第45話 夕虹(下)


 ――真っ白な閃光が、世界の全てを灼き祓った。


 あらゆる音が消え失せ、天地が砕けて回る。それでも己が消し飛ばずに済んだのは、握りしめた太刀のおかげだろうか。

 そんな益体のない思考を自覚した瞬間、セツは目を見開いた。


「――――っ」


 気絶していたのは、ほんの一瞬だろう。

 何しろ今、自分は空中にいる。長々と気を失っていたなら、とうに地面に激突しているはずだ。

 そう考えながら、頭を巡らせると龍神の威容が目に映る。

 その身を拘束していた光環が、一つだけになっていた。


(二つ目の拘束が破られて、その時の勢いで宙に投げ出されたか……)


 耳元で風が唸りを上げる。

 落ちる速度が随分と緩やかなのは、道世からもらった落下制御の符と渦巻く風の影響だろうか。

 そんなことを考えていると、ふと龍神と目が合った気がしてセツは目を瞬かせた。


「…………っ!?」


 全身が総毛立つ。

 大気を通じて伝わってくる桁違いの力に、本能が全力で警鐘を打ち鳴らす。

 今感じているものが発露されれば、その余波だけでセツの身魂は微塵に砕かれるだろう。

 無駄と知りながら、セツは咄嗟に太刀を構え――


『――――――ッ!!』


 雷鳴のような咆吼が大気を震わせた。

 直後、龍神から生じた純白の烈光が、真っ直ぐに天を貫く。

 一瞬だけ閃いて消える稲妻ではない。

 下手に直視したら目が潰れかねない程の光が、柱を成して雲を吹き飛ばし、どこまでも高く伸びていく。

 その熱が生み出した暴風に煽られて、木の葉のように翻弄されながら、セツは目を細める。


(最後の戒めも砕かれたか)


 強烈な光の中心にいる龍神を直視することは出来ない。

 だが、辺りに飛び散って行く光の欠片を見れば、何が起きているのかくらいは分かる。

 言うまでも無い、龍神が自由を取り戻したのだ。


「後は任せた」


 “幌金縄”は断ち切った。

 その手応えを思い出しながら、遠目に捉えた“太郎坊”に言葉を投げる。

 今なら、五夜の声も届くだろう。


(……何とか怒りを鎮めてくれれば良いけど)


 我ながら虫の良いことを考えながら、風に身を任せることにする。

 落下は、驚くほどに緩やかだ。これなら墜落死することもあるまい。

 何しろ先ほどから全く高度が落ちていない。それどころか。


「……むしろ上昇してるような」


 より正確には、何かに引き寄せられている。

 自分の身体が引っ張られている先へと目を向ければ、そこには光を放ち終えた龍神の姿があった。


「確かに、五夜さやのお父上だな」


 真白の龍。

 瘴気に包まれていた先ほどまでとは別物の美しい姿。その威容を改めて眺め、セツは納得したとうなずいた。

 龍神と再び目が合う。


『礼を言わねばなるまいな』


 脳裏に響いた声は、思いのほか柔らかく穏やかなものだった。

 もっとも、聞いているだけでひれ伏したくなる重みは、かつて対面した藤原頼通関白の声と同質のものだ。

 気後れを感じつつ、セツは首を横に振る。


「礼などと。この度は、大変なご迷惑を」

『そちらについては良い。我を捕らえたのが人間であるならば、解放に尽力したのも人間だ。均衡は取れている。多少の時を失いはしたが、我にとっては些細なもの』


 どうやら、お怒りではないらしい。

 苦笑交じりの思念を受けて、セツはほっと息をついた。

 気がつけば、風雨が止んでいる。

 太刀を鞘に納めながら、彼は空を見上げた。


(……久しぶりに青空を見たな)


