第39話 颱風(上)

 屋敷から出れば、十歩も進まない内にずぶ濡れだ。

 横殴りに叩き付けられる雨に顔をしかめながら、セツは先導するカラスの後を追う。


(俺だけずぶ濡れ……)


 何らかの術によるものか、あるいは式神とはそういうものだからか。

 全く濡れる様子のないカラスに、ズルいと恨めしげな視線を送るが、それで彼に叩き付けられる雨が和らいだりはしない。

 仕方なく、水の滴る頭を振って、セツは道世との合流場所を目指して走る。

 七条大路から西洞院大路へ。

 さらに大路を下っていけば、程なくして八条大路との辻に差し掛かり――


「…………っ!」

「――やあ、来ましたね」


 辻の真ん中に鎮座していたソレに、セツは目を丸くした。

 傍らから掛けられた声に顔を向ければ、飄々と笑う陰陽師の姿。

 このみやこに少年を誘った彼は、いつもと変わらぬ様子でそこに立っていた。


「なんで濡れてないんですか?」

「…………この状況でそんな問いが出てくるあたり、意外と余裕はあるみたいですね」


 セツの第一声に、道世の笑みが微苦笑に切り替わる。

 他に言うべきことがあるだろうと、その目が語っているが、セツからすれば最初に思ったことがソレなのだから仕方がない。

 川でも泳いできたのかという有様なセツに対し、道世は普段のままだ。

 今も横殴りに叩き付けられるはずの雨粒が、彼を避けて通っているを見て取って、セツは思う。


「それ、ズルくないですか?」

「ははは。まあ、そう言わないで――」


 肩を竦めて笑った道世が、何事か小さく囁く。

 直後、真夏に吹くような熱風を顔に受け、セツはわっと声を上げた。


「――っ、なに……を?」


 言葉が尻すぼみになったのは、雨に打たれる感触が唐突に消えたからだ。

 同時に、ぐしょぐしょになっていた着物が軽くなる。

 その異変に目を瞬かせたセツの反応に、道世が笑った。


「雨避けと乾燥の術です。神気吹き荒れるこの嵐では、あまり長くは保ちませんが」

「ありがとう、ございます」

「さて、それでは本題に入りましょうか」


 道世の視線が、辻の真ん中へと向けられる。

 そこに鎮座していたのは、一台の汽車だ。

 上京初日に目撃して以来、未だに使う機会がない憧れの乗り物。見間違えるものではない。


 幅一丈3m、長さ八丈25m弱、屋根までの高さは一丈半4.5m

 妙に立派な、瓦葺きの屋根を備えた“自走する家屋”――普段、悠々と洛中を巡っているその雄姿は、この嵐の中にあっても健在だった。

 もっとも、今は普段目にする姿と若干異なっていたが。


「屋根の上に、載せているのは――」

「ええ。“太郎坊”です」


 台座のようなものが据えられた汽車の屋根。

 そこに載せられている物を見上げるセツに、道世がうなずいた。

 そこにあるのは、昼間、自身が墜落させた飛行機械の姿だった。


(……折れた羽はすでに修復されている、けど)


 舟体の歪みまで直っているワケではない。

 そんなセツの気づきを肯定するように、道世がため息混じりに口を開いた


「邪道ではありますが、術で羽や舟体の強度を引上げています。もう少し時間があれば、術に頼らずに何とかしたのですが」

「……ははぁ」


 不満そうな口調に、セツは内心で首を傾げた。

 術で何とか出来るのなら、わざわざ他の手段を用いる必要もない気がするのだが、何かこだわりがあるのだろう。

 下手に触れると長くなりそうなので、セツは話を先に進めることにした。

 つまり。


「どうして“太郎坊”を汽車の上に?」

「“太郎坊”が飛行するためには、ある程度の助走――速度を稼ぐ必要があります。普段は水面を滑走することで対応しているわけですが」

「……嵐の中だと、川が使えない?」

「そのとおり。ならばどうするかという話ですが――」


 道世は汽車へと足を進める。

 その壁面に立てかけられた梯子に手を掛けながら、彼は笑った。


「走る汽車の上に載せれば、必要な速度は稼げる計算ですね」

「……なるほど」


 道理だとうなずいて、彼の後を追う。

 ふと、セツは首を傾げた。


「洛中を“太郎坊”で飛ぶのは――」

「緊急事態ということで、お許しが出ています。宮城の上は流石に許されませんが……」


 特別扱い、ということらしい。

 それは、汽車の使用についても同様だ。

 当たり前の話だが、嵐吹き荒れる状況で汽車を走らせるということは通常あり得ない。

 大雨によって蒸気管が水没し、都市機能が軒並み停止している中、優先的に蒸気を供給された汽車。

 それを動かすため、蒸気筒や駆動部、あるいは軌条の点検に勤しんでいる者たちを見て、セツはポツリと呟いた。


「……何だかすごく優遇されているような」

「龍神を鎮めるためのかなめは、我々ですから」

「……そうか。そうですね」


 道世の言葉に、薪を掴んだ手が止まった。

 気を取り直すように一つ深呼吸。薪を火室に投じる。

 道世の火呪を受けて炎が爆ぜる。

 その音を背に、セツはもう一度、汽車の周囲で作業をしている男たちを見つめた。


「…………」


 龍神を鎮めるためには、五夜さやの存在が要となる。

 その五夜さやを見つけ、龍神の許へと送り届けるためには、こちらも“太郎坊”で空を飛ぶ必要がある。

 だから、“太郎坊”を飛ばすため、今、これだけの支援を受けている。


(徹さまの命を拒否して、俺はどうするつもりだったのか)


 一人で何とか出来るつもりだったのか。

 視線を動かせば、道世の背中が目に映る。

 何も考えずに、勢いだけで動こうとしていた自分。それを止めて、道先を示してくれた陰陽師を見つめ、セツは小さく頭を下げた。


「陰陽師殿! こちらは準備完了です!」

「それでは、発車してください!!」


 作業員に、道世が大声で合図を出す。

 汽車が動き始めた。

 嵐をものともせず、重い車体が前進――加速を始める。


 合わせるように、“太郎坊”が二対四枚の羽を駆動。

 荒れ狂う風を掴んで、前羽、後羽が交互に羽ばたく。


 両者は、急速に速度を増していき――


「――――離陸します」


 嵐の空へと、“太郎坊”は力強く飛び立った。


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