灰艶ノ京~平安蒸気幻想奇譚~

鉢棲金魚

序 はばたくもの

第1話 雛鳥の夢

 綱で引かれた舟が、ゆっくりと淀川を上っていく。

 入れ違うように、瀬戸内からやって来た大船が姿を見せた。

 緩やかに外輪を回し、波と風を切り裂いて進むその船は、十年ほど前から見られるようになったものだ。

 とはいえ、数は多くない。

 蒸気船を運用できる財力を持つ者など、京でも片手で数えるほどしかいないのだ。


 そんな超お大尽専用の大船が吐き出す黒煙を、セツはぼんやりと眺めていた。

 少年である。歳の頃は、十代半ばといったところ。

 直垂ひたたれくくばかまと町人のような軽装だが、腰には一振りの太刀を佩いている。

 いつもなら、蒸気船の威容に目を輝かせるその顔は、今は憂鬱そうに陰っていた。


「……みやこか」


 行ってみたいなぁ。

 そんな言葉が、ポロリと口をついて出る。

 彼の意識は、眼前の川を遡った先にある花の都へと飛んでいた。


 平安京たいらのみやこ

 日本ひのもとの中枢。帝のご威光と蒸気の力によって、終わりなき栄華を誇る灰艶はいえんみやこ


 京に憧れを抱く者は多い。

 渡辺の地にある武士もののふの子が皆そうであるように、渡辺綱わたなべのつなの武勇伝を聞いて育ったセツも、“いつかは自分も”と胸に野望を秘めている。


 また、京の繁栄を支える蒸気機関にも興味津々だ。

 ここで目に出来るのは蒸気船くらいだが、洛中では車を引く鉄牛をはじめとして、様々な絡繰りの姿があるという。

 最近では、とある陰陽師が鳥のように空を飛ぶ乗り物を拵えたとか。

 そうした話を耳にする度に、セツの憧れは一層強まっていく。


 しかし。


「うらやましい」


 思い出すのは、先日、淀津よどのつ行きの船に乗った兄貴分たちの笑顔だ。


 滝口武者。

 あるいはその従者として、誇らしげに上洛していった彼らに追いつくのは、きっと何年も先のことだろう。


(まあ、仕方ないけど)


 年若い未熟者を出仕させては、一党の名に瑕が付く。

 自分だって、それくらいの道理は分かる。

 だから、置いて行かれた不満は飲み込む。

 飲み込んだ結果、腑の中で無念は鬱屈と積み上がり――


 セツは、深いため息をついた。


 先達の武勇伝に胸を躍らせ、蒸気の絡繰りに目を輝かせるも、立ち塞がる現実にため息をつく。

 彼――渡辺切わたなべのせつは、そんなであった。





 摂津国せっつのくに渡辺津わたなべのつ

 淀川の河口部に設けられた港であるこの土地は、かつては大陸の使節を受け入れるための鴻臚館、今は国府が置かれる要衝として知られる。

 瀬戸内と畿内の都市を結ぶ水運の重要拠点、あるいは淀川の渡河地点や熊野三山を詣でる路の起点として、水陸を問わず多くの人々が往来する土地だ。


 ゆえに、ここには様々なものが集まる。

 それは、人や物や金であったり――


「……化け物を封じた瓢箪ひょうたん、ですか」


 妖や呪具、あるいはソレらがもたらす厄介事だったりする。


 上洛する兄貴分たちを見送ってから数日が過ぎた後のことだ。

 京から一人の客人が訪れた。

 名を、賀茂道世かものみちよという。陰陽師だ。


 年齢不詳。

 若いようにも老いているようにも見える水干姿の男の言葉に、セツは目を瞬かせた。

 主の命を受け、彼に渡辺津を案内する最中、何の気なしに訪問理由を訪ねたのだが、予想外の返答であった。

 少年の反応を見て、道世は含み笑いをこぼす。


「ええ。先日、さる貴きお方の屋敷に賊が入りまして。全く、面倒なものを盗んでいったものです」

「どうして、ここにあると?」

「はは。占いは我々陰陽師の専門分野ですよ……と言いたいところですが、鬼気の残滓を追いかけたところ、渡辺の地に至ったというのが本当のところです」


 道世が懐から一枚の符を取り出した。

 式神により痕跡を追跡した結果なのだと、彼は肩をすくめる。

 

