第48話 星の煌めき

 ――その夜、平安京たいらのみやこは、久方ぶりの星空に沸いていた。


 貴族たちは、騒乱の後始末もそこそこに、急遽開かれることとなった歌会や観月、星見の会に繰り出していく。


 庶民たちも、負けていない。

 滅多に見ることの出来ない――童子ならば、目にしたことすらないかも知れない――輝く夜空に、飲めや歌えやと道端に集まって大騒ぎをしていた。


 何しろ、機会は今夜くらいしかないのだ。明日になって都市機能が復旧すれば、空は再び灰色に塞がれてしまう。

 嵐が過ぎ去った開放感もあってか、人々は楽しげに夜を満喫していた。



 そんな空気に溶け込むように、賑やかな通りを一台の牛車が進む。

 造りこそ網代車あじろのくるま――中級貴族向けのものだが、妙に立派な牛に引かれていた。

 目端の利く者が、どこのお大尽のお忍びだろうかと、その行方を目で追いかける。

 その傍らを、道世は滑るような足取りで歩んでいた。


「――以上が、この度の一件に関する概要となります」

「ご苦労だった。和殿そなたにもずいぶんと面倒を掛けたな」

「ええ。見合った報酬をお願いします」

「ははは」


 ねぎらう言葉に遠慮なく返答すると、車の中で軽やかな笑い声が上がった。

 続いて告げられた“期待していろ”との言葉に、道世は当然だとうなずいた。


 今は陸奥みちのくに下向中である源頼義みなもとのよりよしが屋敷への“大鉄牛”襲撃。

 龍神の出現によって、みやこの都市機能が麻痺するという大事件に発展した今回の一件は、概ね、最善の形で収束を見せたと言って良い。

 ご褒美を期待するのは、当然と言えよう。


 とはいえ、懸念がないわけではない。


「……盗まれた機巧兵器は、全て回収、破壊できたようだが、“真火筒”が一つ足りないとか」

「はい。頼義殿の屋敷を襲った“大鉄牛”の……、つまり龍神を封入していたであろう“真火筒”ですが、残った残骸を確認したところ、以前、鳥辺野とりべのに現れた“鋼蜘蛛”のものが用いられていたようです」


