第10幕

生きている山。

眼前のそれを形容する言葉を、ぼくは他に持たなかった。

柱を繋ぎ合わせて作ったような1対の腕で持ち上げられたその巨体は、それこそ山のように高くそびえ立っている。

その体躯はいつぞやの龍と比べ物にならないほど大きい。

はるか上に見える双眼は紅くくすみ、かっと見開かれている。

ほんの一瞬こちらを見た後、あちこちからギシギシと音を立てながら、それはゆっくりと歩きだした。

ぼくにはまるで興味が無いといった風に。

突如、空気まで震わすような激しい地響きが起こる。

ややあってから、地響きの正体がこの巨大生物に大砲が着弾した衝撃波だとわかる。

おそらく、街を囲む壁の上に設けられた巨砲が使われたのだろう。

弾は怪物の頭に直撃しており、周囲には黒煙が立ち込めている。

……しかし、巨砲の一撃はこいつにはほとんど効果が無いらしく、煙が晴れて現れたのは無傷の頭部だった。

不意に怪物が歩みを止め、腕で踏ん張って大きく息を吸い始める。

胸の辺りが鈍く紅く輝きだし、それが喉へと伝わっていく。

怪物が口を開くと、そこに白く眩い光球が出現し、急激に成長し始める。

その大きさが臨界に達した瞬間、怪物がぐいっと頭をもたげる。

耳をつんざく音と共に、光球から極太の熱線が放たれた。

そのままさっとなぎ払う。

時間差で遠くから腹に響く爆発音が届く。

ぼくははっとして木に登り、怪物が熱線を放った方を振り返った。

壁の上にあったはずの防衛設備は悉く破壊され、見る影も無くなっていた。

それどころか壁そのものが深く抉られ、中の支柱まで露わになっていた。

……これはまずいかも知れない。

この世界の人間の戦闘能力は知らないけど、果たしてこいつに太刀打ちできるようなヒトはいるんだろうか?

もしいたとして、ここに今すぐ駆けつけてくれるんだろうか?

そしてあの壁はみんなを……ベルさんたちをきちんと護り通してくれるんだろうか?


……よし。

やるっきゃないみたいだな。

袖をまくって右腕を硬質化させる。

足の筋繊維の密度を上げ、怪物の背中に向けて跳び出す。

怪物が右手で受け止めようとするけど、動きが遅くて間に合わない。

ぐっと握って突き出したぼくの拳は、確実に怪物の頬を捉えた。

怪物がよろめく。

……攻撃は通りそうだな、と少し安堵した次の瞬間、ぼくは自分の腕が怪物の頬にめり込んでいることに気がついた。

離脱しようと引っ張っても抜けない。

もたついているうちに、轟音と共に怪物の拳が迫ってくる。

危ないところで肘関節を外して右腕を切り落とし、なんとか怪物から離れる。

怪物はそのままぼくの貼り付いていた自分の頬を強かに殴った。

肉片が飛び散り、さらに大きくよろめく。

……こいつアホかな?

