第27話 霧中の先行き(下)
唖然とした表情を見せる少年に、徹は内心で苦笑を浮かべる。
(そりゃそうだよな)
少年――セツは、当然ながら無位無官である。
それ以前に、上洛する面子から外された身だ。一党の中でのセツの評価は、将来有望だが、まだ学ぶべき事が多い半人前といったところだった。
それが、右衛門少尉従六位下。
徹が、従五位下。そこには及ばないとしても、渡辺党の中で六位にある者が何人いるかと考えると、大騒ぎになってもおかしくない話だ。
少なくとも、道端でついでのように告げられる内容ではない。
「どうして――」
我に返ったセツが、絞り出すような声で問う。
傍らの娘が、少年の青ざめた顔を心配そうに見ているのに気がついて、徹は頬を緩めた。
(やっぱり世話はいらねぇんじゃないか?)
それにしても、と彼は笑う。
「官職もらえると聞いて、大喜びじゃなくて青ざめるヤツは初めて見たな」
「いや。ですが、理由が分かりません」
「ま。何も考えずに小躍りするよりは上等か」
セツの言葉にうなずきを返す。
ここで裏を考えないようなら、冗談ということにして話を終わらせ、先方にはこちらで断りを入れるつもりだったのだが、その必要はないらしい。
「理由に関しては、わりと簡単な話だ。お前、大市廊でどこぞのお姫さまを助けたろ」
「お姫さま?」
そんなことあっただろうかと首を捻るセツを見て、徹はため息をついた。
無機質な娘の視線が怖い。
「大市廊の中庭で、化け蛇に喰われそうになったところを助けただろ」
「…………? ……ああ!」
そう言えば、と手を打つ少年に徹は小さく頭を振った。
件のお姫さまの家から本人に直接接触があった際、「誰だっけ?」みたいな反応をしないことを祈る。
いや、そもそも接触がないことを祈るべきだろうか。
「まあ、いいか。それで、そのお姫さまは、権大納言
「……
「よし分かった」
徹はうなずいた。
こいつに官職はまだ早い、断ろう。セツを半人前とした一党の評価に心から同意する。
ため息交じりに続けた。
「……右大臣
現在の位階は、正二位。
藤原道長公の孫世代としては、先頭を切って出世を重ねる人物だ。
ここ数年は、親世代が健在であることから権大納言に留まっているが、いずれは内大臣に任ぜられるのではと目されている。
「ははぁ……」
「要は、すごく偉い人の娘を助けたので、そのお礼ってことだ」
「そんな理由で官職って授けて良いものなのですか?」
「気にするな。位階だけなら、猫に五位以上を授けることもある」
先の帝の代のことを口にする。
一部の例外はあるが、殿上に上がることを許されるのは、原則として五位以上の者に限られる。
そのため、猫好きで知られた先の帝の代には、その飼い猫に五位の位が授けられていたという。
「…………その、一気にありがたみがなくなりましたね」
「まあな。実際、六位程度なら公卿にある方がそれらしい理由をでっち上げれば、何とでもなるもんだ。お前の場合、でっち上げるまでもなく理由があったしな」
それだけで位を授ける理由としては十分だ。
「今回は、そこにさらに一押し入ったってことだ」
「なるほど」
「で、どうする? 受ける気があるのなら、こちらで話を進めるが」
その場合、年明けまでに色々と勉強させる必要があるなと考える徹に、セツは辞退の言葉を静かに告げた。
「……理由を聞いても良いか?」
「単純に、半人前の身で受けるのが畏れ多いというのが一つ。それと、お役を得てしまうと、身動きが取れなくなってしまうので」
「なるほどな」
宇治殿から与えられた仕事に支障が出るのは困る。
そう告げる言葉に、徹は目を細めた。
「理由としては納得できるな。ただ、それをそのまま告げるのはマズい」
「関白さまの依頼を受けていることは内密だから、ですか?」
「分かってるじゃねえか。お前と宇治殿の間に、公的な繋がりはないからな。だから、若輩という点のみで断る必要があるだろうよ。が、その場合、ちと支障があるな」
相手はセツの年齢を知った上で、今回の一押しを考えている。
正式なものではなく、内々に打診されたものであるため、断ったとしても相手の面目を傷付けるようなことにはならない。
が、不快に思われる可能性はあるだろう。
「ええと、お断りするのはマズいのでしょうか?」
「せっかくの贈り物を突っぱねられたら、お前はどう思う?」
「…………」
「そんな顔をするな。落とし所はある」
黙り込んだセツを安心させるように徹は笑う。
全て断ると不遜と見られる恐れがあるが、一部のみなら伝え方次第で謙虚と見てもらえるだろう。
「一部?」
「位階のみ受けて、職の方は力量不足を理由に辞退する。職に関しては、定数の問題もあるしな。若輩で未熟な自分が、実績と経験を積んだ方々を押しのける真似は出来ないとでも言えば、許してくれるだろうさ」
「なるほど」
ほっとした表情を見せるセツに、徹は苦笑する。
位階はあるが官職がない者の立場を“散位”と呼ぶが、これを嫌がる者も多い。名目上だけで実がないせいだ。
それを喜ぶなどと、本来は噴飯物なのだが。
(まあ、コイツの場合、今回見送っても出世の手蔓はあるからな)
それも、件の公卿どころではない強力なものが。
(分かってなさそうだな)
傍らの少女と話をしている彼を見て、徹は内心でため息をつく。
見上げれば、いつもどおりの曇天が広がっていた。
若鳥の空は、今は先を見通せぬ灰色一色だ。
しかし、本人次第で何色にも変わり得るだろう。
そのことを知ったとき、この年若い
――それを見届けるまで、魑魅魍魎どもから守ってやるのが己の務めか。
そんな風に考えて、
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