第25幕

「あっ!カジハラくんにベルちゃん、いらっしゃーい」

「どうも」

「元気にしてたー?」

例によって満面の笑みでぐりぐりと頭を撫でられる。

どうしてこうも、この人はいつも……。

……あー、なんか気持ちいい……。

……背後から妙な殺気を感じる。

「やっ、やめてよもう……」

邪険に思われない程度にその手をぱっと払い除ける。

「ごめんごめん……さ、入って」

「お邪魔しますよっと」

「うわあー、すっごくきれい……」

城自体に入ったことはあっても、彼女らの居住エリアに足を運ぶのは今回が初めてだ。

食堂は整然と飾られ、丁寧に磨かれたインテリアの数々が主張しすぎない気品ある輝きを纏っている。

けばけばしさの無い、自然で優雅な美しさ。

今更ながら、高貴な人たちなんだなあと嫌味なく思う。

「まだ準備してるから、もうちょっとだけ待っててね」

「ほい」

「……なあ、こんなので本当にいいのかい?

わざわざこの機会を使わなくったって、君が言いさえすればいつでも招待するんだぜ?」

「その言葉だけでも十分嬉しいよ」

「まーたそんなこと言う……」

「悪いね。もともとこんな性格なんだ」

「……ま、出費が抑えられて正直こっちも嬉しいんだけどね」

旅に協力した報酬、というよりお礼として、勇者はぼくらに(彼の権限の及ぶ範囲で)どんなものでも差し出そうと豪語した。

職業柄、お金にはさして困らないし、地位などにもそれほど興味が無いぼくにとって、これはなかなかに難しい提案だった。

悩んだ結果、ぼくはいつもの王宮での夕食をぼくらに振る舞うことを求めた。

なんだかんだでぼくにとってはこれが一番実益になる。

ちなみにベルさんは、最上級の仕上げ用砥石を受け取っていた。

料理包丁をはじめとしていろいろな刃物に使えるらしい。

「……ねえベルちゃん、ここには俺が本当に信頼している相手しか入れないようにしてるんだ。

危険は無いと思うし、もう少しリラックスしてくれたっていいんだよ?」

きょろきょろと周囲を見回す彼女に勇者が声をかける。

「あ、すみません……どうしてもこういう場所は落ち着かなくて……」

そうか、だから……。

軽い気持ちで決めてしまったことを多少後悔する。

「うーん……まあ、しょうがないか。

自分なりに楽しんでってよ」

勇者は頭の後ろをちょっと掻いた。



5分程すると最初の料理……喩えるならコーンポタージュに似たスープが運ばれてきた。

湯気に乗って甘くかぐわしい香りが漂ってくる。

……と、勇者がスプーンを手に取り、1杯すくって側に立つフィスの方へと差し出した。

長い髪を退け、顔を近づけてそれを咥える。

「あむっ……うん、美味しいわ」

「……え?」

彼女の席にもほとんど同じものが用意されてるのに……。

そう思って見ていると、ベルさんもまた同じように1杯すくって、後ろに残っていた使用人のような女性に食べさせた。

「これはどういう……?」

「ん?……ああ、カジ君、知らなかったか。

これはこの国に伝わる古い風習でね。

料理を提供する人が、食べる人の目の前で料理と食器の毒味をするんだ。

……まあ、今ではほとんど形式的なものなんだけどね」

「なるほど」

「でもこれ、あたし的には毒味が由来じゃないと思うのよね。

だって、例えばお付きの人が風邪なんか引いてたら、絶対うつっちゃうでしょ?」

「ああ、確かに」

というかそれより、これって明らかにあーんからの間接キ……。

「気になるなら別にしなくてもいいんだよ?

ただの変わった文化ぐらいに思っといてくれれば」

「あ、いや、大丈夫だから」

郷に入れば郷に従えって言うしな。

2人に倣って匙に1杯のスープを後ろの女性に差し出す。

「失礼致します」

軽く一礼して屈み、少し目を細めてそれを口に入れる。

その力が手元にまで伝わってきて妙にどきっとする。

……で、このままこのスプーンを使うのか。

……いつかやってみたいな。

「あなたはこの風習、知ってたんですか?」

「はい。ここまで直接的ではないものの、似たような習わしは私の国にもありますし、何より教養として教え込まれましたから」

「へえー……」

「……ねえねえ、カジ君ってさ、詳しくはわかんないけどこことは違う世界から来たんだよね?」

「うん、多分そんな感じ」

「そこって、こことは随分違うんだよね?

ちょっと気になるな」

「そうかな?