とふと思うと、まるでそれが聞こえたかのようにこちらを睨みつけてきた。

自身を殴った拳を勢いよく振り抜く。

手近な木を蹴って回避……したときには、怪物は大口を開けており、そこには光球が現れていた。

「やばっ!?」

左手からエネルギーを直噴射して加速する。

わずかに間に合わず、耳をつんざく音と共に左足が足首から焼き切られる。

姿勢を崩して転がるように地面に落ちる。

怪物の頭を見上げると、先程受けた損傷が、完全にとは言わないまでも回復していた。

今でも水蒸気のようなものを立てながら少しずつ治りつつある。

……なるほど、こいつも修復持ちか。

ぼくのそれほど急速ではないものの、自己再生ができるらしい。

だからこそ、さっきみたいな肉を切らせて骨を断つという奇襲が成立する、と。

……なんだ、結構な策士じゃないか。

心して挑まなきゃな。

左足を修復して立ち上がり、右腕の断面に力を込めて大剣を生やす。

胃から右腕の内側へと管を伸ばし、刃から消化液を滴らせる。

先端から垂れた消化液が、煙を出しながら地面を溶かしていく。


怪物が尻尾で薙ぎ払う。

その巨体を跳び越す。

間髪入れずに怪物が姿勢を落とす。

嫌な予感がしてエネルギー噴射で退避する。

怪物のサイドタックルが空振り、巨木を次々になぎ倒す。

その隙を狙って斬り込もうと突っ込むと、そのときにはもうすでに熱線の射線上に捉えられている。

反射的に斬り下がる。

右腕は怪物の二の腕をかすめただけで、その特殊装甲のような外殻を剥がすには至らなかった。

熱線が視界を横切る。

……攻撃も緩んでこないし、やはり怪物の傷は浅いようだ。

消化液で多少は融解してくれているのがせめてもの救いかな。

それはそうと……こいつ強いな。

動きの遅さを知能で見事にカバーしている。

ぼくの避け方を予測してあらかじめ次の攻撃を用意することで、限界まで隙を減らすことに成功しているのだ。

一撃一撃の威力が半端じゃないから、いくらぼくに再生能力があっても無理には責められない。

小さい隙に与えられるダメージなんてたかが知れてるし、次に攻撃するまでに回復されてしまっては意味がない。

……これは消耗戦になりそうだな。

巨体での絶え間ない攻撃にはかなりの体力が必要になるだろう。

燃料切れを狙って、辛抱強く戦うしかなさそうだ。



……まずい。

何がまずいって、怪物の体力が底知れなくてまずい。

お前の体内構造どうなってるんだよ?……と聞きたくなるような圧倒的な持久力。

午前中から闘い始めて、もう日が傾いてるっていうのに、全く攻撃の勢いが衰えない。

それに行動パターンが多彩すぎてなかなか読めない。

少しずつダメージを与えてはいるものの、状況は決して芳しくない。

なぜって、ぼくの体力の限界が近いのだ。

ここ最近はエネルギーの消費をある程度抑えられていたから、初めのうちはその貯蓄だけでなんとかなると思っていた。

でも流石にこれほどまでの体力は想定外だ。

そしておそらく、もし飢餓状態に突入してしまったら、ぼくはこいつに殺される。

飢餓状態時には確かに躊躇いのない苛烈な攻撃ができる。

一方で、理性が全く機能しないから、力にモノを言わせた、言ってみれば雑な闘いになってしまうのである。

知能の高いこの怪物にとって、飢餓状態のぼくの攻撃を躱すことなど容易いだろう。

そうなると最後まで攻めきれず、本当に餓死してしまうかもしれない。

かといってエネルギーを補給しようとここを離れれば、街が襲われてしまって本末転倒。

何か状況を打開する術を見つけないと……。

怪物が右腕をこちらに振り下ろす。

回避した先にはすでに熱線の照準が合わせられている。

今までなら避けられたはずなのに、疲れからかほんの少し反応が遅れてしまう。

やばい、これは喰らう……。

そのときだった。

怪物の右、茂みの向こうから、美しい白い光弾が怪物に向けて放たれた。

怪物にもそれは予測できなかったらしく、光弾が頭に直撃し、ぐらっと体勢を崩した。

光弾の軌道を目で辿ると、そこには武装したたくさんの人間が、手に手に武器を構えて隊列を組んでいた。

国から派遣された精鋭たちだろうか。

都合の良いことにぼくにはまだ気づいていないようだ。

……ちょっと遅くないか?

いや、文句を言うのは筋違いだな。

体勢を立て直しきれていない怪物に、ここぞとばかりに襲いかかる。

背後をとり、両脚首に深い切れ込みを刻んで腱を切断する。

怪物が膝から崩れ落ちて両手をつく。

今度は跳び上がってその肩に右腕を突き刺す。

消化液を注入しながら無理矢理押し込むと、ぶちっと鈍い音がして、怪物が雷鳴のような呻き声をあげる。

両肩を破壊すると、怪物はとうとう地面に頭をつけた。

……さて。

さっさと止めを……刺しとかないと危なそうだな。

「さよなら」

怪物の喉元で右腕を振り上げる。

怪物がゆっくりとこちらに顔を向ける。

その口元に光球を輝かせながら。

熱線を余裕を持って避ける。

いくら不注意なぼくでも、怪物の体力を考えてこれぐらいは予測していた。

……でも、そのまま立ち上がるだろうとは、流石に思ってもみなかった。

……まさか。

ありえない。

こいつの再生速度でこの深傷をここまで速く治せるなんて、どう考えてもありえない。

困惑するぼくを嘲笑うかのように、怪物は再びぼくの前に立ちはだかった。

紅い目がさらに見開かれ、凄まじい咆哮が空間をびりびりと震わす。

口元から光球が出現し、瞬く間に大きく膨れ上がる。

人間たちが光弾を放つ。

明らかに命中しているのに、今度は怪物はびくともしない。

怪物が光球をあろうことか人間たちのいる方へと向ける。

「……なっ!?」

驚くが早いか、怪物は人間たちのいる辺りを熱線で薙ぎ払った。

少し遅れて爆風がここにまで届いた。

茂みからは、彼らの悲鳴さえも聞こえてこなかった。

…………。

呆然と立ち尽くすぼくに怪物の手が迫る。

早く避けなきゃ……と思っても、身体がついてきてくれない。

怪物の岩のようにごつごつした手がついにぼくを捕らえた。

高く高く持ち上げられて、ものすごい勢いで地面に叩きつけられる。

巨大な怪物の手に押し潰されて、瞬く間にあちこちの骨が砕け、ぼくの血液やら肉片やらが四方へ飛び散る。

応急的に視覚だけを治して見上げると、怪物の口元には、今までで一番大きな光球が現れていた。

飛び散ったぼくの破片の、最も遠くまで飛んだカケラを起点にして身体を再構築する。

ほとんど同時に、怪物が自身のすぐ目の前、ついさっきまでぼくが潰れていた地面に向けて、極太の熱線を撃ち込んだ。

爆風が辺り一帯を覆い尽くす。

ぼくはなんとかそれを耐えぬき、怪物の方へ駆け戻った。

煙が晴れ、現れた怪物は、当然全身に大きなダメージを負っていた。

外殻はほとんど溶け落ち、あちこちで黒い皮膚が露わになっている。

それでも姿勢を崩すことなく、堂々たる風格でこちらを見下ろしている。

よく見るとその胸の辺りに紫色に光る結晶のようなものが現れていた。

……あれが核か?

