第4話 ぬえ(下)

 蒸気船に飛び移ったセツは、船上を見回して目を細めた。

 爆発した動力部は、船の中央部より舳先側に設けられていた。そのためか、船尾側の損傷は比較的軽く済んだらしい。

 爆発の衝撃に積み荷が大きく崩れているものの、甲板に大穴が空いているとか、火の手が上がっているとか、そんな致命的な様子は見られない。

 舳先側で生じた火災により、煙が流れてくるが、それも大した量ではない。


 もっとも、そこかしこに倒れている船員達の姿や、嫌でも目に飛び込んでくる中央部の惨状を思えば、“ここなら安全”などと血迷った感想は抱けない。


「…………」


 思うところはあれど、言葉には出さない。

 その前に、やるべきことがある。


(倒れている船員に、ぱっと見、大きな怪我はないな)


 倒れている船員達に目を配ると、酷く出血していたり、手足が折れている様子はない。

 意識はあるようで、時折、苦しげな声が聞こえてくる。


「鬼気に当てられた、というのは確かみたいだな」


 先ほどから、わずかに体が重たい。

 その不快感に、セツは舌打ちをする。ただ、やはり手足が萎える感覚はない。


(体が慣れたか?)


 あるいは、陰陽師殿が何かしてくれているのか。

 何はともあれ好都合と、セツは近くにいるだろう鵺を探して視線を配り――


「見つけ、た……?」


 甲板中央部に捉えた姿に、眉をひそめた。

 左腕のない上半身だけの大猿のような何か。

 いや。体が縮んでいる。今は、もはやただの猿と変わらない大きさだった。

 そして、鵺は火だるまになっていた。

 もはや余力がないのか、苦悶の声さえ上げずに右腕をこちらに伸ばす。


「は?」


 その様にセツの目が点になる。

 先ほどの爆発に巻き込まれたのだろうが、それで息絶えるのか。怪物が。

 いくら何でもソレは、あんまりではないだろうか。

 思わず肩をこけさせた少年の許へと、一羽のカラスが飛んで来た。


『警戒を解かないで下さい。まだ終わっていません』


 その嘴から、道世の声が飛び出す。

 その言葉に応えるように、鵺を包む炎が唐突に勢いを増した。


「これは――」


 瞬時に、二丈6mを超える高さにまで立ち上る炎。

 その火勢に、鵺の体があっという間に炭化する。


 ボロボロと、その体躯が崩れ落ち――


「炎の、獣……?」


 代わりに出現したソレに、セツは戦慄の声を漏らした。


 その炎は、四肢を持っていた。

 甲板を踏み締める巨木のような太い脚に、太刀の如き鉤爪を備える両腕。

 その胴は、炎であるのに虎の如きしなやかさを感じさせ、長い尾が蛇の形を取って牙を剥いている。

 どこか猿に似通った貌には、憤怒の鬼相を浮かべ、揺らめく炎がたてがみのようにうねっていた。


 こちらをのぞき込むように体をかがめる様は、獲物を狙う猛虎のそれだ。


「あれは、鵺とは別の化け物ですか?」

『さて、どうでしょう。ただ、先ほど戦った鵺とは鬼気の桁が違います。別物と考えて戦うべきでしょう』


 道世の言葉にうなずく。感じ取れる重圧が桁違いだ。

 強烈な鬼気に意識を刈り取られたのか、先ほどから聞こえていた船員たちの呻き声がなくなっている。


『動けますか?』

「はい。行けます」


 こちらを気遣う言葉に、セツはうなずいた。


(アレが鵺なら、どうして急に力を増したのか。そうでないのなら、なぜ別の化け物がここにいるのか。気にはなるが――)


 やることは変わらない。

 セツは静かに太刀を抜き放った。





 鵺が炎の尾を引きながら襲いかかってくる。

 先に見せた高い跳躍――恐怖を煽るも隙だらけな動きとは違う。

 四足の獣の狩りが如く、身を低くして疾走する鵺の突撃。


「疾い……っ!」


 叩き付けられた鉤爪を、セツは横っ飛びに躱す。

 一瞬前まで彼がいた場所を鵺の鉤爪が引き裂いて、衝撃に甲板が割り砕かれた。

 舞い上がった砕片が、宙で燃え上がって灰と化す。


(今のままだと、船員を巻き込みかねない)


