第16幕
雷に打たれたように目覚めると、眼前には見慣れない天井が広がっていた。
冷えた冬の朝のように妙に頭が冴えて、その板材に浮き上がる木目の1つ1つが、目を凝らさずともくっきり見える。
起き上がるために力を入れようとしても、右足からの反応が無い。
……やはり完全に切断されているようだ。
「あっ、カジハラさん……。
良かった……気づかれたんですね」
声のした方に顔を向けると、枕元に座る彼女の目元にはうっすらと隈ができていて、心なしかやつれているようにも見えた。
……ずっとここにいてくれてたんだろうか。
「……ここは一体?」
「リチネード国立第2病院の病室です。
……あの後、勇者様とフィスさんがあの魔物を討伐し、あなたを抱えてここまで……」
「そうですか……」
どうやら死んだ訳ではないらしい。
「……みんなは?」
「今はお2人ともそれぞれ違う部屋で休まれていますが、あなたよりは軽傷です」
無事なら何よりだ。
真上を向き直し、ほっと胸を撫で下ろす。
……2人には迷惑かけちゃったな。
後で謝っておこう。
「……聞かないんですか?……あなた自身のこと」
重々しく、呟くように切り出される。
「ああ……やっぱり、もうどうしようもないんですよね?」
「残念ながら……その、何というか……破片が、見つけられなかったので……ここのお医者さんにも相談しましたが、元通りに治すのは絶望的だと……」
「……まあ、そうですよね」
いくら異世界の医療と言っても、やはり失った手足を再生するという暴挙は流石にできないようだ。
むしろ破片さえあれば何とかなり得るということのほうが驚きだ。
「ですので、しばらくは車椅子や松葉杖での生活に……」
「……え?どうして?」
「どうしてって……。
カジハラさん、足が……」
「でも2人が回復したらすぐにまた出発するんですよね?」
「ええ。物資補給を含めておよそ1週間後には……」
「だとすれば、ぼくがこんなところで呑気に車椅子生活を楽しんでる暇なんか無いじゃないですか」
当然のことを言ったはずなのに、彼女はもともと大きな目をさらに丸くした。
「え?……もしかして、これからも旅を続けるおつもりなんですか?」
「そりゃあ当たり前でしょう……。
それより義足の手配は?」
「縫合した際に採寸も済ませて名のある職人に依頼してあるので、早ければ明後日には納品されるかと……いや、でも……」
「4日もあれば十分です。絶対闘えるレベルにまで仕上げて見せますから」
「膝上まで義足になるんですよ?
歩くことでさえ難しいのに戦うなんて……というか、そうじゃなくて、それよりも……」
「大丈夫です。みんなにはもう迷惑かけないようにしますから。
ここからはぼくの自己責任で……」
「そうじゃないんです!」
彼女はぼくの言葉に被せるように、我慢ならないといった様子で声を張り上げた。
ぼくは彼女のここまで大きな声を今までに聞いたことが無かったから、驚きのあまり思わず口をつぐんでしまった。
「私が言いたいのはそういうことじゃないんです……ねえ、カジハラさん、怖くないんですか?
死ぬかもしれない思いをして、足まで失ってしまって……もう、まともに歩けないんですよ?」
その声は、その言葉を発したくもないというように不安定に震えていた。
その瞳の輝きはくすみ、この空間ではないどこか遠くを見つめていた。
「あなたが倒れたとき、私、すごく怖くなったんです。
私のせいで……私が不注意だったせいで……もともと私が、あんな安易な気持ちで説得なんかしなければこうはならなかったのに、あなたを危ない目に遭わせてしまって……」
かなり責任を感じているらしい。
「とうとうあなたは取り返しのつかない怪我をしてしまって……なのにどうして?
どうしてまだ続けようとするんですか?
引き受けてしまったことへの責任感ですか?
……でも、もとはと言えば私が無理を言ってお願いしただけなんですから、そんなの気にする必要なんて無いんですよ?
少なくとも私は、そんな些細な理由のためにあなたが……あなたが、いなくなることなんて、絶対に嫌ですから」
だんだんと嗚咽が混ざり始めながらも、彼女は絞り出すように言葉を継いでいく。
痛みも無く、治そうと思えばいつでも治せる怪我に対してここまで思い詰められると、なんとも言えない罪悪感が顔を出す。
今すぐにでも足を生やして、もう大丈夫だと慰めたくなる。
……でもそれをする勇気はぼくには無い。
自分の正体すらも見せられない、臆病な自分が嫌になる。
そんな恐怖よりも優先するべきことがあるはずなのに……。
ぼくの気持ちとは裏腹に、彼女はさらに涙を流す。
「それとも……みんなのために、ですか?
