第38話 かみなり(下)

「…………」


 龍退治。

 耳にした単語に、血の気が下がり、腑が冷たくなる。

 立ち上がった徹の顔を、セツはのろのろとした動きで見上げた。


「それは、あの龍を殺すということでしょうか?」

「……腑抜けた、というわけではなさそうだな。言いたいことがあるのなら聞こう、申せ」


 こちらの反応に、徹が眉を潜める。

 促されて、セツは小さく息を吸った。


(事情を……いや)


 事情を説明したとしても、それは私事に過ぎない。

 徹のお役目には関係の無い話だと、セツは内心で頭を振る。

 だから、口にするべきは一つだけ。


「私は、龍の討伐には参加いたしません」

「…………異論ではなく、出来ない事情でもなく、拒否を口にする意味は分かっているか?」

「は――」

『黒龍の討伐に関しては、私も、というより陰陽師は皆、反対です』


 うなずこうとしたセツを制するように、それまで黙っていたカラスが口を挟んだ。

 徹が、セツの顔から視線を逸らす。

 冷たい光を帯びた目で、カラスを見据えて、その意を問う。


「…………理由を聞こう」

『端的に言えば、ここで黒龍を殺した場合、みやこが滅びます』


 さらりと告げられた内容に、徹は目を丸くした。

 座り直した彼に、道世が小さく息をついた気配をセツは感じとった。


『あの黒龍……龍神は、狂乱状態ではありますが、祟り神となっているわけではありません。その一歩手前で踏みとどまっている状況ですね』

「アレでか?」

『アレで、です。現時点で、みやこの護りたる音羽の青龍が静観しているのがその証拠。ここで、朝廷の人間が彼の龍を殺し、その身を祟り神へと転じさせた場合、青龍は人の自業自得と我々を見放す恐れがあります』


 一度殺したくらいでは、滅びないのが神である。

 そして、完全に祟り神となって敵意を向けられた場合、単に暴れているだけの現状が続くよりも、遙かに被害は大きくなる。


『御霊会を以て、鎮め、あるいは洛外に流すことが出来るとは限りません』


 人が転じた怨霊とは比較にならない力を有し、ただ在るだけの疫神などとは違って、明確な敵意の下にその力を振るう神。

 そうした存在を、果たして鎮め、退去させることが出来るかどうか。


『出来なければ、向こう千年は人の住めない土地になるでしょう』

「ならば、どうする?」


 このままでもみやこは滅びるぞと、徹がカラスを睨む。

 その言葉に対し、道世が式神の向こう側で大きくうなずく気配がした。


『対話により鎮めます。セツ殿のおかげで光明が見えましたので』

「……俺?」


 いきなり自分の名前が出て、思わず普段の口調で声を上げたセツに、カラスが笑い声を上げた。


五夜さや殿のお父上ならば、彼女の力を借りれば何とかなるでしょう。普通に呼びかけただけでは難しいでしょうが、やりようはある』

「……なるほどな」


 徹が、深いため息をついた。

 バシリと膝を叩く。

 そして、再び立ち上がった彼は、カラスに「最後に一つ」と声を投げた。


「賀茂道世。その考えは、陰陽寮も了解済みということで良いんだな?」

『ええ。今しがた、道清殿を通じて陰陽頭おんみょうのかみに話が通りました』

「ならば、オレは対応する陰陽師たちの護衛に当たろう。他の二人にも伝えておく。それと、セツ」

「はい」


 徹の視線を、セツは真っ直ぐに受け止める。

 結果として龍討伐という方針は白紙に戻ったものの、命令を拒否したことに変わりはないのだ。

 その結果、どのような沙汰を言い渡されても仕方ない。

 そんな覚悟で居住まいを正した少年に、徹はもう一度ため息をついた。

 腰を屈め――


「馬鹿者」

「――――っ!?」


 星が散った。

 拳骨を振り下ろされた頭を抑え、セツは悶絶する。

 痛い。ものすごく痛い。今も動く度に全身に走っている痛みなどより、はるかに痛い。思わず涙目になる。


「今回は、これでなかったことにしてやる。ったく、いきなり拒否をするヤツがあるか。ちゃんと事情を話して相談しろ。それなりの理屈がつけられるなら、曲げるくらいはするし、その理屈を一緒に考えるくらいはしてやる」

「徹、さま」

「まったく。頭が固い。太刀を振るうのは上手いクセに、言葉を扱うのは全然だな。今回は来なくて良いから、陰陽師殿に言の葉の扱いをしっかり教えてもらえ」

「……はい!」


 もう一度セツの頭をポカリとやって、徹はニヤリと笑った。

 “機巧甲冑”に手を伸ばしながら、続ける。


「良いところを見せて、あの姫さんを惚れさせてこい」

「いや。そういうのでは……」


 口ごもったセツに、呵々とした笑い声が響いた。


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