 京の空を塞いでいた雲が、根こそぎ消え去っていた。

 青空というには、少々夕暮れ時の色味が強いが、それは平安京たいらのみやこで初めて目にする晴天だった。


『我が娘は、あまり器用な方ではない。寄る辺のないこの地では、おそらく迷子になっていたであろう。それを助けてくれたことには、礼を言わねばな』

「――――セツ!!」

『……まあ、いずれ、そなたに奪われるやも知れんが』


 声に視線を動かせば、“太郎坊”が目に入る。

 龍神そっちのけでセツの方に向かうその動きと、五夜さやの声に、思念に交じる苦笑の度合いが深まった。

 何となく恐縮しながら、伸ばされた五夜さやの手を取って“太郎坊”に戻る。


「たすか――」

「怪我は!?」


 半ばのし掛かるように、五夜さやがセツの身体に触れる。

 “機巧甲冑”との一戦で全身打撲となっている身としては、物凄く痛い。

 だが、そんなことより視線が恐い。

 大丈夫だと彼女を押し留め、セツは龍神へと視線を向けた。


「こっちは大丈夫だ。それより、もっと大事なことがあるだろう?」

「ぁ……」

『心配をかけたな』

「お父さま」


 我に返った五夜さやに、穏やかな思念が投げかけられる。

 ようやく言葉を交わすことができたと、感極まった様子で彼女は目に涙を浮かべた。


「――――」


 思念での会話をしているのだろうか。

 言葉はないものの、うなずきを返し、はにかむように笑みを浮かべ、あるいは顔を赤らめたりと、何やら百面相を見せる五夜さや

 その邪魔をしないよう、そっとセツは道世の方へと移動した。


「……お疲れ様でした」

「道世さまこそ、ご負担が大きかったでしょう。操縦を代わりましょうか?」

「いえ、それには及びません。こんな機会は早々ありませんし、セツ殿は休んでいてください」


 肩越しにこちらを見る道世が、笑って首を横に振る。

 “こんな機会”の下りが本音だろうなと何となく察し、セツは彼の言葉に甘えることにした。

 眼下に広がる光景を眺める。


 蒸気機関都市――平安京たいらのみやこ

 空を塞ぎ宙を舞う灰と、枯れることのない万華に彩られし灰艶ノ京。

 その街並みが陽光を受けて煌めく様は、普段と異なる美しさを誇示していた。


「……とりあえず、これで終わり、ですか?」

「ええ。洛中に“鋼蜘蛛”と“大鉄牛”が一機ずつ現れたそうですが、そちらも徹殿たちが対処したようです。一応は、一段落といったところでしょうか」


 式神を通じ、地上の様子を聞いたらしい。

 やれやれと肩を竦める道世の言葉に、セツは大きなため息をついた。

 それにしても、と思う。


高陽院かやのいんからの流出呪具、迷惑過ぎませんか?」

「だから、回収の命が下っているんですよ」


 ハハハと道世が笑う。

 その背中を胡乱な目で見つめ、セツは首を横に振った。


『さて、そろそろ退去することにしよう』

「もう、よろしいのですか?」

『他者の縄張りに、あまり長居をするものではないからな』

「そう、ですか」


 龍神から飛んで来た思念に応えながら、チラリと五夜さやの方へと視線を向ける。

 父親を見つめる少女の顔に、以前のような張り詰めた昏さはない。


「……何?」

「いや」


 首を傾げる五夜さやに、セツは首を横に振った。

 一緒に帰るのかと問えば、彼女はもう少しここにいると微笑んだ。


「一応、顛末を見届けるくらいはしたいもの」

「そっか。そうだな」


 答えにほっと息が零れる。

 圧力のある視線を感じて顔を向けると、龍神と視線が交錯した。

 五夜さやの父親は、牙を剥くような笑みを浮かべていた。


『いずれ、また会うことになるだろう。それまで息災でいることだ』

「はい」

『……ああ、そうだ。ひとつ意趣返しをしておくか』

「?」


 龍神が笑いを含んだ思念を飛ばしてくる。

 首を傾げたセツは、次いで告げられた言葉に目を丸くした。


「…………っ」

『まあ、どうするかは好きに決めれば良い』


 ぐるりと、龍の巨体が京の空を旋回する。

 その動きで生じた突風に、道世が慌てて“太郎坊”の姿勢を制御した。

 その頭を西へと向けて、龍神は咆吼を上げる。


『――――っ!!』


 雷光が閃く。

 思わず閉じた目を開いた時には、すでに龍神の姿はどこにもなく。



 ――代わりに大きな虹が一つ、西の空へと架かっていた。

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