 その様を視界の端に捉えながら、セツはそのまま前方へと走る。

 鵺との位置関係を入れ替えるためだ。

 背後に船員たちがいては、下手に攻撃を躱せない。

 己を無視して船員たちに襲い掛かられると守る術がないが、そこは度外視する。


(情けない)


 守りながら戦えば、共倒れになるだろう。

 己の未熟を恥じて、けれど少年は足を止めない。

 船員たちに危害が及ぶ前に、この化け物を叩き斬る。


「――――っ!」


 後方に回り込もうとするセツを狙って、炎の尾が牙を剥いた。

 弧を描き、矢のような速度で迫る炎尾。

 その先端に備わった蛇の頭が、大きく顎を開いて少年の首を狙う。


「っと!」


 甲板に倒れ込むようにして躱し、そのまま前転して即座に立ち上がる。

 伸びきった尾に太刀を閃かせ――


「……っ!?」


 手応えの無さに目を剥いた。

 斬撃は、確かに炎尾を捉えた。捉えて、そのまますり抜けた。

 斬ったのは確かだが、炎を斬ったとて意味などない。


「それ、卑怯じゃないか!?」


 実体あるものとして甲板を割り砕いたりできるのに、こちらの刃は炎としてすり抜ける。

 その理不尽に、セツは思わず悪態をついた。

 そんなことは知らないと、再び襲い掛かってきた炎蛇を飛び退いて躱す。

 体勢を立て直した時には、鵺がこちらに向き直っていた。


(立ち位置の入れ替えは出来た。が、どうしたものか)


 硬くて斬れないのならば、超頑張れば何とかなる。

 しかし、斬っても意味がない場合はどうすれば良いか。


『これを――』


 悩むセツの許へと、カラスが降りてくる。

 上空に一時退避していた道世の式神は、その足に掴んでいた符をセツに差し出した。


『それを刀の柄に巻いて、握り込みなさい。それで斬れるようになります』

「なんと!? っと!」


 符を受け取った直後、鵺が襲い掛かってくる。

 その一撃を後退して回避。

 逃げるこちらを、鵺の鬼相が睨みつける。

 そのたてがみが蠢いて、火球となって切り離された。

 一斉射。


「くっ!!」


 矢の如き速さで迫る炎を転がるように躱し、さらに大きく距離を取る。

 火球が着弾した甲板や船縁が燃え上がるのを見て、セツは舌打ちをした。


 三丈を超える10mほどに間合いを開いたところで、仕切り直しとする。

 鵺から視線を切らないよう気をつけながら、セツは刀に符を巻き付けた。


(さて……)


 船の中央部付近。

 セツが足を止めたのは、甲板に空いた大穴の近くだ。

 地獄の針山のように、穴の中から飛び出している無数の鉄管を背にする。

 鉄の管であれば、燃え上がることもないだろう。


 その鉄管は、“火管”と呼ばれる蒸気機関の構成部品だった。

 火室で発生した高温の煙を通すことで、水を効率良く熱するため、水缶の中に張り巡らされていたもの。

 蒸気機関が爆発した結果、臓物がまろび出るように飛び出したのだろう。


 蒸気機関の臓腑はらわた

 船の惨状を空から見下ろした際、セツが抱いた印象は間違っていない。


 それを背後にするセツを見て、鵺を形作る炎が一層強まった。


「……?」


 敵意――怒りと憎悪が、炎とともに吹き上がる。

 常人なら、それだけで頓死させかねない強烈な殺意に、セツは眉をひそめた。

 今のところ、炎の化け物に対し、自分は何ら痛痒を与えられていない。

 そんな相手を見て、なぜ猛るのか。


(いや。見たのは、俺じゃない……?)


 セツは、そこで思考を中断した。

 眼前に、炎の奔流が迫って来たためだ。

 予備動作なしに放たれた炎が、視界一杯に広がっている。


『セツ殿ッ!!』


 上空のカラスから、道世の声が聞こえた気がした。

 逃げられない。


 ゆえに、セツは意識を研ぎ澄ませる。

 目前に迫った炎の奔流。


(道世殿は、斬れるといった)


 ――ならば、斬れるのだろう。成否は、己の力量次第だ。


 迷いはなく。怖れもない。

 セツは、真っ直ぐに太刀を振り下ろした。

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