第47話 鬼神

 二度、遠雷の轟きを聞いた。

 いや、“遠雷のような”と言うべきだろう。


 見上げた先には、見事な夕焼け空。

 先ほどまでならばともかく、雲一つない今の様子で、雷が鳴るとも思えない。

 ならば、音の正体は何なのか。セツには、心当たりがあった。


「……砲声」


 以前、鳥辺野とりべので嫌というほど聞いた音だ。

 聞き間違えたりはしない。


(鴨川で、戦闘が始まったか)


 音の聞こえ方で位置を掴んだ、というわけではない。

 戦闘が起きるとしたら、鴨川付近となることをセツは知っていただけだ。

 そして、戦っているのが、源義家であることも。

 何しろ、賊徒の居場所を彼に教えたのは、セツ――正確には式神を通じて情報を届けた道世なのだから。


『六衛府はもちろん、検非違使庁についても、今は内裏を守るため動けません。京職に関しても同様です。我々が知っている中で、賊徒に追いつける可能性があるのは、義家殿だけでしょう』


 その見立ては正しかった。

 元々、賊徒の意図は、混乱に乗じた京からの脱出だと踏んでいたらしい。

 そのため、鴨川の近くで賊徒の捜索を行っていた義家は、道世からの情報を得ると即座に追撃に向かったそうだ。

 その結果が、聞こえてきた砲声なのだろう。


 セツたちが、賊徒の居場所を知っていた理由は簡単だ。


『我を炎に焼べた者どもは、今――』


 意趣返し――あるいは置き土産として、去り際に龍神が残していったお告げのおかげである。

 ちなみに、賊徒が鴨川で足止めされていたのは、彼の川に棲む龍神の嫌がらせらしい。何でも、川の水位に干渉していたとか。

 さすがは、暴れ龍といったところか。


(……龍神って恐いな)


 五夜さやも似たようなことが出来るのだろうか。

 怒らせないよう、気を付けよう。

 改めて肝に銘じていると、周囲に陰が落ちていた。

 秋の日が落ちるのは早い。とは言え、どうやら随分と呆けていたらしい。


 結局、聞こえた砲声は、最初の二発だけだった。

 果たして、戦闘の結果はどうなったのか。

 その答えは、近づいてくる鋼の音が教えてくれるだろう。


(本当に、道世さまの見立てはすごいな)


 状況からの推測か、占術の類か。

 待つのなら、この場所が良いだろうと告げた慧眼に感服する。

 そして、セツはその人影と対峙した。


(一人、か)


 鴨川の上流――高野川に沿って延びるこの道に、機巧兵器や多数の人間が隠れられるような場所はない。

 離れた場所にもう一人、何者かが潜んでいる気配があるが、距離を考えると気にする必要はないだろう。

 ゆえに、相手は一人だけ。


 セツもまた、道世や五夜さやと一緒ではない。

 ゆえに一対一。無言のまま、近づく姿を観察する。


 鋼に覆われた、身の丈六尺180cm超の巨体。

 その手に携えた、大人の背丈ほどもある大太刀。

 相当な重量があるはずなのに、それを感じさせない軽やかな足取り。

 蒸気をまとって進むその様は、“機巧甲冑”に他ならない。


(本当に?)


 ふと、そんな疑問が脳裏を過った。

 西の空は、まだ辛うじて明るさを残している。

 しかし、迫り来る夜のとばりは、すでに辺りを覆いつつあった。


 近づく人影を捉えることは出来る。

 しかし、その顔を判別するのは難しい。


 ――がれどき


 人と魔が交じりう時間。

 さて、こうして対峙する相手は、本当に人なのだろうか。

 セツの口許が、知らず微かに綻んだ。


「…………」


 鋼の鬼が、五間10m弱ほどの間合いを置いて、足を止める。

 遠い、とは思わない。“機巧甲冑”ならば、一足で詰めるだろう。


「――――」


 ゆっくりと息を吸う。

 太刀を抜き放ち、冴え冴えとした耀きを正眼に構えた。


 相手が大太刀を構えて応じる。

 大上段。

 地に根を張るかのような、堂々とした立ち姿。

 伝わってくる脅威は、“機巧甲冑”の有無など関係あるまい。

 し潰すような剣気に、セツは小さく息をついた。


(……ああ)


