第5話 若鳥の巣立ち
その一閃は、炎の奔流を断ち割り――信じがたいことに鵺にまで届いていた。
「……うっそだあ」
――炎が真っ二つに引き裂かれ、僅かに火の粉を残して霧散する。
そんな光景に、道世は力なく呟いた。
確かに符には、炎妖を斬るための術を込めていた。
鵺が放った炎もその身の一部である以上、斬れるのは道理だ。
だからといって、刀の間合いを超えて斬撃を届かせる力などない。
「……いや。硬さのない、炎だからか」
符に込めた呪力がセツの剣気と混じり合い、強力な破邪の力となった。
それが剣風に乗って奔り、実体としては炎でしかない鵺をも斬った。
陰陽師は、目にした光景をそのように分析する。
さすがに物理的な威力はあるまい。ないと思う。多分。
「だとしても、あの距離まで剣風が届くって、そんな馬鹿な」
さすがに一撃必殺とはいかないものの、大きく力を削がれた鵺を見て、道世は何となくため息をついた。
刀では斬れないはずの炎は、今や風前の灯火だ。
圧倒的に鵺が有利であった相性は、わずか一手で逆転している。
――もはや、鵺に勝機は無い。
◆
幾艘もの小船が、海上と浜辺を往復する。
その光景に、道世が感心した様子で声を上げた。
「さすがに対応が早い。練度の高さは折り紙付きですね」
「このあたりは、我々の庭ですから」
少しだけ得意そうな顔で、セツは頬を掻いた。
着水した“太郎坊”から見える浜辺には、手当を受ける船員たちと積み上げられた船荷の姿があった。
船員も船荷も、全てとはいかないが、その大半が回収されている。
それを成したのは、セツの身内――渡辺党の者たちだ。
水上での戦いを得手とする彼らにとって、水難救助や船荷の回収はお手の物である。
あっという間に収拾してみせた彼らには、水軍の名こそが相応しい。
「そういえば、瓢箪が回収出来ていませんが――」
「ああ。化け物が封じられていたのが問題だっただけですから、大丈夫です」
元々、瓢箪自体には何の価値もないのだという。
鵺の討伐に成功しているので、全く問題ないとの道世の言葉に、セツはほっと安堵の息をついた。
そこで、符の礼を言っていないことに気がつく。
「すみません。お礼がまだでした」
海上から目を逸らし、セツは道世に頭を下げる。
「道世様の符がなければ、今頃、消し炭でした」
「いやいや。こちらこそ、君に全てを任せることになって――」
二人して、頭を下げ合う。
そのまま、しばらくお互いを称え合い、謙遜し合い――
ふと我に返って苦笑を交わした。何にせよ、これで事件は解決だ。
だったらいいな。
「…………沈みましたね。蒸気船」
「ええ。これ以上無いくらい完璧に」
ポツリと、セツが笑みを消して呟いた。
抑揚のない声に、朗らかな調子で道世がうなずく。
だが、その頬を一筋の汗が流れていくのを、少年の目は捉えていた。
先ほどまで煙を上げていた大船は、今はどこにも見当たらない。
海底まで潜れば、その姿を確認できるだろう。
「あの蒸気船、
「よくご存じですね。さすがは渡辺の
蒸気船を見分けているセツに、道世が白々しく賞賛の言葉を贈る。
ちなみに宇治殿とは、
つまり、朝廷の実質的な最高権力者である。
「まずいでしょうか」
「……沈んだのは、化け物のせいですから」
それで許してもらえるだろうか。
顔に笑みを貼り付けたまま、こちらから目を逸らす道世に、セツの不安は劇的に膨れ上がる。
「…………」
「…………」
しばしの沈黙。
京から来た陰陽師はボソリと呟いた。
「……まあ、当事者として説明に伺わないとまずいでしょうね」
「ですよね」
何しろ蒸気船は高い。弁償しろとか言われたらどうしよう。
少し考えて、セツは水平線を眺めることにした。
◆
天喜二年
秋が日に日に深まりつつある夜のことだ。
発作が収まると文に目を戻し、再び吹き出すように笑い声を上げる。
男の名は、
従五位下。滝口大夫。
当主ではないが、それだけに身軽な彼は、京と
それ故に、男の許には、様々な相談、厄介ごとが舞い込んでくる。
「何事ですか?」
徹は、ニヤリと口の端をつり上げた。
「
「セツ? ああ、
「三年前に会った時には、もう一端の使い手だったからな。今なら、どれほどになっているか」
家人の言葉に、笑ってうなずく。
最初に会ったのは、七つの時だったかと徹は目を細めた。
守り刀代わりにくれてやった一振りを、大喜びで抜き放ち、盛大に手を切って血まみれになった少年だ。
(子どもに何を渡しているのかと、こっぴどく叱られたな)
彼の母親によるお説教を、セツと二人、並んで拝聴したのを覚えている。
鬼神のような母殿の顔を懐かしみながら、徹は家人へと文を差し出した。
「読んでみるか? 笑えるぞ」
「ははぁ」
受け取った家人が、怪訝そうに文へと目を落とす。
その顔が、またたく間に青ざめていくのを見て、徹は再び笑い声を上げた。
「ちょ、これ!?」
「セツの奴め。また、派手にやらかしたな!!」
「わ、笑いごとでは――ッ!?」
愉快痛快と本気で笑っている様子の主に、家人が悲鳴を上げる。
その顔は、青を通り越して土気色だ。
動転し、震える指先が、文を取り落とす。
ひらりと床に舞った紙片には、中々に衝撃的な一言。
『関白様の蒸気船を沈めました。近々、事情を説明に参ります』
かくして――
京に憧れていた少年は、少し早めの巣立ちを迎える。
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