第7幕

強い空腹で目が醒めた。

……今は目が無いから正確には目が醒めたとは言えないけれど、言葉の綾ってやつだ。

……ひどく身体がだるい。

ちょうど日曜日に昼過ぎまで寝てしまったときの感覚に似ている。

十分寝たはずなのになぜか寝足りないようなあの感覚。

それもそのはず、ぼくは相当長い時間眠っていたらしい。

身体の半分ほどがひんやりとした地面に埋まっている。

下手に寝すぎるとそのまま自然と一体化していたかもしれない。


引きこもっていても腹は満たされないので、仕方なく外殻を破り、のろのろとヒトの形を復元していく。

……あれ?

腕の本数って2本で合ってたっけ?

記憶によると2本が正解のはずなのに、2本ずつの手足だとどうも姿勢が安定しない。

……確信は無いけど、ひとまずここは自分の記憶を信じるとしよう。

服の形からしても全くの的はずれというわけではなさそうだし。


それはそうと、ぼくは一体どれぐらい長く寝ていたのだろうか。

ぼくの身体が自然な森の代謝によって埋まっていったのだとすれば、少なくとも年単位の時間が経ってるんじゃないか?

だとしたらこれは大きな進歩だ。

返り血等が確認できないから、おそらく休眠中は暴走が起こっていない。

休眠を繰り返せば、もしかしたらこのまま他人を傷つけずに生きることだってできるかもしれない。

人間として生きたいだなんて高望みはもうしない。

誰も傷つけずにいられるならそれでいい。

ある程度補給したら、また元のように閉じこもってしまおう。



…………!?

分体の反応が消えた?

起きてすぐに索敵に向かわせた分体のうちの1つからの信号が途絶えている。

……もしや殺られたか?

不完全な断片とはいえ、分体はもともとぼくの身体の一部。

能力も多少受け継いでいるのに、それが倒されたとでも言うのだろうか?

休眠時の安全確保の為にも一応確認せねばなるまい。

残りの3つを呼び寄せ、信号の途絶えた地点に向けて飛ぶ。

……1つ足りないのでどうしてもバランスが悪い。

仕方がないので1つをちぎって硬質化させ、手頃な長さの得物にする。

持っておけば使えないこともないだろう。

……と、遠くにぽっかりと森が穴を空けているのが見えた。

あそこか?

黒煙が上がり、焦げた匂いのするその上空で一気に逆噴射する。

土煙を立てて着地したぼくを待ち受けていたのは、深い緑の甲羅を持つ龍だった。

絵本の世界から飛び出してきたような、ありがちなフォルムで、かつ威厳あるドラゴン。

煙のくすぶる口元からは、鋭く凶暴な牙が覗いている。

……美味しいのかな。

全然美味しそうには見えないんだよな。

犠牲になった分体には申し訳ないけど、食べないのなら闘う理由も無い。

分体を壊すほど強いのならなおさら。

眠りを邪魔されないように、なるべく遠くに離れるのが得策だろう。

……よし、帰るか。

そう思った次の瞬間、龍がその立派な尻尾で風を切るように薙ぎ払ってきた。

……ですよね。

大木を根こそぎ倒しながら迫る尻尾を、さっき作った剣で受け止める。

勢いが強すぎて身体ごと吹き飛ばされ、木に背中から叩きつけられる。

……痛い。

痛覚神経の機能を狂わせてるから痛みは感じないはずなのに、なんか妙に痛い。

そっと目を開けると、龍はこちらを向いて大口を開いていた。

やばっ!?

