第8幕

「……はい、登録完了しました。

あなたの識別ナンバーは1087です」

「……あの、今日から受注できるクエストって何かありますかね?」

「今日、ですか?

しばらくお待ちください……。

あなたのランクですと……マンドラゴラの納品などいかがでしょう?」

「マンドラゴラ?」

「……他国では手練れの冒険者様なのに、ご存知ないんですか?

……まあ、依頼書にも詳しい記述がございますから、そちらをご参照ください」

「わかりました。お受けします」

「くれぐれも道中お気をつけて。

このところ、原因不明の失踪者が多発していますので……」


ベルさんと出会った翌日、ぼくは(こっそりと)正式な冒険者になった。

ここでいう冒険者とは、壁の外を舞台に活動する、所謂何でも屋のことだ。

引き受けた「クエスト」と呼ばれる依頼に応じてその仕事内容はいろいろと変化する。

依頼の仲介は基本的に国が一括して担っており、その名簿に登録することで様々なクエストが受けられるようになる。

名簿への登録はちょっとした書類の提出とサイン1つで簡単にできるけど、その代わりに活動中の出来事の一切については「自己責任」だという絶対のルールがある。

そして実績を積んでいけば、冒険者としてのランクが上昇し、より危険で報酬の多いクエストが解禁されるらしい。

……そんな冒険者としてデビューしたぼくだけど、昨日それと間違われたからいっそ本当になっちゃおうかな……などといった軽いノリで決めたのではない。

冒険者になれば森に出ても怪しまれないだろうから、いつでもしたいときにエネルギーの補給ができると考えたのだ。

安定した食料源さえ確保できれば、もしかしたらこのまま、この壁の中で「人間」として暮らしていくことだって可能かもしれない。

だけど何よりの決め手は、手っ取り早く収入を得たかったこと。

お金が欲しい。

少なくてもいいから通貨を獲得して、この世界の人間の食事をもっと頂きたい。

それにもし壁の中で暮らすことになれば、住む場所の確保などのために多くの資金が必要になるだろう。

……何かな?

それなら彼女のとこに住まわせてもらえばいいって?

そうすれば両方とも解決するって?

……陽キャでイケメンな皆様方がどうなのかは知らないけれど、残念ながらぼくの面の皮はそんなに厚くないのだよ。

図らずも命を助けたとはいえ、彼女にとってぼくは赤の他人だ。

そこまで自分に自信があるわけでもないぼくに、そんな彼女の家に上がりこもうなんていう考えは無い。

……というか、そんなおこがましいこと普通はできないと思うんだが。

少女漫画じゃあるまいし。

それに、今の彼女にぼくと暮らせるだけの余裕はおそらく無い。

貴族の出とはいえ、ほとんど身一つで逃げていた彼女の今の暮らし自体、かなり苦しいものなんじゃないだろうか。

実を言うと、ぼくが冒険者になって収入を得ようと思った動機の1つがここにある。

……何と言うか、ね。

どうせなら少しでも力になってあげたい、みたいなね。

喜んでる顔が見てみたい、みたいなね。

……はいはい、どうせお節介ですよ。

気持ち悪い陰キャの発想ですよ。

悪かったね。



森に入ってすぐに出会った蜘蛛の脚をしゃぶりつつ、もう片方の手で依頼書をぱらぱらとめくる。

……なるほど、こいつがマンドラゴラか。

確か、こういう若い木の根元辺りに結構生えてた気が……あっ、これだこれだ。

小さな紫色の花を咲かせた植物が、ひっそりと2、3本生えている。

何回か見たことはあっても、食べてみたこと無いんだよな、これ。

需要があるってことは、やっぱり美味しいんだろうか。

とりあえず引っこ抜いてみる。

すると突然、根っこが激しくのたうち回り、這うように右腕に絡みついてきた。

振り払おうとしてもしつこくまとわりつき、血圧計みたいにぎゅっと締めつけられた後、根っこのうちの特に太い1本を静脈に突き立ててきた。

そこからだんだんと痺れが回ってくる。

……毒でも入れられたのかな?

刺さった根を強引に引き抜き、血圧を急激に上げて、傷口から毒された血を排出する。

吹き出た血は鮮やかな青色に染まっていた。

……これ、結構本格的に危ないやつなんじゃないのか?

普通の人たちはこれをどうやって採集してるんだろうか。

何度も刺されながら地面に繰り返しぶつけているうちに、やがてマンドラゴラの抵抗は止まった。


……さて。

早速実食だ。

一思いに口に放り込む。

「うっ……ゔおぇっ!?」

なんだこれ!?

不味い!

