第5幕

ムカデの肉は、血抜きして干すとそれなりに喰える味になる。

これはぼくの歴史に残る大発見である。

こいつらの毒はそのほとんどが血に含まれているようで、それを抜き、乾燥させてしまうことで毒の渋みが軽減されるのである。

それでも不味いものは不味いんだが、多少なりとも進歩しているのでよしとしよう。

……普通は最初から血抜きぐらいするだろうなどと冷たく指摘してはいけない。


さて、食感だけはビーフジャーキーに似ていないこともない干しムカデをつまみつつ、最近覚えた表現を復習する。

大自然のど真ん中での1人暮らしが始まってからはや半年強。

第6界語(?)の習得は着実に進んでいる。

それ以外にすることが無いのでそのペースはかなり速いと自負している。

文法形態がやや日本語に似ていることも手伝って、ここまではさほど苦労せずに取り組めている。

何よりカトリーナさんの書き込みがありがたい。

要点をきちんと整理した上で、1つ1つの言葉の含むニュアンスまでが事細かく記されている。

……その書き込みも参考書そのものも英語がベースになっているのが難点だけど、贅沢言っちゃいけない。

これほど恵まれた学習環境が他にあるだろうかと疑問に思うくらいだ。

神府職員太鼓判の参考書。

見るからに高価な分厚い辞書。

静かすぎるほど静かな勉強スペース。

そしてこのちょっとした「女子に勉強教えてもらってる」感……!

……ごめんなさい。

転生前を含めた場合、ぼくの彼女いない歴は年齢を上回ってしまうのである。

ささやかな妄想はお許し願いたい。



能力開発の方はというと、こちらにも大きな成果があった。

自分の身体を材料にした、非常に便利な別ユニットが完成したのだ。

……もともとは話し相手となる人間をつくるつもりだったんだが、結果として人間自体を作ることはできなかった。

おそらくは、神府の管理する魂とやらを宿らせなければ別個の人間として成立しないんだろう。

開発は頓挫し、ぼっちの生活に終止符を打つには至らなかった。

しかしその過程で素晴らしい相棒ができた。

この別ユニット……分体とでも呼ぼうか……は、身体から完全に分離しているのにもかかわらず、ぼく本体と密接に連動している。

ぼくの指示に従って動き、形を変え、変質して闘う。

一方で小さな脳を搭載しており、弱いながらも自我を持っているようなので、適度に自分で考えて行動してくれる。

これは素晴らしい。

何が素晴らしいかって、例えば「腹減ったから何か狩って。でもとどめは刺さないで」と指示しておけば、獲物を生け捕りにしてその場所を知らせてくれるのだ。

つまり歩いて行ってとどめを刺すだけで、鮮度抜群のお肉が手に入るのである。

それに、指示する相手も元は自分の一部なのだから、変に遠慮する必要も無い。

素晴らしきことこの上ない存在だ。


日々の生活を楽にするだけでなく、この発明はぼくの人間界進出に向けた貴重な1歩になるだろう。

飢餓状態という大きなリスクを抱えるぼくにとって、エネルギーの節約は死活問題。

この分体の存在はその解決に一役買う。

というのも、同じ運動をする場合、物体の質量が小さいほうがエネルギーの消費は抑えられ……るはずだ。多分。

なのでおそらく、本体が直接出向いて狩りをするよりも分体を利用したほうがエコ。

さらにこいつには硬質化させたまま放っておけるというメリットがある。

ぼく自身が身体を変質させて武装すると、いずれ元の人型に戻さなければならなくなる。

人前でこのおぞましい姿を晒すことは避けたいから、特に人間界ではそれが要求されるだろう。

そこでこの分体。

これを剣か何かにして武器だと言ってしまえば、能力を知られる可能性は下がるし、武装解除時のエネルギーも削減可能だ。

そんなの微々たるものかもしれないけど、少なくとも1歩ぐらいは、人並みの暮らしに近づけているはず。

今はそれだけで十分だ。



などと考えているうちに、優秀なる我が分体の1つ……現在なんとか同時制御可能な4つを活動させている……が、何か捕まえてくれたようだ。

早速徒歩で現場に急行する。

さてさて、今日のご飯は何でしょねっと。

ムカデかな。

ムカデは嫌だな。

血抜きして干すのは面倒だし、それをやっても決して美味しくはない。

その割に無駄に個体数が多いから困る。

どうやらこの森には、ムカデとかカマキリとかクモとかいう不味い生物ほど繁栄しやすい傾向があるらしい。

非常に腹立たしい。

美味いものが食べたい。

美味いもの……ラーメン。

ラーメンが食べたい。

ラーメンとか捕まえててくれないかな。

5分ほどで分体のもとに到着する。

残念ながら捕らえられていたのはラーメンではなかった。

ロープ状になった分体にぐるぐる巻きにされていたのは、前の世界にいたサイズの小さい黒猫。

そう猫である。

分体をほどき、首根っこを掴んで目線の高さまで持ち上げる。

……飼い猫だろうか。

格別強そうでもなければ、有毒そうな感じでもない。

誤って迷い込んだと見て間違いなさそうだ。

この辺は案外人里に近いエリアなのかもしれない。

……猫。

美味しいかなあ。

この前食べたクマは、独特な臭みにさえ目を瞑ればまあまあ美味しかった。

同じ哺乳類だし、せめて虫の類いよりはマシだと信じたい。

調理……といっても火が使えないので血抜き程度しかできないけど……とにかくやってみるか。

……でもな。

流石に罪深すぎる気がする。

この黒猫にはきっと飼い主がいる。

自分の愛するペットが危険な森に迷い込み、こんな化け物に食い殺されたと知ったら……どうせ骨まで食べるんだし多分知ることはないだろうけど……彼(彼女?)はどう思うだろうか。

一応これでも元人間である身、それくらいの配慮はできる。

それに……。

その目はずるい。

さっきからずっと、不安そうなきらきらした眼差しを向けられている。

か弱そうな猫が、じっとぼくを見つめながら、瞳をうるうるさせているのだ。

このところ気持ち悪い巨大生物しか見ていないぶん、なんというか、心に染みる。

……だめだ。

この子喰えない。

そっと地面に放してやると、黒猫は何度かこちらを振り返りながら、どこか遠くへ行ってしまった。


……というわけで、本日の夕食はこれまた巨大なハチ。

良質なタンパク源である。

猫を狙ってかぼくを狙ってか、いつの間にか上空にかなりの数が集まっていた。

残りの分体を呼び寄せ、ハエたたきのような形にして片っ端からどんどん撃墜。

1匹ずつ丁寧に分解していざ実食。

……うむ、やっぱり虫は不味い。

ぼくは数分前の決断を、ほんの少しだけ後悔した。

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