「今のところ、鬼気はここに留まっている様子。とはいえ、さすがは瀬戸内最大の港、渡辺津は人の活気で満ちている。この中から薄まった鬼気を元に細かい位置を割り出すのは一苦労でして――」

「ははぁ……」

「しかも、賊が身を隠すのに使えそうな建物も多い。これ以上は独力での追跡は難しいと考えまして、皆さんに助力を請うたのです」

「ああ。なるほど」


 鬼気云々は今ひとつピンとこなかったセツだが、最後の話は理解できる。

 追跡を容易にするため、土地の者を頼ったのは確かだろう。

 だが、それだけではあるまい。


 ここ渡辺津は、渡辺党の本拠地だ。

 そこをみやこの陰陽師が我が物顔でうろついた挙げ句、勝手に倉を踏み荒らすようなことがあっては、一党の面目は大いに傷つく。

 そのあたりのことも踏まえ、挨拶がてら案内役を所望したのだろう。


(……そこはどうでも良いか)


 良くはなくても、興味は薄い。


 気になるのは、“化け物を封じた瓢箪ひょうたん”の方だ。

 渡辺津に、その手の物が流れてくるという話は、セツも聞いたことがある。

 ただ、実際に関わるのは今回が初めてだ。

 もしかして、妖と斬り結ぶことになるのだろうかと、少年は佩刀の柄にそっと手を触れた。


 指先がわずかに震えている。

 それを隠すように、ギュッと拳を握った。


「……どうして、賊は瓢箪なぞを盗んだのでしょうか?」

「さて……、値打ち物に見えたとは思えないので、封じられていた化け物に操られたのかもしれませんね」


 ――賊に会ったら聞いてみましょうか。

 どうでも良さそうな口調で、年齢不詳の陰陽師がうそぶく。


「……ところで、この辺りの倉は何を納めているので?」

「ここは……荷揚げされた穀物をいったん保管するための場所、です。ええと、淀津よどのつに向かう舟に乗せるまでの間の」

「なるほど。それが淀津から鳥羽作道とばのつくりみちを通ってみやこに運び込まれ、最終的に私たちの口に入ると」

「はい。まあ……」


 何が琴線に触れたのか、倉の連なりを見つめながら、道世が繰り返しうなずく。

 その様子に若干引いていたセツは、ふと目を細めた。


(見張りの姿がない?)


 穀物を狙ってくる人畜どもに備えるため、この区画には常に複数の見張りが配置されている。

 その姿が一人も見当たらないことに、セツの脳裏で警鐘が鳴った。


 争っているような物音は、聞こえない。

 しかし。


「……ほぅ?」


 道世が低く抑えた声を漏らす。

 興が削がれたと不機嫌そうに目を細めた彼は、小さく舌を鳴らして腕を振った。

 投じられた紙片――式符がからすに化けて、空へと舞い上がる。


「先行します!」


 陰陽師が術を行使すると同時、セツは駆け出した。

 数秒ほど進んだあたりで気が付く。


 ――潮風に混じって、鉄錆の匂い。


 直後、何かがまとわり付くような不快感を覚え、セツは顔をゆがめた。

 気を抜くと、手足の力が萎えてしまいそうになる。


(何だこれ!?)


