第21話 縁(上)
人々の祈りから糸――
「といっても、紡がれる
そのため、“
「しかも、同じものが他にもあるので替えが効く。単に糸を紡ぐだけなので危険度も低い。回収の優先順位は低かったのですが」
そこで陰陽師は言葉を切った。
その眼前には、人間を丸呑みできるほどの巨体を誇る墨染めの大蛇。
蠢く無数の蛇によってカタチ作られた悪夢の化身。
その威容を見上げ、彼は朗らかに笑った。
「いやあ。悪意を紡ぐとこれほどの危険物になろうとは」
「シャァアアアア――――!!」
大蛇が飛び掛かる。
ひらりと躱した道世が、滑るように後退した。
そこに割り込みながら、セツは太刀を振りかざす。
(狙うべきは、頭部)
先ほど目にした金の
あれをそのままにしては、何度でも“おかわり”が生じるだろう。
振り下ろされた白刃が、すっぱりと蛇の頭を断ち割った。
しかし。
「ハズレか」
当てずっぽうでは、小さな
百、千と繰り返せば、いずれは当たるだろうが、今はより効率的な手段があることを知っている。
「道世様、先ほどの術をもう一回!」
「少し時間をください」
距離を取り、糸を取り出した道世を背に、セツは攻撃の手を強めた。
四体の式神の援護も受けながら、墨染めの巨体に対して至近の位置を保つ。
狙うのはやはり頭部。届かない時には、その腹を。
「――――っ!!」
微塵に還れと、滅多斬りにする。
断ち切られた小蛇が消失するのは、元が陰の気であるためか。それとも太刀に宿る神気の働きか。
一太刀で十数、当たり所によっては数十もの蛇を斬って、青褪めた銀光が嵐の如く荒れ狂う。
「シャァアアア――――!!」
「っと」
頭上から降ってくる擦過音を、ひらりと躱す。
ちょうど良い位置に下りてきた頭を、横薙ぎに一閃した。首を落とす。
「セツ殿!」
「――――ッ!?」
道世の声に、咄嗟に飛び退く。
一瞬前まで己がいた場所を、側面から襲ってきた
そのまま、落とした首を丸呑みにして、失った首を即座に生やす。
(頭が、増えた)
尾の先端から、第二の頭が生えている。
二股ではなく、胴の両端に首を持つ大蛇の姿を見て、セツは顔をしかめた。
「あまり良くないな」
気がつけば、援護の式神が減っている。
(さて――)
体躯の差ゆえに、大蛇の攻撃は躱す以外の選択肢がない。
とはいえ、それ自体はさほど難しくない。速度こそ凄まじいものの、直線的に飛び掛かってくるだけのものだ。
射かけられた矢を斬り払えるセツにすれば、恐れるようなものではない。
しかし。
(同時に攻撃を仕掛けられると、少々キツいか)
二方向からの攻撃となると、紙一重での回避は危険だ。
とはいえ、大きく躱すと反撃が一呼吸ほど遅れてしまう。
「どうするか……」
鎌首をもたげた大蛇を見据えながら、セツは思案する。
牙を剥き、正面から己を睥睨する大蛇。
それを見上げる視界の端で、側面からこちらを伺うもう一つの頭を捉える。
道世が操る
(動きが悪い。道世様に何か不調が……うん?)
セツの耳が、ふと細石を蹴立てる足音を捉えた。
道世ではない。
視界の端で捉えていた蛇頭へと、人影が躍りかかったのは次の瞬間だった。
「助太刀する!!」
剛剣一閃。
その人影は、尾側の頭部を一太刀で落としてみせた。
「ジャァア――ッ!!」
怒りの声を上げて、正面の顎門が闖入者に牙を剥いた。
それを転がるように回避して、声の主がセツの許へと駆けてくる。
その姿を見て、セツは目を丸くした。
「あなたは」
「先ほどは、失礼した」
照れたように笑うのは、身の丈
彼は、新たな頭を生やした怪異を見て、その顔をしかめるが、声に怖じた気配は微塵もない。
二人は、肩を並べて大蛇を睨んだ。
「
「
「
最小限のやり取りをして、二人は左右に展開する。
それを追って、双頭の大蛇は各々の獲物へと牙を剥いた。
◆
双頭の大蛇と渡り合う二人の姿に、道世は小さく息をついた。
(頭が増えた時にはどうしようかと思いましたが……)
完全に不意を突かれたあの一瞬。
咄嗟に狐に化けさせた防壁を、薄紙同然と破られた時の焦燥は、出来れば二度と味わいたくはない。
(本当に助かりました)
式神二体を失った反動で、右耳が死に、左手の指が麻痺している。
加えて呪力を大きく削られたため、大きな術は一度か二度が限度だろう。
そんな状況で得られた守任の助太刀は、正しく当千の価値があったのだ。
彼の助けを得たことで、大蛇側に傾きつつあった天秤が元に戻った。
いや、こちら側に大きく傾いたと言えるだろう。
明らかに動きが鈍くなった大蛇を見て、道世はそう思う。
「胴の両端に頭を備えては、それも当然でしょうが」
頭を増やしても、胴は一つしかない。
それぞれが勝手に動けば、互いが邪魔となるのは自明の理。
あれならば、体を二つに分けた方がよほどに効率的だろう。
「蛇の集合体なのだから、身を割くことは出来るはず」
それをしないのは、何故か。
現に
蛇のカタチを得た時点で、陰の気は怪物としての存在を確立している。
「まあ、単に知恵が足りないだけかも知れませんが」
前後の頭が同時に牙を剥き、無防備に胴を伸ばす様を見て、道世は呆れたように呟いた。
危なげなく牙を避けた
セツはもちろん、守任も難なく大蛇の首を落としてみせる。
それを見て、道世は淡い苦笑を浮かべた。
「まったく――」
化け物相手に一歩も退かず、どっしりと構えた巨躯から繰り出される剛剣は、端から見ても寒気のする威力を宿している。
頑丈そうだが何ら霊的な力のない太刀で、鬼気をまとった蛇身を両断する様に、道世はかつて抱いた畏れを思い出す。
「武芸一つで妖を斬ってみせる。そんな者が、果たしてどれだけいるか」
少し前の自分なら、一笑に付して終わりだった考え。
今は、真面目に否定出来なくなりそうで、少し恐ろしい。
(まあ。それ程の使い手が増援なのを喜ぶべきでしょう)
しかも、増援は守任だけではない。
南棟の屋根の上に、道世は二つの人影を捉えていた。
距離があるため、その顔をハッキリとは見ることは出来ない。しかし、その内の一人が誰であるかを彼は知っている。
(あんな少年が、二人もいて堪るかという話ですから)
少年。そう少年だ。
セツと同じ年頃の少年が、弓を手に、従者とともにこちらを見ている。
その手にしている弓が、三人張りの剛弓であることを道世は知っていた。
「一応、繋いでおくべきでしょうね」
助けてくれるのであれば、これ以上心強いことはない。
陰陽師は、無事な右手で一枚の符を取り出すと南に投じた。
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