手厚く外殻で覆っていた、心臓のような器官だろうか。

そこを最優先で修復しようとしているし、何かしらの弱点とみて間違いなさそうだ。

そうとわかれば叩かなければならない。

でもその力はぼくにはもう残されていない。

さっきの身体の再構築で、僅かに残ったエネルギーのほぼ全てを使い果たしてしまったのだ。

だんだんと鼓動が高鳴ってきて、視界が赤く染まっていく。

背中をぞくっと寒気が駆け上がる。

駄目だ、暴走する……。

自分の勝利を諦めかけたそのとき、ぼくは街の方から猛スピードで近づいてくる小さな物体を……ぼくの分体の存在を察知した。

ベルさんたちを護らせるために街に置いてきた分体のうちの1つが、ぼくの下に飛び戻ってきたのだ。

勢いそのままにぼくの口の中に飛び込む。

次の瞬間、ぼくの体内で分体からの反応が消滅し、同時にさっと視界が戻った。

……分体…………。

……いや、感傷に浸ってる場合じゃない。

右腕を限界まで硬質化させ、怪物の懐に飛び込む。

塞がりかけた胸の傷に腕を突っ込み、核を握って力を込める。

怪物が苦しそうに吼える。

ぼくの右腕がみるみるうちに溶けていく。

溶けるのが速すぎて再生が全く追いついていない。

でもこれを逃したらおそらく……。

「さあ、とっととやられてよね……!」

全力を込めて握りしめる。

これで駄目なら……いや、これで絶対終わらせなきゃ……!


ぼくの力は、ほんの少しだけ怪物のそれに勝っていた。

間に合った。

ぼくの腕が完全に溶け落ちようとしたころ、怪物の胸の結晶は音を立てて砕け散った。

力を失ってその巨体がぼくを押し潰すように倒れてくる。

それを避けようともせずに、ぼくは怪物の下敷きになった。

……怪物に埋もれたままぼーっと放心していたぼくは、しばらくして近くに他の生き物の気配があるのを感じ取った。

……まだ……まだ何かいるのか?

怪物の死骸に穴を開けて這い出す。

するとそこには、1人の青年が立っていた。

服はあちこち破れ、深い火傷を負った肌が覗いていた。

全身ぼろぼろになっているというのに、しっかりと両足で立ってこちらを見据えていた。

その瞳は黒く澄み、どこか惹きつけられるものがあった。

「……お前は一体……?」

その声で我に返り、自分もまた「怪物」であることを思い出す。

止める声も聞かずに、ぼくは森の奥へと逃げ出した。



その後どうやって街に帰ったかは、いまいちよく覚えていない。

相当長い時間集中していて、身体だけでなく頭も限界を迎えていたのだ。

街に着いたころには、意識が朦朧として足元もおぼつかなかった。

だいぶ暗くなっているのに、通りには珍しくまだ多くの人がいた。

その中に、見慣れた小さな人影が1つ……。

こちらに気がつくと、勢いよく走ってきて、血塗れのぼくの身体に抱きついてきた。

危うく後ろに倒れそうになって2、3歩後退りする。

それでも構わずに、彼女はぼくの薄い胸板に顔を埋めたまま、両腕に思いっきり力を込めてきた。

ぼくはびっくりしたやら何やらで、本当に倒れそうになった。

「ちょっと、ベルさん……その、すごく……すごく当たって、当たってる……」

言葉がうまく出てこない。

「カジハラさん……良かった……。

本当に良かった……」

シャツでこもったその声から、彼女が泣いていることに初めて気がつく。

目の前で女の子が泣くことなんて、2回生まれてこのかた無かったから、どうしてあげていいかわからなかった。

「……心配してたんですよ?

……あなたが出かけてすぐに大きな地震があって、みんなに避難命令が出て……。

あなたはずっと帰って来なくて、しばらくしたらペットさんの様子もおかしくなって……それで……それで……」

「ベルさん」

「……はい?」

ようやく彼女が顔をあげ、腕を少し緩める。

ぼくはその頬についてしまった血を拭おうと手を上げて、でもちょっとためらって、彼女のなめらかな髪を軽くなでた。

「……ただいま」

彼女は少し戸惑ったような顔をして、そして穏やかに微笑んだ。

「おかえりなさい」

その笑顔が眩しくて、いつまでもずっとこうしていたいような気がした。



遠くの方で、災厄を退けた英雄を称える人だかりができていた。

その中心にはきっと、あの背の高い青年がいるのだろう。

ぼくの闘いを知る者など、彼を除いていないのだろう。

でもそんなことは、ぼくにとってはどうでもよかった。

今こうして、この世界に、ぼくのことを気にかけてくれる人がいる。

ぼくのことを心配して、帰りを待っていてくれる人がいる。

ぼくにとってはそれが何より大切で、それが何より幸せだった。

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