 殺気の類に怖じているワケではない。

 ならば、これが陰陽師が言っていた鬼気というものだろうか。


「――――っ!」


 近づくだけでこれだ。化け物と対峙した時、自分は戦えるだろうか。

 脳裏を過った怖れを噛み潰し、今やむせ返るほどに強まった血の匂いを追って、少年は倉の角を曲がる。


 そして、その瞬間。怖れを忘れた。


「――――」


 最初に目に入ったのは、倉の壁にぶちまけられた赤。

 次いで、地に伏した見張り達の姿。

 大丈夫か、などと声はかけない。人間は、頭をもがれたり、胴を真っ二つにされたら、普通は死ぬ。

 そして、地面に散らばった四、五名分の血肉の向こう側。

 男が一人立っていた。


「あ゛あ゛~」


 白目を剥いて、フラフラと体を揺らす男。

 その様からは、武装した兵士を数名まとめて倒せるようには、とても思えない。

 男の背中から生える、獣毛に覆われた腕を見なければ。


「あ――」


 胸のうちに火が点る。

 それは怒りではなく、憎悪でもなく――無論、恐慌の類でもない。

 言葉にしがたい何かが、セツの中で急激に膨れ上がっていく。


「アアアアアアアアアアアアア――――ッ!!」


 その圧力を吐き出すように、セツは吠えた。

 瞬発する。


 地に広がった血溜まりを蹴散らして、男への間合いを詰める。

 突撃の勢いを乗せて一閃。男を斜めに断割せんと、袈裟斬りに刃を振るった。

 しかし。


「――チッ!」


 後方に三丈ほど10m弱も跳躍した男に、セツは舌打ちをした。

 空振りに終わった太刀を正眼に構え、ゆっくりと息を吸う。

 血の匂いが肺に充満する。


(落ち着け。追い掛けても無駄だ)


 狙うべきは交差法。突っ込んできたところに刃を合わせる。

 そう考えて、機を狙う。

 その視線の先で、男が唐突に泡を吹いた。そして、頭を垂れる。


「は?」

「ゴボッ、ゲ、ゴボッ――――」


 思わず瞬きをしたセツを余所に、男の体がビクリと大きく震えた。

 正面から背中が見えるほどに前屈した姿勢で、何度となく体が跳ねる。

 その度に生木が裂け折れるような音が響き、その背がボコボコと蠢いた。

 そして。


「…………」

「どうやら、瓢箪の化け物はすでに解放されていたようですね。それで、賊に取り憑いたか」


 血しぶきを上げて、男の背中から二本目の巨腕が生える。

 その光景に絶句するセツの背後で、飄々とした声が上がった。


「あれは、何ですか?」

「さて、封じられていた化け物については、私も詳細を知らないのですが……」


 少年と肩を並べ、道世が変形する男の様子に目を細める。

 二人の視線の先で、その背中が、さらに大きく裂けた。もはや開きの状態だ。

 そこから現れたのは、巨大な猿の上半身――


「……どう考えても、賊の体より大きいような」

「うん。アレを見ての第一声がソレなのは、ちょっとどうかと思いますよ」


 ズレた反応を見せる少年に、道世がため息をついた。

 これだから武士は、と呟く声が聞こえた気もしたが、セツは無視をする。

 実のところ、それほど余裕があるワケではないのだ。


 黒々とした獣毛に覆われた猿が天を仰ぐ。

 直後、笛のような甲高い鳴き声を上げた。


「うぇ」


 ヒョウヒョウ、と耳に突き刺さる鳴き声。

 それを耳にしたセツは、強烈な不快感に襲われる。

 もっとも、不快なだけで、今は手足が萎える感じはない。

 そのことに不思議を感じながら、彼は太刀の柄を握り直した。


「……上半身だけなのは、何故でしょうか?」

「封印が解けたばかりで、体を形成する力がないのでしょう」

「つまり、弱っている?」

「ええ。瀕死とは言いませんが、相当に弱体化しているはずです。それと、鳴き声で正体が判りました」

「? 猿の化け物なのでは?」

「いえ。今のなりは猿に近いものですが――」


 道世が男から生えた猿のようなモノを睨む。

 指に挟んだ符を構え、陰陽師は静かに言の葉を紡いだ。


「アレは、ぬえです」

 

 肯定するように、化け物が飛び掛かってきた。

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