第30幕
神府の各支部を繋ぐ広い廊下を歩く者は、ぼくを除いて誰もいなかった。
……それもそうか。
実験動物の動きぐらいは、当然把握してるんだろう。
だとすれば、のんびりしてはいられない。
逃げられてしまってはそれこそ……。
床を蹴り出して思い切り加速する。
まもなく地図には載っていなかった障壁に阻まれる。
緊急時用の防衛設備だろうか。
身体を硬質化させ、殴っても蹴ってもビクともしない。
振り向くと反対側にもそれと同じ障壁が現れている。
……囲まれたか。
見上げると天井が徐々に迫ってきている。
たとえ殺せずとも永久に閉じ込めておくつもりらしい。
さて、どうしてくれよう……。
危機的状況のはずなのに、なぜだか思考は混乱していない。
……そうだ、熱線だ。
ミューデたちと同列の存在なら、ぼくにだって撃てるかもしれない。
口を限界まで開き、目の前の一点に体内のエネルギーを凝縮させていく。
……この感覚はいまいち説明しにくい。
小さな子どもに自転車の乗り方を説明するのが難しいのと一緒だ。
強いて言うなら、少しハードな腹筋のトレーニングをするときの感覚に似ている。
そこそこな量が溜まったので一度撃ってみようと思い立ち、圧縮した抽象的なエネルギーを熱エネルギーに変換して一度に放出する。
それは熱線というよりも弾のように勢いよく飛び出し、壁に突き刺さった後、やや時間を置いて大爆発を引き起こした。
煙が晴れると、壁にはぼくが十分通れるほどの大穴が空いていた。
とんでもない破壊力に驚いたのは、何よりもぼく自身だった。
「……あはは。
やっぱり化け物じゃないか……」
……第11界支部にたどり着くまでの間、障壁や罠は幾度となくぼくの通行を妨害した。
その度に何度も熱線を放ったけれど、いくら消費したところで、ぼくのエネルギーが尽きることは決して無かった。
ゲートを蹴破ると、何人もの警備員がぼくに銃のようなものを向けていた。
ここまで来るとは予想できていなかったのだろうか、驚きを隠せないでいる者も多い。
「……やあ、せっかく帰って来てあげたってのに、これは酷い歓迎っぷりだね」
言葉が通じるのか多少は不安だったけど、ぼくの言葉の意味は彼らに理解されているように見える。
自動翻訳は会話にも有効らしい。
「……一応、お聞きしますが……我々への敵意は?」
「……まさか、無いとでも?」
言うと同時に前衛を飛び越え、机を飛石のように利用して突き進む。
目指すは支部の最奥に位置するという重役用のターミナル。
まずは、あいつを……。
ぼくの進攻を食い止める障害物は何1つとして無い。
もちろん警備員たちはぼくを狙って各々発砲を続けているけど、照準がぼくの動きに全くついてこれていない。
「……神様なんて、こんなものか」
少なくとも射撃に関しては、フィスとか……あの人の方が、彼らよりずっと上だった。
まぐれで当たったとしてもその数は少なく、また即座に修復できるのでぼくの歩みを遅らせるための有効打にはならない。
立ち塞がる者は飛び越え、押し除け、時に殺して(神様といえども身体を両断されれば死ぬということを、ぼくは身をもって知っている)支部の中をひた走る。
……あれか。
遠いターミナルに寄せられた車のような乗り物が見える。
走りながら狙いをつけて熱線を撃ち込む。
いとも簡単にその乗り物は大破し、部品がくるくると宙を舞った。
……脆い。
人間世界の1つを管理する神府支部の警備システムは、ぼくという一介の化け物によって悉く壊滅した。
ぼく自身、こんなにも簡単に制圧できるとは思っていなかったから、思わぬ成功にかえって拍子抜けした。
誰よりも早い脱出を試みていた老人を左腕で後ろから拘束し、錐のように硬質化させた指を喉元に突きつけると、職員たちの抵抗は嘘のように鳴りを潜めた。
相変わらず銃口は向けられているけど、撃ってくる気配はない。
「クリーブスさんで、間違いないかな?」
老人が小さくうなずく。
あの人のシステムの解析も、この老人こそがぼくをこんな化け物にした張本人であることを示している。
それでもこいつが本人でない可能性は捨てきれない。
神々の技術についての知識が少ない以上、仮にこの老人が影武者だったとしても、ぼくにそれを確かめる術はない。
……でもそのときのぼくには、そんなことはどうでもよかった。
ぼくを囲む警備員たちを見回す。
「……どうしてぼくを撃たないんだい?
もしかして、この爺さんに当てちゃうのが怖いのかな?
……でもさ、その手に持ってるモノはおもちゃじゃないんだよね?」
答えは返ってこない。
「……ねえ、わからないの?
