第20話 とある因果(下)
中庭に飛び降りたセツは、一切の迷いなく大蛇に向かって駆け出した。
裸足で強く細石を踏み締めて、その感触で意識を研ぎ澄ます。
「――――」
一歩ごとに、余分なものを削ぎ落としていく。
それは、恐怖であるとか、怒りであるとか、あるいは
いずれも不要。
刃を振るうには、目的と戦意の二つがあれば良い。
「ひっ!? 嫌、た、たす、助け――」
新たな贄に選ばれた娘が目に映る。
どこぞの姫君だろうか。
華やかな紅の
「やだあ、やだやだやぁ!!」
髪を振り乱し、童女のように泣き叫ぶ声。
父。良人。恋人。舎人。そうした、娘を庇おうとする者の姿はない。
彼女の身を守るべき者は、すでに食われたか。あるいは、命惜しさに遁走したか。
一人、尻餅をついたまま後退る彼女の前で、蛇の顎門が開かれた。
「ひぃ!?」
意外と心根たくましいのか。
この期に及んでも、未だに正気を保っている少女だが、それが何かの助けになることはない。
容赦なく、生き餌を丸呑みにせんと大口を開けた大蛇。
「――ふっ!!」
その横面に、疾風の速度を乗せて、セツは太刀を叩き付ける。
銀光で弧を描く切っ先が、墨染めの首を刎ね飛ばした。
(手応えはある。が……)
宙を舞う頭、首無しの胴体。
その両方に注意を向けたまま、セツは娘の傍らで腰を屈める。
「……ぁ、ぇ?」
「ご容赦を」
状況の変化に頭が追いついていないのだろう。
目を白黒させる娘の腰に手を回す。そのまま、荷物を小脇に抱えるように持ち上げた。
「ひあ!?」
小さな悲鳴が上がるが気にしない。
ただでさえ着崩れていた娘の衣装が、物凄いことになっているが、セツの目には入らない。
一瞬たりとも大蛇から気を逸らしてはいけない。
そのことを己が肝に銘じながら、彼は距離をとるため後退した。
その途中。
「ひっ!?」
首を落とされた蛇身が、新たな頭を生やしたのを見て、娘が悲鳴を上げた。
大蛇が牙を剥く。ただし、その狙いはセツたちではない。
「…………」
セツの視線の先で、大蛇の頭は斬り落とされた
新たな頭に咥えられた、古い頭。
それが、無数の糸に解けるように、そのカタチを損なった。
「ぁ、ぁあ」
解けた糸が蠢いて、縄を
斬り落としたはずの首が、あっという間に大蛇の一部に戻る。
「面妖な」
娘の悲壮な声を聞き流し、セツは顔をしかめた。
間近で見た姿ゆえに、一太刀くれた程度で死ぬとは思っていなかったが、実際に再生されると、少し嫌になる。
生まれた
(刀との相性は良くないな)
無数の蛇の集合体。
墨染めの大蛇の正体は、それだ。
数万もの蛇身が絡み合い、喰らい合いながら、巨大な体を構築している。
その首を刎ね飛ばしても、実際には数万のうち、十数から数十ほどの蛇を斬ったに過ぎないのだ。無論、痛打になどなっているはずもない。
「しかし、斬れてはいる」
手応えはあった。
両断した小蛇の死骸はどこにも見当たらないが、斬り滅ぼしたという確信がセツにはある。
ならば。
「あの無数の蛇がどこから湧いたのかは、分からないが」
そのあたりの解明は、陰陽師の領分だ。
今、自分がするべきは、あの蛇どもの鏖殺である。
一太刀で殺せないのなら。
――死に絶えるまで、数百、千と斬れば良い。
単純明快、迷う余地のない結論にうなずいて、セツは娘を下ろした。
これだけ離れていれば大丈夫だろう。
「失礼しました。出来るだけ早く、中庭から退避を」
「あ、あの、貴方は」
か細い声には答えずに、セツは再び駆け出した。
◆
先ほどまでは、弱者をいたぶる愉悦を求め。
今からは、我が身を傷付けた強者への怨恨ゆえに。
――人を喰らうモノは、大蛇の姿で牙を剥く。
矢に迫る勢いの牙を躱し、セツは太刀を薙ぎ払った。
水平に奔った剣閃がその口を引き裂くが、即座に修復される。
反転して飛び掛かる
そんな攻防を繰り返し、墨染めの大蛇を中庭の中心へと導く。
「そろそろか?」
憎悪と怨嗟に燃える目を見返して、セツは太刀を構えた。
その身を折り畳み、鎌首をもたげる大蛇。
そこに、突如として四体の鳥獣が挑み掛かった。
――
「うま!?」
「遅くなりました」
馬の背から飛び降りて、目を丸くするセツに道世が笑う。
思わず気を逸らしたセツを余所に、
その口に、あるいは嘴に咥えた糸を怪物の首に巻き付ける。
「これは」
四体の鳥獣が、標的の四方に陣取った。
西に飛んだ
北ではばたく
「――四方封陣」
道世の呪に従って、蛇を括る糸が四方に引かれた。
とはいえ、所詮はただの絹糸。
人を丸呑みにする大蛇を封じることなど出来るはずもない。
そのはずなのに。
「シャアアア―――ッ!!」
擦過音のような鳴き声。
苛立たしげに身をよじり、長い尾をうねらせる大蛇だが、しかし頭はピクリとも動かせない。
もたげた鎌首を固定され、大蛇の腹が無防備に晒される。
そこにセツは踏み込んだ。
(丸呑みなら、まだ間に合うか?)
