解いて、屋敷の惨状を明るみにすれば、
「あの龍も、その一環ですか?」
「いや、“真火筒”とやらが劣化しておったのか、彼の龍神の力が強大すぎたのか……儂も、ああして解放されるとは思っておらなんだ」
やはり使い回しはマズかったか、と吉次が渋い表情を浮かべた。
どうやら、今の状況は、彼にとっても予想外らしい。
(隠形関連の結界が、根こそぎ失われたらしいからな)
守任は、外で荒れ狂う風雨と雷鳴の音に小さく息をつく。
今、京を襲っている嵐は、狂乱した龍神の神威が具現化したものだ。
それ故に、ただ家や木々をなぎ倒すだけでなく、霊的、呪的な仕掛けを根こそぎ吹き飛ばす威力を持つ。
これまで、朝廷の目から自分たちを守ってくれていた結界は、もはや存在しない。
当然ながら、以前のように人知れず機巧兵器を移動させるのも難しくなる。
「それで、次の手を打つと」
「然り。今、
「だからと言って……」
「以前、
「…………っ」
吉次の静かな声に、守任は奥歯を噛みしめる。
納得できない。承服できない。けれど、返す言葉がない。
「すまんな。儂に龍を御するだけの力があれば」
「……いいえ。勝手を申しました。ご無礼の程、平にご容赦を」
胸の裡では、炎が荒れ狂っている。
しかし、今の状況を鑑みれば、己の言がただの綺麗事で、それを強いることが我が儘でしかないことくらい守任にも分かる。
(そうだ。吉次さまが悪いわけではない)
彼は、出来る中での最善を選んだだけだ。
そこに怒りをぶつけるのは、お門違いというものだろう。
力のない――対案一つ示せない不甲斐なさを噛みしめて、守任は静かに席を立った。
◆
目を開けると同時、セツは飛び起きた。
立ち上がろうと、身体に掛かっていた単衣をはね除け――
「――痛っ!?」
体中を走った痛みに硬直した。
剣の稽古の際、思い切り打ち据えられたような痛み。久しく感じなかったそれが、セツの頭に冷静さを取り戻させる。
「ここは?」
ずいぶんと暗い。
視線を巡らせれば、
その向こう側から聞こえてくるのは、風の唸り声と滝のような雨音。
時折、雨粒が叩き付けられる音を伴って、
「外は、嵐になってるのか」
轟く雷鳴に顔をしかめ、セツは低い呻き声をこぼした。
燈明の儚げな明かりを頼りに、自分の身体を見下ろす。気を失っている間に着替えさせられたのか、身覚えのない
とりあえず、手足はちゃんと動くらしい。
『落ち着きましたか?』
「……道世さま」
顔を向けると、
部屋の間仕切りとして使われる
傍らに置かれていた太刀を手に取って、静かに立ち上がる。
それを待っていたかのように、
「ここは、道世さまのお屋敷ですか?」
『いいえ。
「徹さまの……あの、俺はどれくらい」
『とりあえず、今は
もっとも、“大鉄牛”と
自分は、
(……すぐに追いつくとか言っておきながら)
情けない。
肩を落としながら、しかしセツの足取りは速い。
いまさら焦ったところで、意味が無いことくらい分かっている。
それでも逸る気持ちは抑えられない。彼は
少々、礼儀に欠けるが、濡れ縁に出てずぶ濡れになるよりマシだろう。
歩きながら、彼は道世にこれまでの経緯を伝えることにした。
『――なるほど。あの龍は、
道世の声に驚きの色はない。
本人からの申告はなかったが、セツでさえ察することが出来たのだ。専門家である陰陽師が気がついていないはずがない。
すんなりと状況を飲み込んで、彼は感慨深げに呟いた。
『これを、天運と言うのでしょうかね』
「道世さま?」
『いえ。セツ殿は、よく騒動に見舞われる星の下にいるなと思いまして』
「……いえ。これだけ色々起こっているのは、道世さまとお会いしてからです。原因はそちらにあるのではないでしょうか」
「カァ」
道世に会うまでは、神妖などお伽話の住人だったのだ。
それが、こうして怒濤の如き勢いで関わるようになったのは、間違いなく道世の縁によるものだろう。
そう告げた言葉を、
「おう。起きたか」
「はい。手当をしていただ、き……あり……」
こちらを見やる徹に頭を下げる。
謝辞を口にしながら顔を上げたセツは、そこで目に飛び込んできたものにギョッと顔を強ばらせた。言葉が尻すぼみに消える。
「どうした」
こちらの表情の理由を分かっているのだろう。
板金を重ねて拵えた深紅の甲冑。鋼の鬼面。
そして、その傍らに置かれている
それは、つい先ほどまで相まみえていた敵手の――
「――機巧、甲冑?」
「おうよ。見るのは、二回目になるのか? ったく、目を離した途端に“大鉄牛”と“機巧甲冑”相手にするとか。本当、退屈しないな、お前は」
くつくつと徹が笑う。
ここに“機巧甲冑”がある理由を考えて、すぐに答えに思い至る。
そもそも、“機巧甲冑”は滝口の
「それを、内裏の外に持ち出しているのは」
「おう。あの龍への対応のためだ。オレを含めた滝口三名に、市井の者たちを守れとの仰せが下ってな」
他の者たちは、当然ながら内裏の守りについているらしい。
この変事にあって、
しかし、黒龍を始めとして通常戦力では対応できない脅威が想定されることから、徹たちが内裏の外にいるのだという。
「宿直が終わって家に帰ったら、いきなり緊急呼び出し食らうわ。失神したお前が担ぎ込まれてくるわ」
「あの、私を運んでくださったのは――」
「ここにはおられない。動ける家人の方々を率いて出て行かれた。この一件が片付いたら、ちゃんと礼に行くように」
「はい」
告げられた名前に、セツは小さく息をつく。
ほっと表情を緩ませた彼を見て、徹はバシッと己の膝を叩いた。
「打ち解けたようで何より。さて、オレもそろそろ行かねばならん。動けるなら、お前も来い。龍退治だ」
その言葉に、セツは動きを止めた。
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