大して差は無いと思うけど……」

その後しばらくは、主にぼくの前世での暮らしの話題になった。

国の周りを囲う壁が(少なくとも、ぼくの生きた時代には)無いことや、魔物や勇者の概念が向こうには無いことが、彼らにはかなり新鮮らしかった。

……言われてみれば、ぼくとしてはラノベなどの知識のおかげで魔物等々の存在にそこまで抵抗が無かったけれど、こっちの世界の人たちからすれば向こうのことなんて想像もつかないんだな。

カルチャーショックというか、異文化交流というか。

異世界に来たんだなあとしみじみ実感する。

……そして話題は、ぼくの初恋のことへと移った。

普通そうはならないだろうと思うが、何の方向性もなく男女四人が喋ると、いずれはここに行き着くようにできているらしい。

「どうだったの?

前の世界にもかわいいコ、いた?」

「うーん……。

正直、よく覚えてないんだよね」

小学校の6年間は何も考えずに過ごしていたし、中学校の3年間は陽キャの皆様方に馴染めずに死んだように息を潜めていたし、高校に入ったら本当に死んだし……。

そもそも親戚や幼馴染などの一部を除けばほとんど女性と接点の無い人生だったから、前世での恋愛経験は皆無だ。

まあ、ここでいう「初恋」の定義は「恋愛」よりももう少し広いんだろう。

「……かわいいなと思った人、として挙げるなら、ぼくの場合は女神様になるんじゃないかな」

「女神様っていうと……君に転生を薦めたっていう、あの?」

「そう。世の中にこんなきれいな人……人じゃないけど……がいるのかってぐらいでね。

それだけじゃなくて、人の良さっていうか、そういうのを感じて惹かれたんだと思う」

「一目惚れだったのね」

「どうなんだか。

まあ、とにかく記憶には残ってるよ。

名前は確か……カトリーナ……だったかな」

「……!?」

ぼくがその名を口にした瞬間、ベルさんが持っていたナイフとフォークを取り落とした。

それぞれが皿とぶつかって、神経を逆撫でる乾いた音を立てる。

それを慌てて拾おうとして、その手が吸い寄せられるように頭を抱える。

「だっ、大丈夫ですか!?」

「何これ……頭に情報がどんどん……!」

髪をくしゃくしゃにして呻いている。

「早く医務班を!

それから安静にできる部屋の確保も……王族の私室を開いてもいいから!」

勇者が素早く指示を出し、すぐさま何人かの使用人が駆けつける。

彼らに抱えられて彼女は別室に運ばれた。

その間、情けないことに、ぼくは困惑のあまりただ呆然と成り行きを見ていることしかできなかった。



言いようのない苛立ちとともに扉の前を往復していると、扉がおもむろに開き、中から何かの箱を持った医師たちが次々と現れた。

「どうでしたか!?何か問題は……」

手近な1人を捕まえて、すがるように問いかける。

「容体は落ち着いています。

検査の結果としても、別段異常は見られませんでした。

原因は……正直、今のところわかりかねます。

とりあえずは、ご本人のご希望もありますので、しばらくの間はお1人で安静に……」

「そう、ですか……」

落ち着いてきたと聞いて嬉しいような、それでもどこか不安が残るような、やりきれない感情がもやもやと湧き起こる。

勇者はぼくにも部屋を用意してくれたけど、ぼくはそこには向かわずに、扉の向かいの壁に寄りかかって時間を過ごした。



……2時間ほど経って、ぼくの我慢はとうとう限界を迎えた。

扉をノックして彼女の名前を呼ぶ。

返事は無い。

躊躇いながらも扉を開け、その中に足を踏み入れる。

ベッドの上に彼女の姿は無く、部屋の隅のほうで小さくうずくまっていた。

「ベルさん……その、大丈夫ですか?」

彼女がゆっくりと振り返る。

その表情は青ざめ、瞳はいつもの輝きを潜めて凍りついていた。

「梶原さん……」

ぼくの姿を見るや、その目元にじわじわと涙が浮かんでくる。

「梶原さん……梶原さんっ……!」

ぼくの身体に顔を埋めて、彼女は堰を切ったように泣き出した。

何に憚ることも無く、感情に任せて、声を限りに泣き続ける。

…………つくづく自分が情けない。

こんなときにどうしたらいいのか、今になってもわからない。

泣かないでよ、なんて言えるはずがない。

どうして泣いてるの、なんて聞けるわけがない。

だからぼくは、とりあえずは、泣きたいだけ泣いてもらうことにした。

預けられた頭を両腕で不器用に包み込む。

すると彼女は、より一層激しく泣き出した。

ぼくが離せば壊れてしまいそうな気がして、彼女が疲れ果てて眠ってしまうまで、ぼくは一心に彼女を抱きしめていた。

窓の外をふと見ると、そこにはやけに細い逆向きの三日月が浮かんでいた。



……これが、全ての始まりだった。

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