第43話 武士と陰陽師(下)

 龍神の身体を捕らえる三重の光環。

 その金色の輝きを見据え、セツが慎重な操作で“太郎坊”を龍神に寄せていく。


(とりあえず、これで)


 道世は、術の維持に全霊を懸けながら、龍神の様子を見つめた。

 荒れ狂っていた風雨はその勢いを大きく減じ、迸る稲妻も鳴りを潜めている。

 束の間ながら、戒めは機能しているようだ。


「お父さま!!」


 五夜さやが、拘束を解こうと身をよじる龍神に呼びかける。

 しかし。


(声が届いていない)


 おかしいと、道世は眉をひそめた。

 “触れられるほど”とまでは流石にいかないが、“太郎坊”は龍神のすぐ近くまで距離を詰めている。

 必死に張り上げられた声が、届いてないはずは無い。

 だと言うのに、五夜さやの父親たる龍神は、身をよじるばかりだ。


「……道世さま。今、あの龍神さまを拘束している術は、苦痛を与える類のものですか?」

「いいえ。もちろん、抑えつけられる不快はあるでしょうが、傷を負わせるとか、そういったものでは――」

「俺には、あの龍神さまは、怒っているというより、苦しくてもがいているように見えるんですが」


 龍神が、狂乱している理由。

 それは、“真火筒”に焼べられた怒りではなく、現在進行形で曝されている苦痛によるものではないか。

 そう告げたセツの言葉に、道世は低く唸った。


五夜さや殿は、呼びかけを続けてください! セツ殿、“太郎坊”をもう少し寄せられますか?」

「はい!」


 さらに接近する。

 龍神の体表面で、半ば瘴気と化して実体化した神気が蠢いていた。

 無数の蛇や蟲が絡まり合い、貪り合うかの如きおぞましさ。

 見るだけで正気を削っていくその様子に顔をしかめながら、道世は龍神の身体に視線を走らせる。


「首のところに、何か絡みついてるような」

「――っ! あれは」


 セツの言葉に、視線を向けた先――龍神の首に巻き付いているものに気がついて、道世は目を見開いた。

 それは、金色の縄だった。

 人の腕ほどの太さを持つとはいえ、龍神の巨体に比すれば何ということのない、簡単に引き千切ることが出来るだろう代物が、蠢く瘴気をものともせずに、龍神の首を絞め上げていた。


「――――っ!?」


 思わず呻きがこぼれる。その正体を、道世は知っていた。

 高陽院かやのいんから流出した呪具のひとつ。


「……“幌金縄こうきんじょう”」


 唐の時代、天竺に経文を求めて旅をした高僧とその従者たち。

 そんな彼らに降りかかった数多の試練の一つにおいて、妖が用いたとされる宝貝。その名前を、道世はうんざりとした口調で呟いた。


「全く……本当に」

「あれが、龍神さまを苦しめている原因?」

「そのよう――っ、離れてくださいっ!!」


 警告を発すると同時、光環の一つに亀裂が入った。

 咄嗟に回避行動を取った“太郎坊”のすぐ近くを、剥離した光の欠片が飛んでいく。

 人の身体よりも大きなソレが、溶けるように虚空に消えるのを見届けて、道世は舌打ちをした。


(もう光環の一つが半壊した。そう長くは保ちませんね)


 大きく揺らいだ術の影響で、意識が白く染まりそうになる。

 爪が掌に突き刺さるほどに拳を強く握りながら、道世は口を開いた。


「“幌金縄こうきんじょう”……正確にはその模造品です。元々は鴨川の暴れ龍を抑えるために宋から手に入れたものだとか」


 緊縄呪によって発揮されるその拘束力は、鬆縄呪しょうじょうじゅによる解除を用いなければ、神仙であろうとも逃れることの出来ない強力なものであるという。

 もっとも、所詮は模造品。龍を完全に封じるほどの力はなく、中途半端な拘束は逆に怒らせるだけだと、結局お蔵入りとなった代物だ。


「もっとも、不意を突けば一時的に動きを封じることも出来るでしょう。そして、拘束は出来ずとも首に絡みつけば――」

「上手く息が出来なくなって、苦しむ?」


 セツの言葉にうなずく。

 仮にも龍神である。首を絞められただけで死ぬようなことは無いだろうが、それでも苦しいものではあるのだろう。


(“真火筒”に焼べられて、大きく消耗した状態なら尚のことか)


 そして、苦しみもがいている状況では、娘の声が届かずとも仕方あるまい。


「――――っ」


 亀裂の入っていた光環が、完全に砕け散った。

 その反動で意識が飛びかけるのを堪え、道世は歯を食いしばる。

 残る拘束は二つ。

 今から、さらに戒めを重ねるような余力はない。

 どうするかと考えている彼に、五夜さやが視線を向けた。


「つまり、あの縄を切れば何とかなるということね?」

「ええ。そうなります。ただ――」


 彼女は道世が最後まで言い終える前に、己の父親にその手を向けた。

 指先から白雷が生じ、縒り集まって球雷を形成――大気が弾ける音か響いた。

 そして。


「ただ、十二方陣に拘束されている今は、外部から術や神通力の類でどうこうするのは不可能です」

「……っ」


 虚空で消散した稲妻に、道世はため息をついた。

 十二方陣による拘束は、龍神による稲妻の発現を封じるとともに、外部からの術的な働きかけを遮断している。

 それを超えて干渉しようと言うのであれば、それこそ十二方陣を打ち破るほどの出力が必要となるだろう。

 道世の言葉に、五夜さやが悔しげに唇を噛んだ。


「術で無理なら、直接破ることは?」

「可能ですが……っと、セツ殿?」


 声とともに急上昇を始めた“太郎坊”に、道世は慌てて船縁を掴んだ。

 似たような姿勢の五夜さやと顔を見合わせる。その間にも機体は高度を稼ぎ、龍神の頭を見下ろすほどの高さに至っていた。

 肩越しに振り向いたセツと目が合う。


「操縦を代わってもらえますか?」

「…………」


 ため息がこぼれ落ちる。

 彼の思考がどういうものかは、道世もとうに理解している。そして、危険だ何だという問答が無意味だということも。

 さらに言えば、今はその問答の暇すら惜しい。


「機会は一度だけです」


 そう告げた彼に、武士セツは十分だと笑ってうなずいた。

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