第23話 縁(下)
日暮れとともに、市の門は閉ざされる。
人々は家路に着き、喧噪はゆるやかに薄らいでいく。
といっても、それは中央四町のみの話だ。
それを取り囲む外町には、あたりが暗くなった後も、変わらず営業を続ける場所が多い。
むしろ、日暮れからが本番と活気を増すところもあるほどだ。
調子の外れた歌声に、やんややんやと喝采が上がる。
冷やかすような野次が飛び、時には怒号と罵声が殴り合う。
そうした喧噪の合間をすり抜けるように歩いていた守任は、進路上に顔をしかめて立つ女を見つけた。
その表情に回れ右することを考えるが、彼女が守任の許に駆け寄る方がずっと早い。
「まったく、無茶が過ぎます」
「……
「どうした、ではありません!」
彼女――伽耶は、守任の物言いに柳眉を逆立てる。
「あのような場所で、命をかける必要などないでしょう」
「無辜の民が危険に晒されていたのだ。見過ごすわけにはいかんだろう」
むくれた顔の伽耶から逃れるように、守任は脇道に足を踏み入れる。
彼女の小言が追い掛けてきた。
「あの場の者たちは、守任殿が守るべき者ではありません。お役目を考えれば、安易に危険に飛び込むものでは――」
「まあ、そう言うな。弱きを守るのが
「――っ、ズルいです。そういう」
わずかに声をうわずらせ、伽耶が口ごもる。
(まあ。実際、オレが助太刀に入らずとも、あれ以上の被害は出なかっただろうが)
声に出さずに胸中で呟く。
その立役者――
雷の如き剣閃。背筋を凍らせる技の冴え。
剣を交えたなら、どうなるだろうか。
(無論、敗れるつもりはないが……勝てると言い切れるほどの自信もないな)
その少年と共にいた陰陽師。
あれも手練れだと、彼は眼差しを鋭くする。
術を破られた時の反動は、術がもたらす恩恵に釣り合わないほどに重いという。それは、式神についても例外ではない。
そのため、使役する式神を破られた術士は、大抵の場合、反動に耐えきれずに気を失ってしまう。悪ければ、そのまま死に至ることもあると聞く。
(にもかかわらず、あの陰陽師は失神どころかそのまま戦い続けた)
しかも、破られたのは一体ではない。二体の式神を同時に失い、それでも残る二体を操り続けた術士。
その力量はいかほどだろうか。
並大抵の使い手ではないことくらい、守任にも分かる。
(さらに言えば……)
大市廊の南棟から矢を射かけた何者か。
距離があったため、顔を見たわけではない。しかし、会えばすぐに分かるだろう。
あの凄まじい気配を思い出すだけで、守任の背に嫌な汗が流れる。
「守任殿?」
「……あン? ああ、どうした?」
「難しい顔をされていますが……もしや、どこかお怪我を」
「いや。そうではない」
急に黙りこくった己に不安を覚えたらしい。
眉をハの字にする伽耶に、守任は小さく笑って手を振った。
「なに。吉次様の言っていたとおりだと思ってな」
「吉次様の……?」
うなずいて、彼は頭上に目を向ける。
路地から見上げる
星は見えず、月も同様だ。
天を塞ぐ雲に舌打ちをして、守任は低く呟いた。
「まったく、陸奥には鬼が棲むなどと、
「あのような怪異、早々あるとは思えませんが」
「そう願いたいところだな」
伽耶の勘違いを訂正することなく、守任はうなずいた。
予感がある。きっと、あの少年たちとはまた出会うだろう。
「できれば」
「?」
「できれば、次も肩を並べたいものだな」
その願いが天に届くかどうかは、分からない。
◆
「はは。アレを見たか景季殿! 人を簡単に丸呑みにする大蛇だぞ!! 何と恐ろしい!!」
「全然、恐れているように見えませんが……」
両手を広げ、こんな大蛇だぞと無邪気に笑う。
その姿を見て、この少年が三人張りの剛弓を引く
一度弓を手に取れば、万人をひれ伏させる覇気をまとう彼。しかし、満面の笑みを浮かべるその様子は、まるで童子のようだった。
「よろしかったのですか? 名乗りもせずにあの場から離れて」
「もちろん。俺が、彼らの手柄を横取りするわけにはいかないだろう」
化け物退治の功績は、あの三人のものだと少年は言う。