腰抜けだって罵られたんだよ?」
誰も何も言わない。
「……まあいいや。
聞こえてないみたいだし……。
それより、1つ聞きたいんだけどさ」
腕の中の老人に視線を戻す。
「第6界に降りようとしてたときに、あの人の……カトリーナさんの記憶を消して、宿り先までいじったの……あれも全部お前の仕業なの?」
「え?……あ、いや、あの、それは……」
「なあ、答えろよ!」
「ひいっ……!」
怯える老人を目の当たりにして、今までなんとか抑えてきた怒りが突然爆発する。
こんな、自分の命が惜しくて惜しくてたまらないような底辺のゴミ屑なんかのために、ぼくは、ぼくたちは……!
「答えろ!やったのか、やってないのか!」
自分でもびっくりするほど大きな声が出る。
「やっ、やりました……!
万が一の、その、リスクを考えて……」
その目は忙しなく泳ぎ、全身の震えはぼくにまで伝わってきている。
ぼくのやりきれない感情がさらに増幅する。
「へえー……そうなん、だぁ!」
左手で頭を掴んで力任せに床に叩きつける。
その細い髪を掴み、無理矢理引き上げて再び指を突きつける。
見るとすごい量の鼻血が滴っている。
その足先に唾を吐きかける。
強力な酸で靴は瞬時に融解し、その下の皮膚をも溶かしていく。
「うああっ!……ああっ……」
「…………ねえねえ、教えてあげよっか?
なんで貴様らがぼくにここまでやられちゃったのか……なんで貴様らが、その引き金を迷うことなく引けないのか」
よく見ると銃口が震えている者もいる。
「……ぼくが強いから?
まあ、確かにそれもあるかもね。
ぼくの強さは作った貴様らが一番よく知ってるはずだから……。
……でもそうじゃない。
貴様らがぼくに勝てないのは、貴様らに、殺したことが無いからだ」
いろいろな感性が高まってぼくの指先が震え始める。
「殺したことが無いから……その身体で、その手でもって誰かを傷つけたことが1度も無いから、いざ闘うとなるとその動きに多少の躊躇が……迷いが生じるんだ」
躊躇は1つ1つの判断に遅れをもたらし、結果として勝敗を、生死を大きく左右する。
魔王が……ミューデが強かったのは、彼女が数えきれないほど殺してきたからだ。
幾度となく他人を傷つけることで、躊躇うことなくその力を振るえるようになっていたからだ。
「……そうさ、貴様らは殺してきた。
第6界で元気に生まれてくるはずだった子どもたちに、平和に暮らしていただけの第6界の人々、ミューデたち準神生物、そしてカトリーナさんも……ぼくだってその1人だ」
右腕を鋭い剣に変える。
「それなのに……散々殺したくせに、貴様らは1度だってその手を汚していないんだ。
貴様らは他人の首を絞め上げる感触を知らないんだ……」
「た、助けて……」
「貴様ら全員、ヒトの血の味を知らないんだよ!」
ぼくは老人を突き飛ばし、右腕を振るってその首を刎ねた。
皺の多い頭が無残に床に転がり落ちた。
「…………ふーん、主人が殺されてもまだ撃たないんだ……。
……まあ、撃っても無駄だとわかってるってことかな」
だとすればある意味正しい判断だと言える。
「……本当はさ、貴様ら全員殺してやりたいんだよね。
みんなぐっちゃぐちゃにして、死ぬまで泣き喚かせてやりたいんだ」
足元の亡骸を見下ろし、こいつももっと苦しめれば良かったと後悔する。
「……今はまだ、生かしといてあげる。
でも勘違いしないでね。
許したわけじゃないし、情けをかけたわけじゃない。
ただぼくが利用したいだけだ」
「……我々に何をしろと?」
「……ぼくはこれから、この肉の塊を喰って第11界へのアクセス権を奪い取り、それを行使した後、第11界の人間たちから魂を分離して……いや殺して回る。
ぼくからの要求は3つだ。
第1に、今第6界にいる準神生物たちを半永久的に凍結すること。
第2に、第11界から上がってきた魂たちを全て、記憶を消した上で第6界の魂保管庫に送ること。
そして第3に……絶対に、ぼくの邪魔をしないこと」
老人の頭を軽く拾い上げる。
「ぼくの要求に従うか従わないかは、貴様らの判断にかかってる。
どっちにしたって貴様らの勝手だ。
ただ……」
これ以上ない蔑みを込めて睨みつける。
「……ぼくは、従った方がいいと思うよ」
従わなければ殺す、と暗に宣告する。
「覚えておくといい……ぼくにはもう、躊躇なんて無いからね」
第11界の長の肉は、これまでに喰ったどんなものよりもまずかった。
その辺にぺっと吐き捨ててしまいたかった。
それでもどうにか喰いきった。
すぐさまウィンドウが二重に展開され、2つめのタブレット端末が手元に現れた。
手探りでコマンドを入力し、ぼくは第11界への降臨手続きを終えた。
……ぼくが癌細胞なのだとしたら、これは「転移」とでも呼ぶべきなのだろうか。
操作を終えたそのとき、何となく思った。
それと同時に、まだ見ぬ第11界の様子に、ほんの少しだけ思いを馳せた。
……どんなところなんだろう。
第11界。
ぼくがこの手で滅ぼす世界。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます