第46話 思い描く未来

 唐突に嵐が止んでから、一刻30分ほどが過ぎた頃。

 早池根守任はやちねのもりとうは、“大鉄牛”の背に乗って鴨川を渡っていた。

 もちろん、彼一人だけではない。

 その傍らには伽耶かやや、十名以上の武士もののふたちの姿がある。さらに後方に目を向ければ、その背に数名の武士もののふたちを乗せた“鋼蜘蛛”が追従している。。

 いずれも守任にとって、大事な同胞――戦友である。


「予想外の足止めでしたが、何とかなりそうですね」

「……そうだな」


 守任は川の流れに目を落としながら、伽耶かやの言葉にうなずいた。

 先ほどまでの嵐の影響で、鴨川の水量は随分と増している。当分の間は、生身での渡河は不可能だろう。

 しかし、鋼の巨軀を持つ機巧兵器であれば話は別だ。

 その重量ゆえに流れに負けることもなく、一歩ずつ着実に前進していく。


(それでも、当初の予定からは遅れに遅れているが)


 彼らが渡河地点として選んだのは、一条大路を東に抜けた先となる。

 付近に橋はない。普段であれば、歩いて渡れる程度の水位しかないためだ。


 吉次が見越したとおり、龍神や機巧兵器の出現に対し、朝廷は内裏の安全確保を最優先事項とした。

 そのため、鴨川に架かっている橋――鳥辺野からの蒸気供給路たる五条大橋や、東国への玄関口となる三条大橋には兵を配置しているものの、橋のない場所にまでは手が行き届いていない。


 ゆえに、彼らの脱出を阻む人的な障害は皆無と言って良い。鴨川を渡って東に抜ければ、京からの脱出は成ったも同然と言えよう。

 だというのに、嵐が収まってから川を渡っているのは、随分と間の抜けた理由からだった。


(まったく――)


 守任は、内心で苦笑する。

 黒き龍が喚んだ嵐は、狙いどおりに彼らを朝廷の目から隠してくれた。

 しかし、その嵐によって水位を増した鴨川が、京から脱出しようとする足を止めさせたのは、どんな皮肉だろうか。

 結局、機巧兵器ならば何とか渡れる程度になるまで、守任たちは指を咥えて待つ羽目に陥っていたのだ。


「問題は、嵐が止んでからの一刻30分ほどの間に、俺たちが発見されていた場合だな」

「奇襲に備え、見張りに残した者たちがおります。……それに、よほどの戦力でなければ、何もさせずに制圧できますので大丈夫でしょう」


 今、この場には、二〇名近い手練れの武士もののふたちがいる。

 さらに“鋼蜘蛛”と“大鉄牛”が各一機、守任が身に纏っているものを含め“機巧甲冑”が二領。

 朝廷が機巧軍を繰り出しでもしない限り、早々敗れることはないはずだ。

 だから、伽耶かやの言は正しい。

 そのはずだ。それなのに。


 ――嫌な予感が止まらない。


 一度過ぎ去った後、わずかな晴れ間を経て再び牙を剥く大嵐のように、まだ終わっていないと脳裏で警鐘が鳴り響いている。

 だから、背後――鴨川の右岸に築かれた堤防に人影を捉え、それが見張りに残した者たちでないことを悟った時、守任は状況が詰んだことを理解した。


「敵しゅ――――」


 咄嗟に上げた警告は、雷鳴のような轟音に掻き消された。

 直後、後方を歩んでいた“鋼蜘蛛”の機体がひしゃげ、さらに内側から弾けるように吹き飛ぶ。

 蒸気とともに、砕けた鋼と、武士もののふたちであった何かが混ざり合いながら飛び散った。


「――――っ」


 そこからの行動は、ほぼ反射に近いものだった。

 守任は、咄嗟に左腕で伽耶かやの腰を抱くように抱える。

 さらに右手で大太刀を掴み、“大鉄牛”の背から跳躍――背中の匣笈はこおいから蒸気を噴射して、対岸へと身体をかっ飛ばす。


(――届けッ!!)


 “大鉄牛”がいたのは、鴨川の半ばを過ぎたあたり。

 蒸気噴射による大推力を得ているとは言え、人一人を抱えた状態で届くかどうかは微妙だ。

 だからと言って、伽耶かやを離すつもりはない。

 祈るように対岸を睨む守任の背後で、再び爆音が轟いた。

 

 ――鋼が砕ける音。

 “大鉄牛”の蒸気筒が弾け、圧縮蒸気が爆裂する。

 その爆圧に背を叩かれて、守任の身体が加速した。


「ぐ、ァアアアアアアアア――――ッ!!」


 獣じみた咆吼が口をついて出る。

 対岸に至り、地面を踏みしめた足裏が、ぬかるみに溝を刻みつける。

 着地の勢いを殺せぬまま、守任と伽耶かやは川縁の草むらの中へと突っ込んだ。


「……伽耶かや、怪我はないか?」

「は、はい。だいじょう――――っ」

「…………」


 転がったせいで、草まみれ、泥まみれになった身を起こした伽耶かやが、小さく息を飲んだ。

 その視線を追って目にした光景に、守任も呻き声をこぼす。


 そこにあったのは、“大鉄牛”と“鋼蜘蛛”の変わり果てた姿だ。

 鋼の装甲で鎧われているはずの機体が、ひしゃげ、砕け、大穴を開けて川に倒れ込みつつあった。

 無論、その背に乗っていたはずの武士もののふたちの姿はない。

 機巧兵器とともに砕かれたか、川に落ちたのだろう。

 守任とは別の一人が“機巧甲冑”を身に纏っていたはずだが、その姿も確認することは出来なかった。


「なにが……」

「見つかっていたか」


 一番無防備な渡河中を狙われたのだろうと、視線を対岸に向ける。

 堤防の上に陣取っている人影は、一〇を超えていた。

 油断なくこちらを見ているらしき彼らは、見慣れないものを堤の上に運び込んでいた。

 大きな匣に取り付けられた鉄の筒。

 距離があるため、詳細は分からない。

 ただ、それは二人にとって見覚えのあるものだ。


「あれは、“鋼蜘蛛”の……」

「蒸気砲だろうな。どうやら、砲だけのようだが」


 伽耶かやの呟きにうなずく。

 彼らは、こちらが奪い取った機巧兵器への備えとして、蒸気砲を持ち出して来たらしい。


(京の中なら、蒸気砲を一、二発撃つ程度の蒸気は確保できるか)


 そして、その威力なら、機巧兵器であっても一撃で破壊できる。


「……吉次さまは、正しかったな」

「守任さま?」


 武士もののふたちを指揮している者を見て、守任は苦笑を浮かべた。

 源頼義の気力を削ぐために、“大鉄牛”を屋敷に送り込んだ吉次。

 その行いを承服することはできないが、あの少年を排除しようとした判断は正しかったと認めざるを得ない。


 かつて、大市廊で肩を並べた何者か。

 今は、敵手として相対する者。


 そして、近い将来、蝦夷にとって最強の敵となる者。


「――――源義家」


 その名を心に刻みつけるように、守任は低く呟いた。





 初撃で“鋼蜘蛛”を、次撃で“大鉄牛”を撃ち砕く。

 それで、賊徒どもの掃討は完了した。

 一見、何の苦もなく終わった一戦。しかし、実のところ紙一重の勝利であることを、義家は誰よりも理解していた。


「……機巧兵器の戦いは、恐ろしいな」

「はい」


 ポロリとこぼれ落ちた呟きに、景季がうなずく。

 二人は、残骸と成り果てた機巧兵器を見つめ、次いで堤の上に据えられた鉄の大筒に視線を移した。


 蒸気砲。


 “鋼蜘蛛”に搭載される武装を、単品で借り受けて来たものだ。

 機巧兵器を動かすことは許されなかったため、ならば武装だけでもと頼み込んで二門を確保したのだが、大正解だったと義家は思う。


「まったく、冗談のような威力だな」


 “蒸気矢”ではビクともしなかった“大鉄牛”を、たった一撃で鉄くずに変える破壊力。

 それを“鋼蜘蛛”は、動き回りながら連続して行使することが出来るのだ。

 そのことに、義家の背筋は寒くなる。

 もしも、こちらが先に見つかっていたら、結果は真逆となっていただろう。


(……危ういな)