まだ、時間は幾分も経っていない。
蛇身を縛る糸に触れないよう気を付けて、うねる尾を躱し、セツは太刀を振った。
その切っ先で、蛇の腹を縦に裂く。
そこからまろび出たものを見て、セツは舌打ちをした。
「駄目か」
元より蛇の集合体。その体内に臓腑の類はなかった。
無数の小蛇が蠢く腹から出てきた犠牲者は、消化液に溶かされたというよりは、無数の何か――おそらくは絡み合う蛇身にすり潰された様子だった。
絞られた布のような惨状で、辛うじて人の部位だと見て取れたのは、半ば潰れつつあった頭部のみ。
(……六つ)
こぼれ落ちた骸の数。
厳つい顔の男たちに歳経た老爺、うら若き乙女と丸顔の貴人――
それらが虚ろな目を向ける先で、セツは太刀を構えて大蛇を睨む。
そんな彼の背に、道世が静かに告げた。
「下がってください。焼き払います」
建物からは十分に離れている。
この位置であれば、延焼の恐れもないと陰陽師は呪を口にした。
声に従ってセツが飛び退いた後、大蛇を戒める糸が燃え上がる。
「――――っ!?」
大蛇が身をよじった。
術で生み出された蒼炎に、その総身が呑み込まれる。
擦過音を響かせ、抵抗するように全身をうねらせて――
その尽くが燃え尽きるまで、さほどの時間はかからなかった。
◆
わずかに残った灰は、腹の中に残された犠牲者の一部だろうか。
風に吹かれてあたりを舞うそれを見て、セツは小さく息をついた。
「悪因悪果とは言うけれど――」
こんな
セツは、物言わぬ彼らにそっと手を合わせ――ふと、ソレに気がついた。
「コマ?」
細長い鉄の軸棒に、金の円盤。その形は、
首を傾げたセツは、母親が似たような物を持っていたと思い出す。
――ソレが、くるくると回っていた。
ぞわりと、首筋が総毛立つ。
「――――!!」
「駄目です!」
咄嗟に踏み込もうとしたセツを、道世が引き留めた。
直後、鬼気が膨れ上がる。
半ば潰れた厳つい顔の首が、開いた口から陰を吐き出した。
さらに白目を剥いた眼窩から、真っ黒な涙が溢れ出す。
それらは、瞬時に揮発して黒い靄となる。
おぞましい気配が、周囲に立ちこめた。
「何ですかアレ!?」
「あれが陰の気です」
慌てて後退するセツに、道世が顔をしかめて答える。
先ほど焼き払ったのは、あくまで蛇としてカタチを得ていたものだけだ。
陰気そのものを焼却したわけではない。
「材料は、まだ残っていたということです」
「ええと、つまり?」
見る間に膨れ上がった靄の中心で、
悪因悪果。
無数の憎悪と怨嗟、嘲笑する悪意。
そこから紡ぎ出されるのは、人を喰らうモノ。
紡がれた黒糸は、縒り集まって蛇となり、絡み合って大蛇のカタチをなす。
最後に金の
「つまり、“おかわり”です」
「これだから、妖は!」
思わず悪態をついたセツに、大蛇は敵意の籠もった声を上げた。
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