 覚えのある構え。

 覚えのある剣気。


 一度だけとはいえ、肩を並べた相手だ。

 間違えようもないと、セツは相手の正体を看破する。


 ――早池根はやちねの守任もりとう


 なぜ、という疑問はお互い様だろう。

 だが、それを問うことはしなかったし、されなかった。

 今日は敵だった。それだけの話だ。

 事、ここに至っては、交わすべき言葉などない。

 故に――


「ハァ―――ッ」


 先手を取ったのは、守任だった。

 蒸気噴射による推力と、強化された脚力。その力が、鋼に覆われた巨軀を、一瞬で運ぶ。

 咆吼を伴った踏み込みの重さが、地を揺らした。

 唸りを上げて、巨刃が迫る。


(やはり、速い)


 初見であったなら、ここで勝負が着いていただろう。

 尋常でない速度に戸惑い、一瞬後には縦に両断されていたはずだ。

 しかし、セツが“機巧甲冑”を相手取るのは、本日二度目。

 既にその速度を識っている。ならば、対応できない道理はない。


「……っ」


 身体を横に振って、打ち下ろしの刃を躱す。

 唸りを上げる斬風とすれ違うように、セツは大きく踏み込んだ。

 大上段からの一撃だ。空振りに終われば、致命的な隙が生じるはず。

 そこを狙う。


「ハァ――っ!!」

「ぬ、ン!!」


 繰り出した刃が火花を散らした。

 一瞬だけ明るくなった視界に、鋼の腕が焼き付くように残っている。

 白刃を腕で払いのけた守任が、身体を旋回させた。


「ぐっ」


 唸りを上げて襲い来る蹴りを、セツは後方に跳んで躱す。

 少々無理な体勢からの回避だが、この程度でけるような無様はしない。

 守任との距離が開く。が、まだ相手の間合いの内だ。

 気を抜くことなく、太刀を構え直し、息を整える。

 追撃はなかった。


(さて、どうしたものかな)


 一合を経て見えたものに、セツは内心で唸り声を上げた。

 やはり、力、速度共にこちらが負けている。

 大振りの隙を狙った結果がこれでは、手の出しようがない。このままでは、ジリ貧となるだろう。

 ならば、どうするか。考えて、セツは結論を出した。


 ――真正面から斬り伏せる。


 中途半端に隙を狙うからマズいのだ。

 剛剣相手に腰が引けていては、斬れるものも斬れなくなる。

 攻撃の隙を突くのではなく、その攻撃ごと叩き斬る気概が必要だ。


 そんな冴えた考え脳筋理論に基づいて、セツは太刀を構え直した。

 調息。精神を研ぎ澄ませる。

 胸の奥に点る炎を感じた。

 それは、純粋な戦意だ。ただ、眼前の敵を斬り伏せるという意志。

 恐れや怒り、憎悪、あるいは焦りといった余分を切り捨てて、最後に残る色のない炎。


「アアアアアアアア――――ッ!!」


 こちらの気配から何かを察したのか、守任が咆えた。

 一度開いた間合いを、“機巧甲冑”の出力によって捻じ伏せる。

 大地よ砕けよと強く踏み込んで、今一度、大上段からの剛剣。


「――――」


 セツに、声はなかった。

 胸中で燃え盛る炎を力とする。しかし、凪いだ水面の如き平静を保つ。

 するりと、一歩、踏み込んだ。


 ――迫り来る大太刀を、静かな剣で迎え討つ。


 斜めに斬線が走った。

 頑強極まりない巨刃が、蒼い剣閃に断たれて虚空を舞う。

 さらに、一歩踏み込む。

 手首を返し、斬り上げた刃を袈裟斬りに振り下ろす。


「――なっ!?」


 神速の二連撃。

 守任が、驚愕に目を瞠った。

 それでも反応して見せたあたり、やはり尋常な腕前ではない。

 彼は、強固な装甲に守られた左腕を、咄嗟に盾として翳す。


 しかし、セツの刃は止まらない。


「――――ッ!」


 蒸気と血飛沫が、暗がりに飛び散った。



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