第19幕

出発の朝。

病室の中は眩しい日の光でいっぱいに照らされている。

「カジ君、早くー!」

ドアの向こうからぼくを呼ぶ若き勇者の声が響く。

「うん、ちょっと待っててー!」

真っ白なシャツに袖を通し、手早くボタンを留めていく。

ズボンにベルトと義足の制御装置を通してきつく締め上げる。

いつもより念入りに顔を洗い、手櫛でちゃちゃっと髪型を整える。

引き戸を勢いよく開け放つと、そこにはみんなの姿があった。

「あっ、おはようございます!

カジハラさん」

「おはよう……ごめん、待たせちゃって」

「いいんだよ。

そんなに急いでるわけでもないし」

「忘れ物は無い?」

「そんな、子どもじゃないんだから……。

大丈夫だよ、フィス」

「……じゃあ、行こうか」

「おうよ」

日が空高く昇り始めるころ、ぼくは病院を後にした。

久しぶりの外の空気が爽やかに肺を満たし、幾分か身体が軽くなるのを感じた。



歩くことを覚えて以降のぼくの回復はめざましいものだった。

ベルさんや他の医者たちが目に見えてドン引きしていたほどだ。

歩けるようになったその瞬間、分体がコツのようなものを掴んだらしい。

2日と経たないうちに、スムーズな歩行はもちろんのこと、走ったり、階段を素早く昇り降りしたり、2階から飛び降りたりと、さまざまな動作が可能になった。

流石の学習能力である。

もう、こいつらの親の顔が見てみたいね!


……しかしながら、身体能力の多少の低下は否めない。

見た目に反して義足の可動域が広く、動作の違和感も小さいとはいえ、戦闘時にはその出力と瞬発力が問題になってくる。

油圧のパワーは、日常生活を送るのには十分であるものの、人間離れした動きを要求するぼくの闘い方に上手く対応できるかどうかは怪しい。

制御を分体に任せる都合上、咄嗟の判断にも不安が残る。

……まあ、心配しても仕方ないな。

ぼくはぼくにできる限りのことをする。

それは変わらない。



リチネード国を出たその先には、森も草原も無く、ただ見通しの良い荒野がどこまでも広がっていた。

……静かだ。

静かすぎるほど静かだ。

魔物はもちろんのこと、生き物の気配が一切しない。

張り詰めた重い空気が辺りを包み、息が苦しくなるような沈黙が世界を支配している。

本来ならば、リチネード国境を越えると、地平線の辺りに魔王の支配する領域の建築物が見えてくるはずだった。

でも、ぼくの視力は決して悪くないはずなのに、視界に入るのは延々と続く荒野だけだった。

不思議……というよりも不気味だ。

自然と誰も言葉を発しなくなる。

1人1人の息遣いと足音だけがやけにはっきりと聞こえる。


言葉を交わすこともなくぼくらは歩き続け、ついには魔王の領域に足を踏み入れた。

でも戦闘になることはなかった。

そこにぼくらを狙う兵士はいなかった。

そこにぼくらを憎む人々はいなかった。

そこは人っ子一人いやしない、無残な瓦礫の丘陵地だった。

「これは一体……?」

「廃墟……のようね」

手近に落ちていた、かつてタンスのような家具であったと思われる木片の表面を右手でそっと擦る。

荒野に晒されている割にはそれほど砂を被っていない。

壊滅してからそれほど日数は経っていないようだ。

「……都市として放棄されたのか?」

勇者の推察にもうなずける。

資源の枯渇に伴う移住と、敵に跡地を利用されないための破壊が行われた可能性は、跡地周辺の景色を見る限り十分にある。

ただ……。

「……いや、ぼくにはそうは思えないな」

「どうして?」

「この辺、なんだか血の臭いがするんだ」

「…………!?」

「だいぶ薄まってきてるみたいだけど、地面とか空気とかにうっすらと染みついてる。

血だけじゃなくて、体液とか糞尿とか……。それに、家畜の屠殺にしてはちょっと密度が濃すぎるんだ」

外敵の探知のために研ぎ澄ましてきた感覚の1つが、廃墟にこびりついた微かな死臭を見つけたのだった。

「それってつまり……」

「うん。おそらくここでは、何者かによって殺戮が行われている」

「でっ、でもそんなの誰が……?」

「この地域への出兵は俺の代では行われていないから、少なくともこっちの人間の仕業ではないはずだ」

「じゃあ、魔物……ですかね?」

「どうだろうね……。

まあ、とにかく先へ進むとしようか。

いずれ何かわかるかもしれない」

ところがどこまで歩いても、その手がかりとなるようなものは見つからず、ただ風景の気味の悪さと、ぼくらを包む悪臭の濃さだけが増していった。

「うっ……この臭い……」

「大丈夫ですか?

体調が悪いならどこかで……」

「……い、いえ、私は大丈夫ですから……」

今や漂う死の臭いは鼻が曲がるほど強い。

……魔物にしたって、ここまで酷い滅ぼし方ができるものなのだろうか。

どこまで進んでも瓦礫の道が続いている。

相変わらず生き物の気配は無く、かといって何かの死体も見つからない。


……気づけば日が暮れようとしていた。

一旦立ち止まって夜を越そうかと考え始めたそのとき、はるか遠くの方に、恐ろしく巨大な城が現れた。

一面に瓦礫ばかりが散乱する中、その城だけは威圧的に、そしてどこか寂しげに立ち塞がっていた。

「あれが、魔王城……?」

「わからないけど、おそらく……」

「……どうするの?入ってみる?」

「…………ああ。気を引き締めていこう」

衛兵や警備員は誰一人としておらず、侵入者を防ぐ罠も仕掛けられていなかった。

ぼくらを止めようとするものは、得体の知れない恐怖を除いて何も無かった。


程なくして、ぼくらは城の鉄扉の前にたどり着いた。

その門に鍵はかかっていなかった。

先頭の勇者が重い扉をこじ開ける。

……その向こうに1歩入った瞬間、ぼくは思わず身震いした。

どこからともない恐ろしい殺気が、空間の隅々にまで充満していた。

音さえも無くなったかのように、辺りの空気が完全に静止していた。

まずぼくの目に入ったのは、見上げるような瓦礫の山。

中には原型を留めないまでに壊された、何かの死体の断片も数多く含まれている。

強烈な腐敗臭が鼻をつき、軽い吐き気をも誘ってくる。

その山の頂上にぽつんと立つ、数少ない生者が1人……。

その光景は、幾度となくぼくを襲ったあの悪夢にそっくりだった。

ただ違うのは、上にいるのがぼくではないということ。

そしてこれが悪夢ではなく、紛れもない現実だということ。

小さな身体に不釣り合いな、1対の巨大な黒い翼。

口から覗く2本の短い牙。

今代魔王ミューデが、高い瓦礫の山の上からぼくらを見下ろしていた。

「やあやあ皆様。

ここまでご足労いただきどうもありがとう」

口ではにっこりと笑いながらも、その目はじっとぼくらを見据えていた。

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