 では、“大鉄牛”に本来載せられていた“真火筒”は、どこにいったのか。

 言うまでも無い。賊徒どもの本拠地に持ち去られたと見るべきだろう。

 そして、その本拠地がどこかと言えば、まだ明確な証拠は見つかっていなかった。


「さすがに、素性を明らかにするような下手は打たないか」

「はい。捨て駒に使われた機巧兵器は、死霊が宿った木偶人形が操っていましたし……その死霊も、彼らに繋がるものではありませんでした」


 洛中に現れた機巧兵器――“鋼蜘蛛”と“大鉄牛”の御者は、いずれも木偶人形だったという。

 宿っていた死霊が何者かを陰陽寮の者が探ったところ、前陸奥守さきのむつのかみである藤原登任ふじわらのなりとうの家人であったそうだ。

 もっとも、これは利用されただけだろう。

 車の中から深いため息が聞こえた。


「……登任なりとうも哀れよな。寺に入って、余生をのんびり過ごした方が良かろう」

「本命であったらしき京を脱出しようとしていた者たちも、生け捕りは出来ていません」

「仕方あるまい」


 義家の追撃を受けた者たちは、軒並み砲撃で吹き飛ぶか川に落ちている。

 敵に追撃を察知されるわけには行かなかったため、見張りに残っていた者たちも有無を言わさず殺している関係上、彼らの素性は闇の中だ。


「まあ、予想はついているがな」

「そうですね」


 不用意に口に出したりはしないが、道世もその予想に賛成だった。


 ――蝦夷の民。

 十中八九、陸奥みちのくの奥六郡を治める安倍頼時あべのよりとき――あるいは、その背後にいる者たちの一派だろう。

 今回の一件が、今後どのような影響を生み出すか。


「次の戦は荒れるだろうな」

「機巧兵器が暴れ回る戦場は、これまでとは比較にならない血が流れるでしょう」

「やれやれ、堪らんな」


 主が、うんざりとした口調でぼやく。

 そこには諦めの色が濃い。源頼義は言うまでも無くやる気満々だ。

 参議たちの中にも、利権目当てで開戦に向けた根回しをしている者が見受けられる。

 それを見越して蝦夷側が準備を始めているのなら、もはや大戦は避けられまい。


「……そういえば、今回の功労者、渡辺切わたなべのせつと龍神の娘は、どうしていようか?」

「ああ、あの二人でしたら――」


 暗い話はもう十分、ということだろう。

 少年少女のことを問う主に、道世は楽しげな口調で答えた。





 中天に上った月に負けじと、色とりどりの星が瞬いていた。

 今にも降ってきそうな満天の煌めきを、セツはぼんやりと見つめる。


「眠らないの?」

「……ん」


 すでに、子の刻0時を過ぎている。

 背後から掛けられた五夜さやの声に、セツは空を見上げたままうなずいた。


「何となく、目が冴えてて」

「そう」


 後、動きたくない。

 立ち上がろうとすると、全身打撲の痛みが襲ってくるのだ。

 これでも平気な顔をしているつもりだが、果たして隠せているのかどうか。

 そんな彼の強がりを知ってか知らずか、彼女はそれ以上何も言わない。

 代わりに、傍らに腰を下ろした。


 濡れ縁に並んで腰掛け、星空を眺める。

 ふわりと、わずかに甘い香りがセツの鼻腔をくすぐった。


「……そういえば、脚の調子はどうなの?」

「ん? ああ、大丈夫。痛みもないし……何か変な痣になってたけど」


 言いながら、セツは袴を引っ張った。

 辺りが暗いため見えないが、彼の脛の辺りには、蛇が巻き付いているような痣が残っている。

 半ば瘴気と化していた神気に脚を突っ込んだ結果らしい。

 もっとも、当初の灼け付くような痛みはない。神気が浄化されたせいだろうとは、道世の言だ。

 ちなみに、もしも龍神が完全に狂っていたなら、今頃、セツの両脚は腐り落ちているとのことだった。恐すぎる。


「うん。大丈夫そうね。お父さまの神気に負けて、変に侵食されている様子もない。どちらかと言うと、加護を受けている形になっているみたい」

「そっか。何かよく分からないが、ありがたいな」


 じっと、己の脚を見つめた五夜さやの言葉に、セツは笑う。

 似たようなことを、道世からも言われたのを思い出す。


(修練次第で雷に乗ったり、風を蹴ることも出来るとか何とか)


 他にも歩くだけで邪気を祓えるとか、そんなことも言っていた。

 今ひとつ、ピンと来ないので置いておく。


「……お父上、と言えば、戻らなくて良いのか?」

「何? 帰って欲しいと言う意味?」


 五夜さやの目に険が宿った。

 そんなわけあるかと、セツは手を振って続ける。


「“顛末を見届けるまで”と言っていたから、大丈夫なのかと思っただけだよ。一応、今回の事件は終わったワケだろう?」

「あら、全てが決着したわけではないでしょう。結局、お父さまに狼藉を働いた者たちは取り逃がしているわけだし」

「まあ、な」


 言われて、苦笑いを浮かべた。

 実のところ、セツは守任に止めを刺していない。正確には、刺せなかった。

 左腕を失いながら、距離を取った守任。

 出血に膝をついた彼に、引導を渡す直前で横やりが入ったのだ。


『悪いが、今ここでこの男を失うわけには行かぬでな。“機巧甲冑”はお返しする故、これ以上の追撃は勘弁しておくれ』


 そんな声とともに突如生じた黒い霧。

 それが晴れた時には、“機巧甲冑”の残骸だけが取り残されていたのだ。

 正確には、自分が斬り落とした守任の左腕もあったなと、セツは思い出す。

 そのうち、取り戻しに来るかも知れない。


(いや、別に保管とかしてないけど)


 そんなことを考えていると、「それに」と五夜さやが続けた。


「私たちは、人よりもずっと永い時間を生きます」

「うん」

「だからといって、こうして重ねる日々が軽いわけではないけれど、寄り道に使える時間は、人間あなたたちよりもずっと多い」

「まあ、そうだろうな」


 立ち上がり、彼女は微笑みをこちらに向ける。


「それこそ、人の一生分くらいは何の問題にもなりません。覚えておきなさい」

「それは――」


 どういう意味か。

 その言葉を、セツはすんでのところで飲み込んだ。

 それを聞いてしまうのは、流石に無粋だということくらい彼にも分かる。

 代わりに何か気の利いたことを言おうとして――諦めた。


「そっか」

「ええ。そうよ」


 くすりと笑って、部屋に戻っていく背中。

 それを無言のまま見送って、セツは再び星空を仰いだ。ため息がこぼれる。

 我ながら情けないが、今に始まった話でもない。


「精進しないとな。……色々と」


 目を細めて独りごちる。

 今回の件で、何やら因縁めいたものが生じたように思う。

 特に守任とは、またまみえることになるだろう。


「まあ、いずれの話か」


 ほぅ、と息をつく。

 何はともあれ、今回はこれで幕引きだ。

 世に事は多い。高陽院かやのいんから流出した呪具は、まだまだ沢山あるらしい。

 きっと、すぐにはた迷惑な事件が起きるのだろう。

 それでも、日々は留まることなく流れていく。


 ――天喜二年九月ながつき


 みやこに上って来た少年は、己が未熟な子どもであることを自覚して、ほんの少しだけ大人になった。

 しかし、彼が歩む道先は、未だ灰色未定のままだ。


 その色を定めるには、もう少しだけ時間が必要なようだった。

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灰艶ノ京~平安蒸気幻想奇譚~ 鉢棲金魚 @hatisumi

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