……いや、不味いなんてもんじゃない。

身体が全力で拒否している。

恐ろしいまでの吐き気と格闘した後、上を向いて無理矢理喉を通す。

飲み込んでも、口の中になんとも形容しがたい風味がねっとりとこびりついて離れない。

……人間は、こいつらを何に使うつもりなんだろうか。

……まあ、ともかく依頼は達成しておかなければなるまい。

しつこい抵抗に四苦八苦しながらも、ぼくはなんとか規定数のマンドラゴラを集めることに成功した。



壁の中に戻ったときには、もう空が赤く染まり始めていた。

「お名前とご用件をどうぞ」

「冒険者ナンバー1087の梶原です。

クエストの達成報告に来ました」

「マンドラゴラの納品ですか。

……あれ?本日受注されたばかりなのに、もう集められたんですか?」

「……え?ええ、まあ一応」

「仕事がお速いですね……。

では、納品対象のものをこちらに」

テーブルの上にマンドラゴラを詰めた袋を置き、口を解いて中身を確認してもらう。

「どれどれ……ふえっ!?

根っこごと取ってこられたんですか?」

「あ、すみません……マズかったですか?」

「いえ、依頼に対する問題があるというわけではないのですが……。

その……なんとも無かったんですか?」

「ああ、結構面倒ではありましたけど、何とかなりましたよ」

「それはそれは……。

自分を見くびってもらっては困るというわけですね……」

「……?」

「規則ですので、今回は追加報酬も出しますけど……。

これからは、くれぐれも無理なさらないでくださいね。

私の言うべきことではないのかもしれませんが、自分の実力の過信は、いずれ自分の身を滅ぼすことになりますよ。

私はそういう人を、これまでに何度も見てきましたから……」

「はあ……」

受付嬢の深刻な表情からも、マンドラゴラを根っこから引き抜くことが人間にとって想像以上に危険なことなのだと理解した。

目立ちたいわけでもないし、これからは依頼書をしっかり読んで動くようにしよう。



報酬として貰ったお金と余ったマンドラゴラを手に、ぼくはベルさんの家に向かった。

……この国の物価がいまいち掴めないので、この量のお金にどの程度の価値があるのかわからない。

ちょっとした生活の足しぐらいになってくれればいいけど。

軽くドアをノックする。

「はーい……あっ、カジハラさん!」

少し長めの銀髪を三角巾の中にまとめ、小さな花のあしらわれたエプロンに身を包んだ彼女は、貴族というよりも世に言う「村の娘」に近い出立だった。

でもぼくとしては、こちらの方がよく似合っているような気もした。

「ごはんの用意はまだですけど、とにかく上がってってください。

外は寒いでしょう?」

寒さとか別に感じないんで……と、とっさに出かかった言葉を慌てて飲み込む。

「あ、いや、今日はこれを渡したくて来ただけなんで……。

ほらこれ、昨日のお礼です」

今日稼いだ(そして自分の分を少しだけ抜いた)お金の入った麻袋を手渡す。

「そんな、気にされなくてもいいのに……。

ひゃっ!?こんなに!?」

「ぼくの気持ちですんで、遠慮なく受け取っちゃってください。

では、ぼくはこれで……」

「受け取れませんよこんなにたくさん……。

というより、こんなに渡しちゃって、あなたの生活は大丈夫なんですか?」

「大してお金のかかる暮らししてないんで、何も問題ないですよ」

「そんなこと言ったって……。

そう、お住まい……どこで寝泊まりされてるんですか?」

「どこでって……それは……その辺で」

「その辺?って、まさか……」

「路地裏とか、だれかの家の屋根の上とか」

「気は確かですか!?

治安だってそこまでいいというわけでもないのに……。

なにより、外で寝てたらそのうち風邪引いちゃいますよ?」

付け加えられた言葉の説得力が小学生レベルで困る。

「待っててください!

今すぐベッド準備しますので!」

……は?

「ちょ、な、何を言って……」

「それともなんですか?

どこか行くあてでもおありなんですか?」

「いや、そういうことじゃなくて……


……はあ。

どうしてこうもぼくは自分の意志が弱いんだろうか。

暴走のリスクとか色々考えなきゃならないはずなのに、強く出られるとすぐに根負けしてしまう。

何かあってからでは遅いんだってわかってるのに……。

それにさ……なんというか、異性ですぜ?

前の世界ならこれ、下手すると犯罪にあたるんじゃなかろうか。

……彼女本人がいいならそれでいいのかな?

ぼくとしては満更でもないんだけど……。

いやいや、それでもここは自制して丁重に断るべきだったんじゃないのか?

……やっぱり、心のどこかに男子高校生らしい魂胆が残ってるんだろうな、多分。

詳しくは言えないし言わないけど。


ぼくの部屋として、彼女は2階の隅の空き部屋を貸してくれることになった。

余った狭い部屋を使わせてしまって申し訳ないと彼女は言っていたけれど、それでも前世のぼくの部屋よりもずっと広い。

高級なホテルと言っても差し支えないレベルの、質素ながらもきれいな内装だ。

部屋の角に置かれたベッドに身を投げ出す。

……ちゃんとしたベッドで寝るのは死んで以来だ。

ふかふかの布団からは、ほのかに甘い香りがして、なんだか少し恥ずかしかった。

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