第5話 若鳥の巣立ち

 その一閃は、炎の奔流を断ち割り――信じがたいことに鵺にまで届いていた。


「……うっそだあ」


 ――炎が真っ二つに引き裂かれ、僅かに火の粉を残して霧散する。

 

 そんな光景に、道世は力なく呟いた。

 確かに符には、炎妖を斬るための術を込めていた。

 鵺が放った炎もその身の一部である以上、斬れるのは道理だ。


 だからといって、刀の間合いを超えて斬撃を届かせる力などない。


「……いや。硬さのない、炎だからか」


 符に込めた呪力がセツの剣気と混じり合い、強力な破邪の力となった。

 それが剣風に乗って奔り、実体としては炎でしかない鵺をも斬った。


 陰陽師は、目にした光景をそのように分析する。

 さすがに物理的な威力はあるまい。ないと思う。多分。


「だとしても、あの距離まで剣風が届くって、そんな馬鹿な」


 さすがに一撃必殺とはいかないものの、大きく力を削がれた鵺を見て、道世は何となくため息をついた。


 刀では斬れないはずの炎は、今や風前の灯火だ。

 圧倒的に鵺が有利であった相性は、わずか一手で逆転している。


 ――もはや、鵺に勝機は無い。





 幾艘もの小船が、海上と浜辺を往復する。

 その光景に、道世が感心した様子で声を上げた。


「さすがに対応が早い。練度の高さは折り紙付きですね」

「このあたりは、我々の庭ですから」


 少しだけ得意そうな顔で、セツは頬を掻いた。


 着水した“太郎坊”から見える浜辺には、手当を受ける船員たちと積み上げられた船荷の姿があった。

 船員も船荷も、全てとはいかないが、その大半が回収されている。

 それを成したのは、セツの身内――渡辺党の者たちだ。

 水上での戦いを得手とする彼らにとって、水難救助や船荷の回収はお手の物である。

 あっという間に収拾してみせた彼らには、水軍の名こそが相応しい。


「そういえば、瓢箪が回収出来ていませんが――」

「ああ。化け物が封じられていたのが問題だっただけですから、大丈夫です」


 元々、瓢箪自体には何の価値もないのだという。

 鵺の討伐に成功しているので、全く問題ないとの道世の言葉に、セツはほっと安堵の息をついた。

 そこで、符の礼を言っていないことに気がつく。


「すみません。お礼がまだでした」


 海上から目を逸らし、セツは道世に頭を下げる。


「道世様の符がなければ、今頃、消し炭でした」

「いやいや。こちらこそ、君に全てを任せることになって――」


 二人して、頭を下げ合う。

 そのまま、しばらくお互いを称え合い、謙遜し合い――

 ふと我に返って苦笑を交わした。何にせよ、これで事件は解決だ。


 だったらいいな。


「…………沈みましたね。蒸気船」

「ええ。これ以上無いくらい完璧に」


 ポツリと、セツが笑みを消して呟いた。

 抑揚のない声に、朗らかな調子で道世がうなずく。

 だが、その頬を一筋の汗が流れていくのを、少年の目は捉えていた。


 先ほどまで煙を上げていた大船は、今はどこにも見当たらない。

 海底まで潜れば、その姿を確認できるだろう。


「あの蒸気船、宇治殿うじどののものだったかと思いますが」

「よくご存じですね。さすがは渡辺の武士もののふ


 蒸気船を見分けているセツに、道世が白々しく賞賛の言葉を贈る。

 ちなみに宇治殿とは、藤氏長者とうしのちょうじゃにして関白――藤原頼通ふじわらのよりみち公のことだ。

 つまり、朝廷の実質的な最高権力者である。


「まずいでしょうか」

「……沈んだのは、化け物のせいですから」


 それで許してもらえるだろうか。

 顔に笑みを貼り付けたまま、こちらから目を逸らす道世に、セツの不安は劇的に膨れ上がる。


「…………」

「…………」


 しばしの沈黙。

 京から来た陰陽師はボソリと呟いた。


「……まあ、当事者として説明に伺わないとまずいでしょうね」

「ですよね」


 何しろ蒸気船は高い。弁償しろとか言われたらどうしよう。

 少し考えて、セツは水平線を眺めることにした。





 天喜二年八月はづき


 秋が日に日に深まりつつある夜のことだ。

 伝書烏でんしょがらすによって届けられた文を読んで、男は大爆笑していた。

 発作が収まると文に目を戻し、再び吹き出すように笑い声を上げる。


 男の名は、渡辺徹わたなべのとおるという。

 従五位下。滝口大夫。

 渡辺綱わたなべのつな直系の一人として、京にやって来た渡辺党の若者たちをまとめる武士もののふだ。

 当主ではないが、それだけに身軽な彼は、京と渡辺津わたなべのつの双方に顔が効く。

 それ故に、男の許には、様々な相談、厄介ごとが舞い込んでくる。

 渡辺津わたなべのつから送られてきた烏文からすふみもそのひとつだった。


「何事ですか?」


 瓶子へいしさかずきを膳に載せ、部屋に入って来た家人が首を傾げる。

 徹は、ニヤリと口の端をつり上げた。


渡辺津わたなべのつにいるセツから文が届いてな」

「セツ? ああ、渡辺切わたなべのせつですか。使えるという話は耳にしますが」

「三年前に会った時には、もう一端の使い手だったからな。今なら、どれほどになっているか」


 家人の言葉に、笑ってうなずく。

 最初に会ったのは、七つの時だったかと徹は目を細めた。

 守り刀代わりにくれてやった一振りを、大喜びで抜き放ち、盛大に手を切って血まみれになった少年だ。


(子どもに何を渡しているのかと、こっぴどく叱られたな)


 彼の母親によるお説教を、セツと二人、並んで拝聴したのを覚えている。

 鬼神のような母殿の顔を懐かしみながら、徹は家人へと文を差し出した。


「読んでみるか? 笑えるぞ」

「ははぁ」


 受け取った家人が、怪訝そうに文へと目を落とす。

 その顔が、またたく間に青ざめていくのを見て、徹は再び笑い声を上げた。


「ちょ、これ!?」

「セツの奴め。また、派手にやらかしたな!!」

「わ、笑いごとでは――ッ!?」


 愉快痛快と本気で笑っている様子の主に、家人が悲鳴を上げる。

 その顔は、青を通り越して土気色だ。

 動転し、震える指先が、文を取り落とす。


 ひらりと床に舞った紙片には、中々に衝撃的な一言。


『関白様の蒸気船を沈めました。近々、事情を説明に参ります』



 かくして――


 京に憧れていた少年は、少し早めの巣立ちを迎える。

 カラスに導かれ、めでたく上洛に臨む若鳥セツの前途は、わりと灰色であった。


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