木の幹を蹴ってその場を離れた直後、先程までぼくのいた辺り一面が瞬く間に焦土と化した。

……なるほど。

分体の不完全な判断力では間に合わないわけだ。

だけどこっちは……。

筋肉の圧縮度を上げて龍の頭に飛びかかる。

龍がすかさず放った炎で左腕が肘から溶け落ちる。

構わずに真っ直ぐ突っ込む。

……腕なんかどうせすぐ生やせるし。

両足で龍の頭に取りつき、ぐるりと後ろに回り込む。

獲物に消化液を纏わせて首筋に突き立てる。

痺れるような手応えの後、刃が少しずつ龍の甲羅を溶かし、その下の肉にまで食い込んでいく。

当然龍も暴れだし、頭もろともぼくの身体をあちこちにぶつける。

肋骨が何本も折れていくのがわかる。

臓器の1つや2つはすでに潰れているかもしれない。

それでも何とか頭に貼りつき続け、ぼくの身体も悲鳴を上げ始めたころ、とうとう龍の動きが止まった。


……ふう。

結構強かったね、龍。

損傷したパーツを再生しながら、分体に龍の身体を解体させる。

……龍という存在そのものがぼくにとっては新鮮だった。

サイズ感はさておき、この世界で出会ってきた生き物たちは前世にいたそれとよく似ていた。

だからファンタジー感のあふれる龍という生き物がぼくに与えた驚きは大きい。

他の場所に行けば、もっと異世界感のあるものにも出会えるのかもしれない。

……もっともそんな予定は無いけど。


……あれ?

まだ近くに生き物の気配がある。

龍の仲間かな?

直感を頼りに微かな気配のした辺りへと歩いていく。

ぼくの戦っていた森の空白のすぐ近く、深い茂みの中に横たわっていたのは、

人間の女の子だった。

ぼくと同い年か、少し年下といったところだろうか。

気を失っているらしく、息はあるものの呼びかけてみても反応が無い。

森にはどうも不釣り合いな、淡い青のワンピースにパンプスという服装だ。

なんでこんな所に……?

そう思いつつ周囲を見渡すと、あちこちに屈強だったであろう男たちの骸が転がっていることに気がついた。

……どうやらただの女の子ではなさそうだ。

でもまあそんなことはぼくにとってはどうでもいい。

ぼくが今考えねばならないのは、この子をどうするかということだ。

うむ……。

すでに死んでいてくれれば躊躇なく喰えたのになあ。

……あ、喰うって言っても別にそんな変な意味じゃないよ?

龍とかこの辺の男たちの遺体みたいに無駄なく美味しく頂くって意味だよ?

それはそれで十分「変な意味」かもしれないけれど……。

とにかくこの子はまだ生きている。

殺してしまうのはやっぱり気が引けるし、危険な森に放置するのもどうかと思う。

かといってぼくの近くにいるとそれはそれで命が危ない。

だから分体を使うことにした。

残機3つのうちの2つを置いて行き、彼女の護衛を命じる。

……くれぐれもこちらには連れてこないようにと忠告を添えて。



酸っぱくて渋い龍の肉を喰らいつつ、これからどうしようかとあれこれ思案する。

前回籠もったとき、どれくらい食べてたんだっけ?

詳しく覚えてはいないけど、龍1体分よりは多かったような気がする。

さらに長く休眠しようと思うなら、まだまだ食べておく必要がありそうだ。

でも食べすぎると生態系に多少なりとも影響が出てしまうだろう。

その辺の加減が難しい。

いっそ全部食べ尽くしちゃおうかな。

中途半端に喰われるよりは、むしろ一旦完食してしまった方が……。

いやいや、何考えてるんだ?


いろいろと思いあぐねていると、思っていたよりも早く分体が帰って来た。

さっきの女の子を後ろに連れて。

……あのさ。

ヒトの話聞いてた?

ぼくの感情を察してか、分体がびくっと飛び上がり、怯えながら経緯を説明し始める。

……なになに?

最初は帰そうと思ってたけど、何度も何度も頼まれるうちに断るに断れなくなったって?

……お前は俺か?

……そうか、お前は俺か。

なんか分体の行動が自分に似てきていて腹が立つ。

子どもを育てる親もこんな気持ちなんだろうかとふと思う。

あれほど言ったのに……と思っても、どうも叱るに叱れない。

「先程はお助けいただき、本当にありがとうございましたっ!」

……あ、無理、かわいい。

改めて見ると、なんというか、その、すごくかわいい。

一瞬分体を無条件で許そうと思ってしまう。

「はい?その、何のことだか……」

何とか無関係を装って帰ってもらおう。

「嘘つかないでください?

その手に持っているものはなんですか?」

「あっ……」

龍の尻尾だ。

「本当に助かりました。

私、ベルっていいます。

しがない地方貴族出身の者です」

「……どうしてこんな所に?

