第11幕
「……ねえ、カジハラさん」
朝食の後、両手で頬杖をついたベルさんが、目の前の紅茶が冷めるのを待ちながら何気なく切り出した。
「なんです?」
怪物の襲来から3日、壁の復旧は確実に進んでいて、街はだんだんと落ち着きを取り戻しつつあった。
「カジハラさんって、いつまでここに留まるつもりなんですか?」
「……ぶふぉっ!?……ごほっごほっ……」
飲んでいた紅茶を吹き出す。
「だっ、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です。大丈夫……」
いや、全くもって大丈夫じゃない。
い、いつまでいるのか、ですって?
それってつまり「いい加減出てけ」っていう暗示ですよね?
……あれ?自分なんかやらかしたっけ?
記憶を辿っても特段思い当たる節がない。
あれか?
結構金も絞れたからあんたにもう用は無いわ的なやつか?
そうか……。
そもそもぼくなんぞがこんな美少女と暮らしていることの方が異常だということか。
思い上がるのもほどほどにしろ、と。
「……あー、やっぱり迷惑でしたよね。
その、すぐ出て行きますんで……」
「……え?……どうしてですか?」
彼女が不思議そうに首をかしげる。
「どうしてって、そりゃ、さっきいつまでいるのかって……」
「私はただ、あなたのふるさとのこととか、ご両親のこととか、そういえば今どうしてるのかなって、少し気になっただけですよ?」
「そ、そうですか……」
深読みしすぎただけ……ならいいんだけど。
「迷惑だなんてそんな……こんなにたくさん助けて頂いておいて、思うわけないじゃないですか。
むしろ私としては、あなたが迷惑されていないか気になるくらいですよ?」
多少冷めてきた紅茶を1口すすって彼女が続ける。
「私みたいな、揺すっても何も出ないような元貴族を養ったって、何もいいことありませんし……。
ホント、どうしてこんなに良くしてくださるんですか?」
「えっ……そ、それは……」
今こうして一緒に話していること自体、十分「いいこと」なんだけど。
答えに窮していると、タイミングよく玄関の戸を叩く音が響いた。
「ひゃっ!?」
小さな悲鳴と共に、彼女はびくっと震えて、おそるおそる玄関の方を振り返った。
……そっか。
忘れかけていたけど、彼女は陥れられた貴族の娘だ。
復讐を警戒して始末しようとする輩がいても何ら不思議ではない。
普段は全然顔に出さないけど、ぼくが帰るときにもこんな風に怯えているのだろうか。
「……ぼくが出ましょうか?」
「あっ……い、いえ、大丈夫ですから……」
そーっと玄関の方へと歩いていくその背中はやけに小さく見えた。
残った2つの分体に気づかれないように後を追わせる。
視覚と聴覚を同期させて玄関の様子を伺う。
わずかに開いた扉の隙間から見えたのは、あちこちに包帯を巻いた男だった。
身体の左側にとりわけ多く巻かれた包帯にはうっすらと血が滲んでいた。
「…………あなた誰?」
「ああ、ごめんごめん。
一方的に知ってる相手と話すことってそうそう無いから、慣れてなくてさ……。
俺はソル・ヴァスク・フリードリヒ。
こんなナリだけど、この国の今代勇者をやらせてもらってる者だよ」
「……ゆ、勇者様!?」
「そ。ほらこれ、勇者の証……。
まあ勇者なんて名ばかりだし、そんなに気負わないでね。
ベル・グレイス・フィリアさん」
「どうして私の名前を……?」
「そりゃあ曲がりなりにも勇者だし、部下を使えば諜報の1つや2つぐらいはできるさ」
「そうですか……。
で、どうして勇者様がこんなところに?」
「うん、それなんだけどね、この家に冒険者のカジハラ サトル君っているでしょ?
彼にちょっと用があってね」
「はあ……少々お待ちください」
そう言って彼女が廊下を歩き戻って来る。
分体との感覚共有を切る。
「勇者様が、あなたに用があるって……」
「なんでしょうかね?」
そんな偉い人に訪ねられる心当たりが無い。
「とりあえずお通ししてもいいですか?」
「いいんじゃないでしょうか」
「はーい」
ぱたぱたと玄関に戻っていく。
……そもそもなぜそれをぼくに聞くのかね。
ぼくの家でもないのに。
勇者を名乗る男が入って来る。
「やあ、どうも。
こんな状態だからちょっと話しにくいんだけど、勘弁ね」
「はじめまして。梶原と申します」
「ソルだ。以後よろしくね、カジ君」
そう言って右手を差し出してきた男と軽く握手を交わす。
「……して、勇者様、本日はどんなご用件でこちらに?」
「ああ、そうね……。
えっと、君、本当に悪いんだけど、しばらく席を外してくれないかな?」
「私、ですか?別に構いませんが……」
「すまないね」
ベルさんが廊下に出るのを見届けた後、男は急に声をひそめた。
「さて、本題に移ろうか……。
ねえカジ君、俺のこと覚えてる?」
「……はい?
