第3幕
腹が減った。
早急に食料を確保しなければならない。
でも人間界に馴染める見通しは立たない。
……よし。
狩りでもするか。
もちろん前世での狩りの経験なんか無いけど、基本的に不死身らしいし多分大丈夫だろう。
そういうゲームもちょっとやってたし……。
……とにかく、張り切ってやるしかない。
なんとかなるさ、きっと。
そうと決まれば、まずは武器を調達しよう。
武器を調達しよう。
……武器。
うん。
どこにも無いね。
森のど真ん中にナイフなんて落ちてるはずがないし、猟銃なんてもってのほか。
カトリーナさんを呼んでみるっていう手もあるけど、正直あまり負担をかけたくない。
……あの後、彼女はぼくの転生時に起きた事故の原因を調べてくれている。
いつでも呼び出せるようにとスマホに似た機械を渡されはしたけど、どうしても使うのはためらわれる。
……だって、ねえ?
あのヒト絶対無理してるじゃん。
交信中もその透き通った声の裏側に疲れの色が見えた。
ぼくの現状を探るのにも相当な労力が必要だったんだろう。
しかも彼女はこうなってしまったことに対してかなり責任を感じているらしい。
謝らなくていいと何度伝えても聞く耳を持たなかった。
原因究明のために無茶をしていても不思議ではない。
……あっけらかんとされても腹が立つけど、こうも気にされるとかえって困る。
もともと良心からしてくれたことなんだし、ぼくに彼女を責める気は毛頭ない。
何よりも憎むべきは自分の運の悪さであるからして。
それなのにあの神様ときたら。
やっぱりかわi……心配だ。
結局、ぼくはそんな彼女を無理に止めようとはしなかった。
心配だけど、やりたいだけやらせてあげた方が彼女の心情的にいいんじゃないかなと思ってしまったのだ。
こういうのがぼくの悪いところだ。
……それはさておき、武器だ武器。
うーん……。
どうしたものかね。
座して考え、特に名案も浮かばないまま、時間だけが過ぎていく。
…………ぴとっ。
頭にぬるい水滴が落ちた感覚。
雨かな?
右手で拭き取り、そっと空を見上げる。
太さ3メートルはあろうかという巨大なムカデが、唾液を滴らせながら大口を開けてぼくの真上に迫っている。
「……おふぉっ!?」
変な声を上げつつ夢中で飛び退く。
ほんの数秒前まで自分が座っていた場所に、ムカデの大顎が派手な地響きを起こして突き刺さる。
そのままゆっくりと頭をもたげ、舐め回すようにこちらを見つめる。
ぼくの本能が激しく危険信号を発する。
逃げなければならない。
この場から一刻も早く立ち去らなければならない。
そう思っても、なぜだか足が動かない。
ムカデの方を向いたまま、ぼうっと立ち尽くしてしまう。
怖すぎるから?
いや、違う。
今まさに、ぼくの脳内を支配しようとしているのは、
恐怖でも、
絶望でもなく、
食欲。
……こいつ、食べたい。
食べたい。
たべたい。
タベタイ……
そのとき、ぼくの理性と意志は、身体から切り離された。
視界がさっと赤く染まる。
鼓動が一気に跳ね上がり、呼吸が荒くなって全身の毛が逆立っていく。
……逃げたいという気持ちとは裏腹に、どうやらぼくの身体はこの化け物を襲うことに決めたらしい。
息を深く吸い込み、どう考えても人間のものではない、空気を震わすような咆哮を放つ。
怯むことなく猛スピードでムカデの大顎が迫ってくる。
危ないタイミングで飛び上がって回避し、そのまま近くの木の枝に乗り移る。
……ぼくの身体能力ってこんなに高かったっけ。
ムカデが真上に方向転換し、ぼくの乗っている木に登り始める。
ぼくの身体が反撃の準備を開始する。
右手の指がすべて一体化して長く伸び、腕とともに荒々しい刃のようなものへと硬く変質する。
刃の部分を舐め上げ、べっとりと全体的に唾液を纏わせる。
木の枝から飛び降り、すれ違いざまにムカデの背中に切りかかる。
刃の触れた瞬間、その黒光りする甲羅が煙を出して融解し始める。
縦4メートルほどの深い切れ込みを入れた後、ムカデの背中を蹴って着地。
身悶えするムカデの脳天にとどめの一撃を叩き込む。
ビクビクっと大きく痙攣して、巨大なムカデは息絶えた。
頭に突き立てた右腕を強引に引き抜き、人間の腕の形に戻す。
身体の支配権はまだ戻っていない。
両手で傷口をこじ開け、ムカデの肉に喰らいつく。
……うむ、不味い。
めちゃくちゃ不味い。
喩えるべきものが見つからないほど不味い。
全く言うことを聞かないくせに、身体の感覚だけは共有されるようで、味はしっかりと感じられる。
……これはたちが悪い。
心底不味いと思ってるのに、身体の方は一心不乱に食べ続ける。
あまりの不味さに味覚が麻痺しそうになってもまだ食べ続ける。
ムカデの毒か何かで本当に麻痺しそうになってもまだ食べ続ける。
馬鹿でかいムカデを跡形もなく食べ尽くしたころ、やっと視界が鮮やかになり、身体が言うことを聞くようになった。
そのころには空腹も収まっていた。
そんなわけで、ぼくの今世での初めての食事は、巨大なムカデのお造りであった。
ムカデの味は別として、この戦いでぼくの得たものは大きい。
まずは単純に大量のエネルギー。
これだけ食べればしばらくの間はもってくれるだろう。多分。
次に飢餓状態の危険性の認識。
ある程度の予兆はあるものの、基本的にいつ訪れるかわからないようだ。
加えて一度突入すると空腹を満たすまでどうやっても止められない。
……これでは人社会に紛れたときのリスクが大きすぎる。
やはりしばらくはこの森から出ない方がいいだろう。
…………。
いや、まだ希望は捨てちゃだめだな。
さて、今回得たもので何より大きいのは、自分の能力の可能性の発見だ。
この力は応用次第でかなりの威力を発揮しそうな気がする。
暴走中に確認しただけでも、
・筋組織の改造による身体能力の強化
・増やした細胞の硬質化
・消化液の作用の強化(化学兵器化?)
など、いろいろとできることが分かった。
これらの原理はぼくの頭脳では到底説明できない。
……まあ、それは考えても仕方ないことなのかもしれない。
ともかくこの力があれば生き残るのには困らなそうだ。
気がつけば日が暮れようとしていた。
適当な木に登り、枝を結んで寝床を作る。
オランウータン風のベッドは思ったよりも快適だった。
心地よい風に吹かれ、遠い星空を眺めながら、ぼくは静かに眠りについた。
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