第17幕

「……うっし、ひとまず取り付け完了だ。

サイズも問題ない……悪いな、納期オーバーしちまって」

入院から3日後の朝、女技師はオイルのついた頬をぐいっと拭った。

「こちらこそ、突然の依頼だったのにありがとう。

申し分ない速さだよ」

「おっと、お世辞を言っても報酬はきっちりもらうぜ……。

それより兄ちゃん、本当に大丈夫なのかい?

切断からまだ3日しか経ってねえのに……普通ありえないぞ、こんなの。

傷口が塞がるだけでも最低3週間、訓練用でない義足が装着できるようになるまでには1年はかかるはずだ」

……プロとして当然なんだろうけど、痛いところを突いてくるなあ。

「……げっ、現にこうして断端の痛みもないんだし、ここで体重を支えられるまでになってるんだから、装着に何も問題ないだろ?」

「そりゃそうだけどよお……」

……実際、ぱっと見にはわからないように気をつけたものの、ぼくの異常に早いリハビリはかなりの部分で能力に助けられている。

傷口周辺の皮膚や内部組織は相当大きくいじったし、痛みを感じないのをいいことに断端に負担のかかる動きもした。

能力が無ければ今ごろ痛みのあまり動けず、また傷口さえも完全には塞がっていなかっただろう。

「治りが早いのは結構なことなんだが……。

あんまり無理はすんなよな」

「……あー、まあ、自重するよ」

……4日後までには闘えるようになろうとしてるなんて言えない。

「……すぐに動くのはおすすめしねえけど、一応使い方だけ教えとくぜ。

この義足、油圧システムを採用して筋肉の動作をある程度再現してるんだ……ここと、ここだな」

見ると、かかとと太ももの後ろ、それからつま先と膝下をそれぞれ繋ぐように、太い金属製の管が取り付けられていた。

「ここに油が詰めてあって、体重とかの衝撃を適度に緩和してくれるんだ。

そんで、この機構がこれに繋がってて、これを握ると前側、これを握ると後ろ側が伸びるようになってる」

それぞれの管からチューブが伸び、その先にポンプのような装置が付いている。

「オート制御にもできるんだけど、まだ技術的に限界があってね。

正直、オートでは普通に歩くことぐらいしかできない。

操作は面倒だが、手動で勘弁してくれ」

「なるほど」

足の制御は分体にでもやらせるか。

護衛が1体になるのは少し不安だけど、本体の片手が塞がるよりはマシだ。

「かなり丈夫に作ったつもりだが、できるだけ大切に使ってやってくれ。

何かあったら呼ぶんだぞ」



……さて。

とりあえずやってみるか。

手元まで届くように付けられたチューブを腰に巻き付けて分体を纏わせる。

その場から立ち上がろうとして、左足に力を入れつつ後ろ側の管に繋がるポンプを握ってみると、ぼくは勢いよく正面に倒れた。

……痛い。

痛くはないけど痛い。

何の抵抗もできずに床に突っ伏す自分の姿が情けなくてたまらない。

腕で踏ん張って身体を起こす。

……これはかなり難しそうだな。

自分の動きに集中するためには、義足の管理は分体に一任する必要がある。

それはつまり、身体の一部を別の意志体に預けるということ。

元は自分の一部とはいえ、分体とぼく自身とはほとんど完全に切り離されている。

信頼はしていても、無意識的に右足を庇うような変な動きになって……このザマである。

分体は分体で力加減が上手くいっていない。

さっきだって強く握りすぎたせいで一気に関節が伸びきってしまっている。

……これは酷い。

今日を含めて4日以内に、歩く走るなどの基本動作を習得し、負傷前の身体性能を取り戻し、できることなら利き足を逆にしなきゃならないってのに。

再び左足を立て、右足も慎重に……。

「うおあっ!?」

勢いが強すぎ、つんのめってさっきと同じように地面に叩きつけられる。

2分ほど前と全く代わり映えしない、笑えないギャグアニメのような光景である。

……ぼくは悪くない。

分体がまるで成長していないせいだ。

……もう、こいつの親の顔が見てみたいね!


結局、壁に寄りかかって立てるようになるだけでも1時間弱かかった。

立ったら次は歩行だ。

一度廊下に出てみよう。

壁から手を離して一旦バランスをとり、右足から前へ。

そっとつま先から床につけ、体重をかけつつ今度は左足を離す。

分体の踏ん張りが足りないせいで右膝ががくっと折れる。

左足でカバーしようとしても間に合わない。

そのままドアに激突し、ぼくは力なくへたばった。

……これじゃあ埒が明かないや。

自分の無力さと歩くことの難しさ噛み締めていると、目の前の引き戸が軽く3回ノックされた。

「カジハラくーん?入るわよー」

「……どうぞ」

「はーい……って、ええ?