……すみません、何のことだか……」
勇者なんぞと接点を持った記憶はない。
「そうかい……まあ、無理もないか。
覚えてろって言う方おこがましいもんな。
……俺は3日前、君に助けられた不甲斐ない男その人さ」
「ああ、あの……」
言われてみれば合点がいく。
すらりとした長身に、火傷を治すための大量の包帯。
そして何より、包帯の隙間から覗く印象的な黒い瞳。
「その節はどうも……」
「いやいや、お礼を言わなきゃいけないのはこっちの方だ。
君がいなければ確実に殺されていたし、街も絶対に守れなかった」
「そんな……」
「俺へのお世辞ならいらないよ。
どう考えたってこれは事実だ。
真正面から受け止めなきゃいけない」
彼らの攻撃に助けられた場面もあったわけだし、そう思い詰めることもないと思うんだけどな……。
勇者様ともなればどうにかしてあいつに勝てそうな気さえする。
根拠は無いけど。
「それにだ……恥ずかしい話、俺はあの時完全に鼻を折られちまったんだ。
子どもの頃……今でも十分子どもだけど、もっと小さかった頃、先代が早死にしてさ。
慣例通りに神のお告げだか何だかで俺が今代の勇者に選ばれた。
それは知ってるだろ?」
「ええ、まあ」
曖昧に聞こえないようにうなずく。
「その時から疑問だったんだ。
俺より能力のある人間なんていくらでもいるはずなのに、そんなわけのわからないもので決めてしまっていいのかって。
そりゃあ、決まったものは仕方がないから死ぬ気で訓練したさ。
この世の誰にも負けないように……。
……いや、死ぬ気でやったつもりになってたんだろうな、たぶん」
どんだけ後ろ向きなんだこいつ。
「……でも昨日、そんな根拠の無い自信も悉く潰されたってわけさ」
包帯越しに彼が自嘲的に笑ったのが見えた。
「全然歯が立たなかった。
いたずらに兵を死なせて……俺自身もここで死ぬんだなって、無責任にも半分投げ出してたんだよ。
そのくせ死ぬのがただただ怖くってさ……ほら、今でも手が震えてる」
よく注意して見ると、包帯を巻いた彼の左手は小刻みに震えていた。
「疑念が確信に変わったんだ。
俺の力だけでは、誰も守ることなんかできやしない」
相当思い詰めているようだ。勇者のくせに。
「……でも、俺は守らなきゃいけないんだ。
今代魔王は先代と比べ物にならないほど攻撃的で、今も秘密裏に勢力を拡大して戦争の準備をしているとの情報がある。
情報がある……というよりも、確実と表現するべき段階だ。
じきに俺を中心とした征伐軍が組織される。
……だけど俺には、魔王に匹敵する力などおそらく無い。
……そこでだ」
勇者は突然咳払いをして、声のトーンを元に戻した。
「君も魔王征伐軍に参加しないかい?」
廊下からガタンと何かの倒れる音がする。
「あ……聞いてたみたいですね……」
「いいのいいの、肝心なとこは聞こえてないだろうし。
……もう入ってきていいよ。
待たせちゃってごめんね」
彼女は決まり悪そうに部屋に戻って来た。
「申し訳ございません……私ったら、はしたないことを……。
それより勇者様、今のお話は本当ですか?」
「ああ、是非ともお願いしたい。
それなりの報酬は支払うつもりだし……。
どうかな?
もちろん、君さえよければの話だが」
「あー……。
勇者様、すみませんが少し時間をいただけますか?いろいろと考えたいので……」
悪い話じゃない。
この能力を誰かのために使えるのならこれほど嬉しいことは無いし、壁の外の獲物の多い環境で活動できるメリットは魅力的だ。
だけど……。
「……なんですか?私のことで何か?」
ちらと向けた視線に気づいた彼女が尋ねる。
そりゃねえ。
なかなか1人きりで置いていこうとは思えないでしょう。
「……そうだ、何なら君も来るかい?」
「……は?」
「い、いいんですか?」
いやちょっと待て。
は?