「しかし、若の一矢があればこそ、では?」
「分かっていて聞いているな? 今は稽古の時間ではないぞ」
少年がにやりと笑った。途端に雰囲気が変わる。
童子のように笑っていた少年は、瞬時に
これだから恐ろしいと、景季は内心でため息をつく。
「化け蛇の牙に身をさらし、果敢に太刀を振るい続けた
「しかし――」
「何度も首を落とされて、それでも堪えた様子のない化け蛇だぞ。頭を吹き飛ばしたくらいで死ぬものか」
食い下がる景季に、少年は肩をすくめて笑った。
実際、陰陽師は頭を失った蛇身を術で焼き払っている。
「あれほどの大火を喚べるのならば、そもそも俺の一矢など要らないはずだ。それなのに、件の陰陽師殿は、こちらの“蒸気矢”を見て案を出してきた」
蒸気筒を取り付け、命中と同時に爆ぜる仕掛け矢。
その使用をわざわざ指示してきたからには、蛇の頭を吹き飛ばすのが重要な一手だったのは間違いない。
だが、それは大蛇に痛打を与えるためとか、そういう単純な話ではないはずだと彼は続けた。
「では、何を狙ったと若はお考えで?」
「うん。あの化け蛇は首を落とすどころか、灰にしても蘇るような不死性を持つのだろう。とはいえ、無条件での不死などありえない。そこには、必ず何かの絡繰りがあるはずだ」
「つまり、その絡繰りの要が蛇の頭にあったと?」
景季の言葉に、少年はそのとおりとうなずいた。
そして、己の一矢は要の破壊では無く、隠れたソレを曝け出すのに使われたのではないか。
そう言って、彼は口の端を吊り上げた。
「つまりは、露払いだな。そして、本命は別」
蛇の頭が吹き飛び、その肉片が雨のように降り注ぐ中、全く躊躇なしに踏み込んだ
詳細は分からないが、彼が空中にある何かを斬ったのが決め手だと彼は続ける。
「いや。それにしても、あの一閃は凄かったな」
「…………」
遠目にも惚れ惚れとするような最後の一閃。
それを放った
己の手柄のことよりも、そちらの方がずっと大事と言わんばかりの様子に、景季のため息は深まる。
(……若の言うことにも一理はあるのだろう)
最後の一閃を放った少年、そしてもう一人の偉丈夫は、共に相当な手練れだったのは景季も認めるところだ。
猛者揃いの我が主――少年の父親の家中でさえ、あれと渡り合える者が何人いるか。
陰陽師の方も、陰陽寮にいてもおかしくない腕前だ。
ならば。
(おそらく、若の助けがなくとも、あの化け蛇は討ち取られていた)
だが、と彼は思う。
精密な射に向かない“蒸気矢”を、狙い過たずに
(どちらも誇って然るべき)
そして、それがあったからこそ、速やかな決着となったのも事実だ。
だから、少年が自分の手柄ではないと口にするのに、景季は不満を覚える。
「俺の弓が無意味だった、とは思ってないよ」
「……は」
そんな自分の胸中を察したのか、少年はそんな顔をするなと笑う。
ただ、と彼は少しばかり寂しげに言葉を続けた。
「ただ、あの場に残って名乗りを上げたら、本来賞賛を受けるべき者達を押しのけて、俺の名前だけが広がるだろう」
「それは――」
「父上の子として、恥ずかしくない武名をとは思うし、そう努めてきたつもりだ。その結果、多少なりとも俺の名前は知られるようになった」
「はい」
多少どころではない。
そして、それゆえに景季は少年の懸念を否定できない。
「命を張った者たち、真に評価されるべき者たちが、名のある者に功績を奪われて隅に追いやられる。そんなのは、嫌だ」
「若……」
「景季殿の言葉は嬉しいが、今回はああすべきだと俺は思った。それに、俺の弓働きは、景季殿が知っている」
「……出過ぎたことを申しました」
何の問題もないだろうと本心から口にする少年に、景季は頭を垂れた。
近い将来、彼を主と仰ぐこととなる喜びを噛みしめる。
「次に会ったとき、胸を張って肩を並べたいからな」
「また、どこかで顔を合わせる機会があると?」
「うん。きっとまた会える」
そう断言する少年の名は、
八幡太郎と渾名される、源氏の御曹司である。
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