 先手を取った方が優位となるのは、機巧兵器での戦闘に限らない。

 だが、その優位の度合いが少々外れているのだ。

 先に見つけて撃てば、それで相手を撃破できる大火力戦。

 戦において常に先手を取ることが困難である以上、その戦いに安定して勝つには、先手を取られてなお敵を圧倒できる数を確保する必要がある。


(そうして大量の機巧兵器が闊歩する戦場は、文字通りの地獄になるだろう)


 鍛えた肉体、極められた武芸、そんなものに意味など無い。

 一騎当千、万夫不当と畏れられる武士もののふが、砲撃一つでごみのように吹き飛ばされる様を想像し、義家は吐き気を覚えた。


「義家さま、よろしいでしょうか」


 そこに、遠慮がちに声を掛けてくる者がいた。

 鈴木重良。

 “大鉄牛”相手に囮役を務めるほどの胆力を持つ武士もののふだ。

 その彼が、どういうわけか気後れした様子を見せている。


「どうした?」

「はっ、戦果をご報告申し上げます。二度の砲撃により、“鋼蜘蛛”及び“大鉄牛”を撃破。また、機巧兵器に乗っていた敵兵は、尽くが川に落ちたものと思われます。ただ……」

「うん。続けてくれ」


 言い淀んだ重良に、気後れの理由を察する。

 先を促すと、彼は肩を落としながら言葉を続けた。


「申し訳ありません。“機巧甲冑”に身を包んだ敵兵を逃しました。追撃のご許可を頂けますでしょうか」

「駄目だ。相手はすでに対岸に移っている。“機巧甲冑”相手の白兵戦になれば、満身創痍の我々に勝つ見込みはない」


 これ以上、家中の者を失うわけにはいかないと、義家は首を横に振った。

 この場にいる者たちは、彼を含めて消耗しきっている。

 何しろ“大鉄牛”の襲撃を受けた後、化け物の鬼気に当てられ昏倒し、目が覚めてからは、風雨に打たれながら敵を探し回ったのだ。


 また、負傷者も多い。

 実際、義家の隣に立つ景季も“機巧甲冑”に身を包んだ木偶人形によって、浅くない傷を負わされている。

 さらに、鬼気に当てられて“大鉄牛”から落下した際、左腕を折る大怪我までしていた。

 もっとも、そのおかげで“大鉄牛”の爆発から逃れたのだから、何が幸いするかは分からないと言えようが。


 何はともあれ、もはや限界だ。疲弊した体を、気力だけで動かしている者ばかりな状況を考えれば、これ以上の戦闘は無謀でしかない。


「そもそも、追撃しようにも川を渡るには、三条大橋まで行く必要がある。それほどの遠回りをしては、さすがに追いつけまい。この辺りが潮時だろう。撤収の準備を頼む」

「……御意」


 悔しげに項垂れる重良の肩を叩く。

 顔を上げた彼にうなずいて、義家は対岸へと目を向けた。


(逃がしたのは二人。“機巧甲冑”を身に纏った武士もののふと……女だったな)


 報告を受けるまでもなく、義家も“大鉄牛”から離脱した武士もののふの姿を目にしている。

 完全に不意を突いたあの状況で、一瞬の躊躇もなく動いたのだ。

 よほどの手練れだろう。


「ここで無理をして、機巧兵器戦の経験を持つ武士もののふを失うわけには行きませんからね」

「うん」


 立ち去る部下を見送りながら、景季の言葉にうなずく。

 彼が口にした内容は、まさに義家が考えていたとおりのものだった。


 新しい戦の在り方を見越し、備える。

 そのためには、この場に居合わせた者全員の力が必要だ。


「それに――」


 義家は、賊徒どもが逃げた先へと視線を送る。

 鴨川の向こう側。

 高野川沿いに北東へ抜けるのか、あるいは白山道を通るのか。どういった経路で移動するのか分からない以上、何とも言えないが――


「――このまま、逃げ切れるとは限らないからな」


 その呟きは、夕焼け空に溶けて消えたのだった。



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