みんなを守りたいから……。
でも、『みんな』なんかのために、誰とも知らないような人たちなんかのために、あなたが……あなたが……!」
それきり、彼女は両手で顔を覆い、俯いて黙り込んでしまった。
「……ベルさん……ぼくは、あなたの言うような、立派な人間なんかじゃないんです。
ぼくに旅を続けようと思わせるのは、責任感でもなければ、みんなのためにという高い理想でもありません」
両手で踏ん張って身体を起こし、壁にもたれかかる。
「ぼくが闘うのは、他の誰でもない、自分のためなんです。
……ずっと小さかったころ……理由は詳しく言えませんが……ぼくは森の奥に捨てられたんです。
運良く生き残ることはできましたが、ヒトの世界に戻れないまま、毎日毎日、殺しては喰い、喰っては殺しの繰り返しで……」
ぼくが人間ですらないということは、ぼくにはどうしても言い出せなかった。
「そして思うようになったんです。
ぼくはなんで生きてるんだろうって……。
あれだけたくさんの生き物を殺して、自分の血肉としてまで生きる価値が、ぼくにはあるんだろうかって」
……これは今でもときどき思っていることなんだが。
「そんなときに出会ったのが……ベルさん、あなただったんです」
彼女はそっと手を除け、おそるおそるぼくと目を合わせた。
「あなたに連れられて、森に捨てられてから初めて、暖かい部屋で、温かくて美味しいものを食べて……そのとき初めて、ぼくは人間になれたんです」
人間として生きたいと強く願うようになったのは、間違いなくあのときだ。
その日から希望を持って生きるようになったとも言える。
「そして、街に怪物が襲来したときに、ぼくを心配してくれていたあなたを見て、ぼくなんかにもこうして帰りを待っていてくれる人がいるんだなって、本当に嬉しくなったんです。
だから、このちょっとした幸せにずっと浸っていたくて……この幸せをいつまでも護っていたくて……だからぼくは闘うんです。
だからぼくは、この日常を脅かそうとする魔王を倒しに行きたいんです。
そしてそのためなら、ぼくの片足なんて安いもんなんです」
ここまで語って、ぼくは大きく深呼吸した。
「ベルさん」
「……はい?」
「ぼくはあなたが好きです。
どうかぼくに、あなたを護らせてください」
彼女はしばらくの間呆然として、やっと言葉の意味を理解したようだった。
「……え?……ええ!?」
完全に取り乱し、落ち着きなく動き出す。
「それは……その言葉は、その、いわゆる、何というか……」
真っ赤になって意味もない言葉を次々に並べ立てる。
「……ごっ、ごめんなさい!」
……ショッキングな言葉を残し、当惑した様子のまま、彼女はどたどたと部屋から出て行ってしまった。
「……うわあああ…………」
1人きりになった病室で、ぼくは間もなく激しい後悔に苛まれた。
……やらかした。
これは完全にやらかした。
多分これは天罰だ。
大して痛くもないくせに、心配している彼女をいいことに身の丈に合わないことを口走ったぼくへの天罰だ。
思えばぼくはなんて下劣で恥さらしなことを考えていたんだろう。
この結果は当然の報いか。
……いや、でもさ、あれは言える雰囲気だったじゃん?
言えるというか、言わなきゃいけない雰囲気だったじゃん?
もしこれを逃せば、ぼくが告白を決意することなんか絶対に無かっただろうし。
だからできる限り素直になって、いつになく勇気を出してみたんだけどな……。
……そういえば誰だっけ?ぼくに素直になってみろって言ったの。
そうだ勇者だ。
あいつのせいだ。
あいつのせいでぼくは……。
いや、責任転嫁は良くない。
これは自分の不正直の招いた至極当然の結果なんだ。
反省して真摯に受け止めよう。
……ただ、その次の日も、さらにその次の日も、夜中にそそくさと痛み止めや抗生物質などを差し入れる他に、彼女が病室に来る気配さえしなかったことは、流石にぼくの精神に応えた。
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