第4幕

前世の感覚で1週間が過ぎた。

……何もすることが無い。

趣味か仕事か、時間を潰せるものが欲しい。

でも人間界に馴染める見通しは依然として立たない。

……よし。

勉強でもするか。

この世界で使われている言葉を知ろう。

人間界への進出を放棄してしまうのは良くないし、誰かがここに来る可能性だってある。

しかしだ。

こればかりは工夫でどうにかなる問題ではない気がする。

気乗りはしないけど、使ってみるか。

ポケットから例の薄い機械を取り出し、ボタンを押して起動する。


(…………すー……すー……すー……)

…………。

(すー……すー……むにゃむにゃ……すー……)

……こういうときって、どう対応すればいいんだろうか。

(すー……すー……んんっ…………すー……)

うん、しばらく聴いていよう。それがいい。

(すー…………うっ……んっ、う〜ん……!)

起きちゃったか。

あのー、すみません。

(………ふぁい?

…………あっ、しっ、失礼しました!

その……何か御用でしょうか?)

えっと、そんな用というほどのことでもないんですけど、この世界の言語を習得したいと思いまして。

(そうですか……それなら、これなんかどうでしょう?)

目の前に現れたのは1冊の本。

"The Official Language of The Sixth World for beginners"

(私のお下がりですけど、これが一番わかりやすいと思いますよ)

……参考書?

(そうですが、何か?)

いや、なんというか。

てっきり食べるだけで自動翻訳ができる蒟蒻みたいなやつ、神様なら最初に出すんじゃないかなと勝手に思っていたものでして。

(神府職員と22世紀から来た丸っこいロボットを一緒にしないでくださいね)

そーですか。

……ていうか知ってるんですね、あの漫画。

(まあ、ある程度は。

第5界出身のあなたとも会話を合わせられるようにならなければと思って、いろいろと調べてみました)

それで青いあいつと。

……なんかちょっと感性がずれてるような気もするけど、神様だし仕方ないか。


参考書を手に取ってざっとめくってみる。

見たところ保存状態はかなり良い。

各ページの至る所に赤ペンで書き込みが加えられている。

隙間なく、かつ見やすく書き記されたきれいな文字……これは、英語?

(はい。神府においては第1界の公用語を基本言語としているのですが、そのシステマチックな文法構造を気に入って、他の世界で導入したケースも多いんですよ。

第5界の英語と呼ばれる言語はその一例です)

なるほど……。

(……もしかして、英語苦手だったりするんですか?)

……そこは調べてくれなかったんですか?

(あー……まあ、きっと大丈夫ですよ)

そんな無茶な。

(必要そうなものは一通りお送りしますから、なんとか頑張ってください)

はーい……。

程なくして大量のテキストやら辞書やらがどかどかと送られてきた。

うへー……。

1年ほど前の受験勉強を思い出す。

あれはきつかったな。

どうせ死ぬんならもっと遊んでおけば良かったのかもしれない。

(そんなことないですよ。

学び方、考え方の基礎は確実に鍛えられているはずです)

正論だあ。

……あれ?

(どうされました?)

この参考書、for mastersまで全部送られてきてるんですけど。

……そんな一気に勉強できませんよ?

(ああ、その件なんですが、なんというか……その、しばらくの間ですよ?

しばらくの間なんですけど……その、あなたとの交信が、できなくなってしまいそうなんですよ)

はあ。

(調査が少し難航していまして……手がかりを探しに、一度神府本部に行ってみようと思うんです。

次いつお話できるのかは、今の段階では何とも……)

……何もそこまでしなくてもいいんですよ?

(ご不便をかけてしまい申し訳ありませんが、私が招いたことなので、こればかりはきちんとやらせてください)

わかりました。

でも、くれぐれも無理だけはしないでくださいね。

(お気遣いうれしいです。

ありがとうございます)

いやいや、こちらこそ。

(では、私はこれで……)

はい。お気をつけて。


通信が切られる。

……大丈夫かな。

彼女の場合本当に無理しそうだから怖い。

体調崩さないといいけど。

……それはそうと、あの声がしばらく聞けなくなるのは結構痛いな。

癒し……もとい話し相手がいないのは精神衛生的によろしくない。

あのヒトがいないと完全にぼっちになるもんな、ぼくって。

……仕方ない。

ぼくもぼくなりに頑張るしかないか。

癌が発覚して以来の勉強だ。

"The Official Language of The Sixth World for beginners"

書き込まれた整った字に、どこか彼女の面影を感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る