……なんというか、は?
「そんな……え?
その……闘えるんですか?」
「なんだ、知らないのかい?
彼女はレニ国王立学校中等部を準首席で飛び級卒業した才女だよ。
特に射撃術と治療術では稀代の天才とまで言われててね」
「……よくご存知で……」
ベルさんがドン引いてる。
……なんなんだこの勇者。
「まあね。結構な有名人だし、ウチの優秀な部下を使えば割と簡単に調べられたよ」
「私に関する記録は全て抹消されてるはずなんですけどね……」
「細かいことは気にしないの。
それよりどうかな?
決して安全な旅とは言えないけど、俺としては是非とも欲しい人材だ。
世間の不届き者のことなら、俺がどうとでもしてあげられるよ?」
「お話は非常にありがたいんですが、弓具などは一式置いてきてしまいましたし……」
「物資的な心配なら無用だ。
国家権力を舐めてもらっちゃ困るよ?」
「そうですか……」
なんか勝手に話が進んでるんだが。
「……本当にそんな経歴が?」
日頃の様子を見ていると、そこまでの実力者だとはにわかに信じがたい。
「ごめんなさい、隠すつもりはなかったんですけど……その、カジハラさん、いつも無傷で帰って来ますし……」
「ねえ、もし良ければこの火傷、治してもらえるかな?
カジ君もまだ信じられないって顔してるし」
「かしこまりました。少々お待ちください」
棚からいくつかの液体やら何やらが入った瓶を次々に取り出し、それらを手際良く調合していく。
「失礼します……」
調合したものを勇者の口にそっと流し込む。
「……いかがでしょうか?」
「……うん、いいね。
この速さでこの完成度、流石は才女って感じだよ」
勇者が包帯をするすると外していく。
「……あっ、申し訳ございません。
少し痕が残ってしまいました……やはりだいぶなまっているようで……」
「いや、十分十分。
……ねえカジ君、これでもまだ彼女の能力を疑うかい?」
「…………」
「……駄目、ですか?」
いや、ぼくにその目はずるいって。
ばっさり断れないじゃん。
勇者も勇者でずるいって。
初対面なのにいきなり自分の弱みなんて晒してきてさ。
そんなの見せられたら見捨てにくいじゃん。
「……いや、でもやっぱり少し考えさせてください。こういうの、簡単に答えちゃいけないと思うんで」
「うん、いいよ。君たちに任せる。
出立式が十日後にあるから、そのときまでに答えを聞かせてね。
それから……」
勇者が椅子から立ち上がってぼくを指さす。
「これ以降、俺のことを勇者様って呼ぶのは禁止だ。俺にはソルって名前がある。敬語も要らないよ。
……ミス・ベル、もちろん君もだからね。
それじゃあまた、王宮で待ってるから……」
そう言い残して勇者は去っていった。
勇者を見送って部屋に戻ると、彼女は不機嫌そうにむくれていた。
「どうしました?
ぼくのあまりの優柔不断っぷりに呆れてるんですか?」
「いや、そうじゃなくて……あの勇者様のことですよ」
「勇者?」
「馴れ馴れしすぎるんです。
初対面の相手にニックネームだなんて、いくら勇者様であろうと無礼じゃないですか?」
「……そうですか?
ぼくはそんなに気にならないですけど」
そこまで年齢も離れていなさそうだったし、親しみやすい同級生のような印象を受けた。
「おかしくないですか?
私でさえまだ『カジハラさん』なのに……」
「……呼び方とかについてはぼくらの方が不自然な気もしますけどね。
出会って結構経ってるはずなのに、さん付けからの敬語とか……。
気になるならあなたも呼び捨てにしてくれていいんですよ?」
そう言うと彼女は目を丸くして、少しまごついた様子でこちらを見た。
「い、いいんですか?……じ、じゃあ……。
かっ、カジハラ……くん?」
「やめましょう」
「なっ、なんでですか!?
自分から提案しておいて……」
「駄目なものは駄目です。異論は認めません」
「そんなぁ……」
これは駄目だ。
これではぼくがもたない。
くん呼びはしばらく封印せねばなるまい。
……でもさっきのやりとりは、絶対に脳裏に焼き付けておこう。
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