ご両親もいるでしょうに……」

「家が他の貴族に潰されたので、ヘイズ国に逃れようとしていたんです。

あそこには古い別荘がありますからね。

あ、両親は既に殺されています」

「えっ!?……その、すみません。

立ち入ったことを聞いてしまって」

その明るい表情からは全くそのようには見えなかった。

「いいんです。

貴族社会ではよくあることですし」

「……そう、なんですか……」

「それより何かお礼をさせてください。

大したものはありませんけど……。

とにかくうちに来てくださいな。

ささやかなごちそうぐらいはできると思いますよ、冒険者さん?」

なるほど、彼女にはぼくが「冒険者」とやらに見えているのか。

「ほら、ペットさんもご一緒に」

で、分体はペットと。……ペット!?

「そんな……気にしないでくださいよ。

ぼく自身、もともと助けるだなんてそんなつもりは……」

「だめですよ。

それでは私の気が済みませんから……ほら、早く早く」

返り血に塗れた腕を掴まれ、ぐいぐいと引っ張られる。

白く、しなやかで細い腕。

簡単に振り払えるはずなのに、どうしてだか振り払えない。

これじゃあ分体を叱れないな……。

その分体は分体で、うきうきした様子で残った龍の肉を運んでいる。

……やっぱりぼくの一部なんだな、お前ら。



壁の中は多くの人で賑わっていた。

商人に遊び人、出稼ぎと思しき農民……。

……人混みの中にいると、どうしても休眠前の出来事を思い出してしまう。

「……ちょっと、大丈夫ですか?」

酷い目眩がしてくる。

「ええ、大丈夫です。大丈夫……」

「顔色が悪いですよ。

一旦休まれた方が……」

……結局自分の体調には敵わず、その言葉に甘えて先に家に向かわせてもらうことにした。

彼女の別荘は、街とは少し離れた小高い丘の上にあった。

思いの外質素な2階建ての建物には、シンプルなデザインで、かつ気品のある家具が適度に配置されていた。

「あちゃー……。

これはお掃除が必要ですね……」

長らく使っていないのだろう、埃を被っているものも多い。

「すみませんが、これから食材を買って来ますのでしばらくはこの状態で我慢してくださいね」

「……荷物持ちぐらいしますよ?」

「いえいえ、具合が優れないのでしょう?

無理しないでください、冒険者さん……冒険者さん、では少しお呼びしにくいですね。

失礼ながら、お名前は?」

「梶原 聡です。

梶原って呼び捨てで呼んでください」

「カジハラさんですね、わかりました。

ではどうぞ、ごゆっくり……」

そう言って彼女は出かけて行った。

埃を払い、大きなソファに腰掛ける。

柔らかい感触に包み込まれた瞬間、溜まりに溜まっていた疲れにどっと襲われる。

瞼が重くなり、そのままだんだんと意識が薄れていって……。



「……さん?……カジハラさん?」

ぼんやりと目を開けると、蒼く澄んだ瞳がこちらを覗き込んでいた。

「あっ……す、すみません」

いつの間にか寝てしまっていたらしい。

膝の上には温かいブランケットがかけられている。

「いえいえ、くつろいでいただけたようなら何よりです。

……これ、あなたの倒してくださったドラゴンのお肉と、街で買ってきたお野菜でスープを作ってみたんですが……いかがですか?」

「ありがとうございます。いただきます」

スプーンで1杯すくって口に運ぶ。

「……どうですか?

お口に合えばいいんですけど……」

1口すすると、主張しすぎない優しい旨味が口いっぱいに広がっていった。

転生して以来、いや入院して以来の、美味しくて温かい食事。

言葉で言い表せないような強い感情が、1口、また1口と食べる度に込み上げてくる。

「カジハラさん!?……どっ、どうされたんですか?」

「美味しい……美味しいです……」


初対面の、それも女の子の前で涙を流すなんてと、なんとか堪えようとした。

そんなの格好悪いじゃないかと、自分を抑えようとした。


それなのにぼくは、止めどなく溢れる熱いものを、どうしても押し留めることができなかった。

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