……なっ、どうしたのよ?」

まあ、病室を訪ねてドアを開けたときに、その病人がいきなり足元で四つん這いになってたら、普通はそうなるわな。

「……己の脆弱さに絶望してるんだよ」

「あー……ずいぶん苦労してるのね。

ほら、手貸してあげるから立って。

頼ま……じゃなくて、リハビリ始めたって聞いたから、あたしが手伝ってあげる」

「自分の怪我はもう大丈夫なの?」

「おかげさまでね。

ほら……よっこいせっと」

差し伸べられた右手をとると、予想していたよりも強くぐいっと真上に引っ張られた。

反射的に右足が出てしまう。

予想外の動きに分体が付いていけず、右膝が伸びきって身体のバランスが崩れる。

寄りかかるものもないため、ぼくはそのままなす術なく、目の前の柔らかいものに受け止められた。


……アニメとか創作物でしか見たこと無かったんだけど、顔が埋まることって本当にあるもんなんだな。

びっくりするほど柔らかくて、息が詰まりそうなほど優しく包み込まれて、心臓の鼓動まで聞こえてきそうで……。

……って、何喜んでんだ自分!?

左足で飛び退いてドアの枠に身体を預ける。

「ぷはっ……ごっ、ごご、ごめんっ!

けっ、決して、そんなつもりは……」

「なあに?そんなに慌てちゃって……。

こけそうになっただけじゃないの」

「そっ、そうだけどさ……」

左手で口元を押さえる。

顔中にまだほんのりと甘い香水のような匂いが残っている。

まごつくぼくの様子を見て、不思議そうにしていた彼女は、にやりと不敵な笑みを浮かべた。

純粋な笑顔ではない、何か良からぬことを考えていそうな表情だ。

「あたしは全然大丈夫だからさ、一緒にがんばろ?

いっぱいあそ……ゴホン、サポートしてあげるからね」

不意にぐいっと顔を近づけて囁かれる。

「手取り……あ、し、と、り」

……嫌いというわけではないんだが、ぼくはこの人がどうも苦手だ。

節目節目で距離が近いし、隙あらば意味深な発言をしてくるし……。

歩行訓練中、彼女の肩を借りて練習している間にも、首の後ろに回した腕を必要以上に引っ張ってきたせいで、身体同士が必要以上に密着していた。

……男子がそういうのに弱いってわかんないのかな?

こちとらおねショタにでも目覚めそうな勢いなんだが。

しかもふざけているようでちゃんと介助が上手いから、全く文句の付けようが無い。

ぼくのできることを見極めた上で、時にはぼくの意志に任せ、時には適切にサポートしてくれる。

そして動作の1つ1つが丁寧で優しいから、自然と心から安心してしまうのだ。

廊下を歩ききり、階段を降りてロビーに着くと、ぼくは手近にあったソファーに座らされた。

「はーい、ちょっと休憩しましょうねー。

いっぱいがんばったもんね、いいこいいこ」

わしゃわしゃと小さな子どものように頭を撫でられる。

恥ずかしさと妙な嬉しさで声も出なくなり、それを見てまたフィスが喜ぶ。

……ぼくで遊ぶのもいい加減にしてくれないかな?

そういう趣味も無いのにそのうちママとか呼んでしまいそうなんだが。

流石に今はそっちの道には強い抵抗感があるし、それほど年齢の離れていない女性をママと呼ぶことに対して「気持ち悪い」という正常な感想を抱けている。

でもどこかに、この接され方を喜んでいる自分がいる。

自分がこの世界で何年生きているのか知らないけれど、少なくとも中身は男子高校生でかつ童貞である身、いきなり何に覚醒するかわからないから怖い。

…………。

……いいぞもっとやれ。



暗い病室のベッドに、ドアに背を向けて横になる。

窓からは月の光……ぼくの知る第5界のそれと変わらない、冷たくも穏やかな光が差している。

いろいろ……本当にいろいろあったものの、リハビリは終日スムーズに進んだ。

立つことすらままならない状態から自力で歩けるまでに成長したのだから、ありえないほど大きな進歩と言っていいだろう。

それはぼくの能力や根性という以上に、フィスの的確な補助があったおかげだ。

なんだかんだでしっかりしている人なんだなとしみじみ思う。

勇者がそばに置きたがるのも納得だ。

……なのにだ。

勇者という男がいながら、何なんだあれは。

……やっぱりぼくは、暇つぶしに丁度いいおもちゃか何かだと思われているんだろうか。

やめてほしくはないけどやめてほしい。

その気は無いのにどうしてもどこかで意識してしまう。

あちこちにあの柔肌の心地よい感触が残って離れず、悶々とした気分で窓の外を眺めていると、誰かが部屋のドアを2回叩いた。

こんな遅い時間の来客となれば、その正体は1人しか考えられない。

姿勢を変えずに目を瞑り、いつも通り寝たふりをする。

静かにドアが開けられ、小さな足音が近づいてくる。

ベッドのそばのテーブルにコツコツと瓶が並べられていく。

やがてその音も止み、やれやれと一息ついた次の瞬間、微かに衣擦れの音がして、ぼくのベッドの腰のあたりがぐっと沈み込んだ。

「…………!」

思わずびくっとして目を見開く。

恐る恐る振り返ると、ぼくに背を向けるようにして、そこに彼女が腰掛けていた。

持ってきたロウソクの火に照らされたその表情を、ぼくは窺い知ることができなかった。

「カジハラさん……起きてるんですよね?」

その小さな声には少しの淀みもなかった。

窓から差す月光に、首筋がほんのりと浮かび上がっていた。

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