第44話 夕虹(上)
道世から渡された符を、懐にしまいこむ。
落下制御の符。
龍神の生み出した嵐の中では、空を自由に飛ぶことは不可能だが、符の加護があれば墜落死は何とか避けられる……かも知れないとか。
気休めのお守りと思ってください、と道世は肩を竦めて話を続けた。
「機会は一度だけです。墜落死は免れたとしても、地に落ちた貴方を拾って再び挑む
「はい」
うなずくと、道世が“太郎坊”を龍神の頭上で旋回させ始めた。
こちらが飛び移るためには、出来る限り近づく必要があるが、あまりに接近し過ぎれば、何かの拍子に叩き落とされかねない。
その見極めに神経を削がれているだろう背中を見つめる。
「…………」
無理をさせているという自覚はある。
そもそも、彼は十二方陣の維持に専念するために“太郎坊”の操縦をセツに任せたのだ。
さらに言えば、大市廊での一件の後遺症も残っているはず。
一杯一杯だろうに、それをおくびにも出さない道世に、セツは内心で深く頭を垂れた。
「セツ……」
飲み込んだのは、制止の言葉か、別の何かか。
何とも言い難い表情を見せる彼女に、セツは笑みを見せてうなずいた。
「
「……お父さまをお願い」
「御武運を」
二人の言葉にうなずいて、セツは静かに息を吸った。
目を細める。
「――行きます」
告げると同時、虚空に身を躍らせた。
風が耳元で唸り声を上げる。嵐の空を真っ直ぐに落下しながら、セツは太刀を抜き放った。
このまま行けば、着地点は狙い通り龍神の上となるだろう。
少なくとも、飛び移り損ねて地面まで真っ逆さまということはあるまい。
ただし。
(空中でアレの餌食にならなければ、だけど)
龍神の身体で蠢く瘴気。
それが、縒り集まって蛇の形を取っている。
体こそ小さいものの、その在り方はかつて遭遇した墨染めの化け蛇によく似ていた。
一斉に鎌首をもたげ――こちらに牙を剥く蛇の群れを冷めた目で見つめる。
「はン――」
蛇を形作っているのは、龍神の瘴気じみた神気だ。
しかし、近づく者を迎え撃つその動きには、どこか人間的な臭いが嗅ぎ取れる。
大方、“幌金縄”を用いた何者かの仕込みなのだろう。
薄らと見え隠れする何者かに向けて、セツは牙を剥き出すように笑った。
「ハ――」
意識を研ぎ澄まし、空中で太刀を構える。
一斉に飛び掛かってくる
一つ。
大きく開いた顎に刃を滑り込ませる。そのまま、上下に断割した。
二つ。
側方から回り込んできた牙を身を反らして躱す。間髪入れずにその胴を輪切りとした。
身体を捻り、振った太刀の重みを利用し、あるいは懐にしまった符の加護を以て、体を捌く。
さらに、三つ、四つと瘴気の蛇を細切れにして――
「――っ」
衝撃。
足裏が、龍鱗を踏みしめる。
同時に焼け付くような痛みを覚え、セツは顔をしかめた。
炎の中に足を突っ込めば、こんな感じだろうか。
蛇の形を取らずとも、蠢く瘴気が人身を貪ることに変わりはないのだろう。
(だから、何だ)
足がなくなったわけではないし、身動きが取れなくなったわけでもない。
すでに打ち身だ何だで全身が痛いのだ。
今更、痛みが一つ増えたところで何の支障があるものか。
要は、我慢すれば良いのだ。
そんな理屈で這い上がってくる痛みを噛み潰し、セツは太刀を握り直す。
しっかりと踏みしめた左足を軸に、身体ごと旋回。
――横薙ぎの一閃。
かつて、半身たる愛刀と成した絶技を此処に。
積み重ねた
「――――ッ!!」
円を描いた剣閃が、そのまま波紋の如く周囲に広がった。
それは、神事に先立つ禊ぎの如く、一部ではあるものの龍神の身体を清めて見せた。
蠢いていた瘴気が消え去って、代わりに真っ白な鱗に包まれた龍身が姿を現す。これが、龍神本来の姿なのだろう。
そして。
「――あれか」
純白の鱗に食い込みながら、グルリとその身に巻き付いている黄金の縄。
先ほどから龍神を抑え込んでいる光環に似た、しかしそれよりもずっと細い戒め――“
捉えた標的。することは一つだけ。セツは、駆け出した。
「…………っ」
進路上で、鱗の隙間から瘴気が滲み出す。
蛇の形を取ろうと縒り集まるそれらを踏み潰し、さらに前へ。
一太刀で終わらせる。
噴き上がる戦意に突き動かされるまま、蒼い耀きを振り上げて――
(間違って鱗まで斬っても、そこは不可抗力ということで)
――ひと息に振り下ろした。
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