第22話 縁(中)
慢心の誹りを恐れずに言うのなら、もはや戦いの趨勢は見えている。
よほど大きく状況が変わらない限り、自分たちの負けはない。
そう確信して、セツは刃を振るう。
(と言っても、その“よほど大きく”はいつ起きてもおかしくないか)
頭がいきなり増えたのだ。
今度は体も別れて二体に増えてもおかしくない。
「予想外のことが起きる前に、片付けてしまいたいな」
呟いて、牙を横に躱した。
すれ違い様に、その顎門に刃を差し込む。水平に振り抜いた。
顎から上を失って、墨染めの蛇身がのたうつ。
さらに蛇の胴を輪切りにするが、その断面から新しい頭が生える。
「ううむ」
すかさず切り離された己の一部を呑み込む蛇に、セツは低く唸った。
やはり燃やすなりしないとキリが無い。
道世の術が頼りだが。
(さっきから、式神の動きが目に見えて悪くなってる)
術者の不調が反映されているのだろう。
式神を破られた反動か、別の理由か。いずれにせよ、今、陰陽師に頼り過ぎるのは良くないとセツは判じる。
ならばどうするかという話だが――
「ん?」
守任を援護していた
何か話があるのかと、大蛇から距離を取る。
「調子は?」
「大不調です。後一度、大きな術を使えば品切れですね」
「なるほど」
素直で結構と、セツはうなずいた。
変に強がられると状況が見えなくなるので、この方がありがたい。
「今後の動きについての策は?」
「申し訳ありませんが、火呪で焼き払うのは一度が限度。その後に“おかわり”が生じたら詰みとなるでしょう。確実を期すのであれば――」
「先に
セツは眉間に皺をよせた。
先ほどから蛇の頭部に刃を入れること十数回。
最悪、全ての小蛇を斬り滅ぼせば
「少々、時間が掛かりますよ?」
「今、何をしようと考えたのかは敢えて訊きませんが――」
「――手助けを頼みました。
「……南に陣取っている人が、それですか」
道世が新しい式神を飛ばしたのには気がついている。
その行き先を目で追うようなことはしないが、推測は出来る。
(さっきから、凄い気配がするからな)
あれが味方でなくて、別の怪異だとしたらセツは逃げることを選択する。
その巨大な気配に、最初は
何者だろうと思っていたのだが。
「気がついていましたか」
「さすがに気がつくでしょう、アレは」
「ですよね」
印象は、嵐を前にした空のようだった。
見上げる者に畏れを抱かせ、同時に心を沸き立たせる巨大な気配。
万人をひれ伏させる威と、万人を惹き付ける光を同時に併せ持つ何者か。
敢えて正体は尋ねずに、セツはうなずいた。
「分かりました。
「ええ。かなり派手なことになるでしょうから、驚かないように。それと、
「分かりました」
一度、道世の元に飛び、さらに守任を援護する馬の上空を経由して大蛇に向かう。
その嘴には、糸巻きが咥えられていた。
さらに数度旋回。ぐるぐると念入りに巻き付ける。
「よし」
二体の式神で縛れるのかと、セツは考えない。
陰陽師は出来ると判断した。ならば、疑いなく動くのがセツの役割だ。
「シャァアアアア――ッ!!」
擦過音を聞きながら、セツは大蛇への間合いを詰める。
尾側の頭が、何事か動こうとしたようだが守任に阻まれている。
その様子を視界の端で捉え、セツは笑みを浮かべた。
京に来て良かった。
(あれほどの達人に会えるとは)
世間は広い。
ぴんっと糸が張り詰めて、大蛇の首を括る。指先に符を挟んだ道世が鋭く告げた。
「鎖となりて、縛り封ぜよ。急急如律令!!」
投じられた符が、糸に貼り付く。
先ほどの封陣に比べ、一段も二段も劣る拘束術。
それでも、ほんの僅かな間、墨染めの大蛇の動きを封じた。
そして。
「――――」
セツは見た。
もがく大蛇の頭部。その眉間を撃ち抜いた矢を。
鏑矢だろうか。
鏃の根元に筒が取り付けられていたのを、彼の目は捉えていた。
どれほどの勢威を持っていたのか。突き立った矢は深く――矢羽のあたりまで蛇身に潜り込み、直後、その頭を弾けさせた。
「ハ――」
なるほど、“派手なことになった”とセツは口の端を吊り上げた。
雨のように蛇が降り注ぐ中、金の輝きを探す。
――空中でくるくると回る金の
間合いに捉える。
銀の一閃が澄んだ音を立てた後、離脱するセツの前で蒼い炎が吹き上がった。
◆
夕暮れ時の空。
市楼に据えられた大太鼓が三度鳴らされて、
人々を追い出しに掛かる市人の声を背に、セツたちの乗った牛車は緩やかに門を出た。
流石に疲れたので、帰りはセツも車上の人だ。
元々、四人乗りの車である。特に狭いということもない。
「大丈夫ですか?」
「ええ。屋敷に着く頃には治っていますよ」
「嘘を言わないでくださいまし」
夫の強がりを一言で切り捨てて、
その泣きそうな顔を見て、道世が困ったように頬を掻いた。
「そんな顔をしないでください」
「ですが、わたくしが
「言わなければ、先ほどの一件での犠牲はどれ程となっていたことか。そこは、悔いるようなことではありませんよ」
「…………ですが」
狭くはないが、そんな夫婦のやり取りを間近で聞かされるのは、とても居心地が悪い。
物見窓から車外を眺めていると、ふと視線を感じた。
目をやれば、
普段と異なる華やかな袿姿に目を奪われながら、セツは首を傾げた。
「どうした?」
「特に何も。あなたは怪我はないのよね?」
「うん。難といえば、事情を話しに行くのが面倒なくらいだな」
「そう」
ちなみに、助っ人の守任はそそくさとあの場を離れ、南棟の何者かはいつの間にか姿を消していた。
状況を説明できるのはセツたちだけだ。それでも、いったん解放されたのは、道世の身分がしっかりしているからだろうか。
(そういえば、どういう立場なんだろうな)
陰陽寮に出入りしているが、官職を持っている様子はない。
関白の命を受けて動いているが、家人というわけではなさそうだ。
それなのに、陰陽寮の術士を差し置いて、
「……ん」
いつの間にか、目を閉じて俯いていた。
眠気を飛ばそうと、セツは顔を上げて首を振る。しかし、瞼が重い。
「着いたら、起こしてあげるわよ」
「う……わるい」
思っていた以上に疲労していたらしい。
眠気に思考が溶かされていく。
横からの声に素直にうなずいて、セツは目を閉じた。
「……ああ、そうだ」
ふと思い出し、何とか目を開ける。セツは袂からそれを取り出した。
「これ……」
紐状の薄い布だ。髪を括るのに使うとか。
白を基調としたそれは、両端付近に浮織りの桔梗文があしらわれている。
買い物の待ち時間に覗いた
「私に?」
「ん。さっきはわるかった」
言うだけ言って、セツは目を閉じた。
ふと、頬に何か柔らかい感触を感じたが、正体は分からない。
「馬鹿ね。気にしていないといったでしょう」
優しい声を聞いた気がした。
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