第32幕
舗装された小道を西に辿ると、それなりに大きな町に行き着いた。
外から見た建築様式は現代的で、それこそアメリカの片田舎といった印象の白壁である。
……まあ、アメリカなんて行ったこと無いから、実際のところは知らないけど。
文明の様相としても、少なくとも農業については、第5界のそれと酷似している。
整然とした大規模な農地に、コンバインなどの農用機械。
意識しなければ「異世界」だと思えないような雰囲気である。
おかげで違和感は少ないけれど、かえって、それだけに……。
「おいちょっと、そこの君!
……その翼は……?」
「……!」
びくっとして振り返る。
麻袋を抱えた青年が、明らかに侮蔑の込もった眼差しをぼくに向けている。
「……へえ、驚いたなあ。
こんなところに蛮族の……」
終わりまで聞かず、右腕を刃にしてその言葉を遮るように首を薙ぐ。
自分の血で窒息しているのか、青年が叫びもせずに袋を落として膝をつく。
「……ごふぁっ……!
げほっ、げほっ……」
腕が骨に引っかかったのでのこぎりのようにごりごりと挽く。
結局、文字通り「首の皮1枚」を残してしまい、きれいに切断して頭を落とすことはできなかった。
……最初から翼を開いた姿を見られるのは好ましくない。
まずは「人間」として科学勢力側に潜伏し、こっそりと殺して人々の不安を煽りながら情報収集を……。
……でも、偶然通りかかったこの男を焦ってすぐに殺してしまったのは、あまりにも軽率な判断だった。
全て見られていたのだ。
「……で、出やがった!
西の野蛮人だ!もうエリックが殺され……」
叫んだ男の声帯を破壊したときにはもう遅かった。
いや、中途半端に叫びを止めたことがむしろ逆効果だったのかもしれない。
騒ぎを聞きつけた人間が窓から外を覗き、2つの死体とぼくとを見るや、何か意味のわからないことを喚きながら荷物も持たずに車で逃げ出した。
そのただならぬ様子を察した他の住民も一斉にここから逃げようとする。
恐怖が人から人へと伝播し、混乱が混乱を呼んで町を飲み込んでいく。
一帯は瞬く間に、地面ごとひっくり返されたようなパニックに陥った。
ぼく自身もまた平静を失い、何の計画も無く目に映る人間を殺し始める。
翼を開いたまま、熱線も使わずに。
見られた。まずい。殺さなきゃ。
それだけが頭の中で反響し、ぼくの意識を支配していく。
殺さなきゃ、殺さなきゃ、殺さなきゃ……。
……住民を1人残らず「逃げる」か「死ぬ」かのいずれかに仕分け終えて、ようやくぼくは落ち着きのようなものを取り戻した。
音の消えた道路の真ん中にごろんと寝転ぶ。
右腕にまとわりついたものがべちゃっと嫌な音を立てる。
……1回全部洗わなきゃな。
「……あー、クッソ……」
相変わらず不甲斐ないな。
町に入れば通行人がいるかもしれないということにも気がつかなかったのか?
もし気づいていたならどうして真っ先に翼をしまわなかった?
むしろこんな状態で見つからないという方がおかしい。
それだけでも馬鹿でしかないのに、混乱を起こした後の対応ときたら……。
何だあの慌てぶりは?
一度見つかってしまっても、町の全員を殺しきれれば問題は無かったはずだ。
なのに熱線も使わずのろのろと……。
それが無理でも、殺した住民の姿に似せて身体を作り替えてしまえば一時的ななりすましだって……。
選択肢はいくらでもあったはずなのに、ぼくのとった行動はどれもその悪い方だ。
当然、もたらされたのは騒ぎだけを起こしてぼくの存在をあちこちに知らしめるという最悪の結果……。
「はあ……」
人を殺した程度で気が動転してしまうような雑魚が相手では、殺される方も死にきれないだろう。
もっと冷酷に、残忍にならなきゃ……。
手についた血を舌の先で舐める。
鉄っぽい変な風味がするのに不思議と美味しく感じてしまう。
この性質こそが自分が殺人マシンとして能力を与えられたことの何よりの証拠だと、ぼくは勝手に思っている。
ほら見ろ、人の血が美味しいじゃないか。
ぼくは狂ってるんだ。
殺すことなんてなんともないんだ。
足で勢いをつけて起き上がる。
「……さて……これからどうするか、だな」
逃げた先で、住民たちは各々自分の見たことをありのまま報告するだろう。
それら全てに先回りをして殺すことはもはや不可能だ。
今からでもなりすましを使うか?
いやいや、名前も知らないのにどうやって?
そうか、もう殺してる相手なら身分証を持ってるかも……。
駄目だ駄目だ。
殺した瞬間を見られたかどうかも把握できないから、発覚のリスクが大きすぎる。
1人でいるところを殺して入れ替われば大丈夫か?
上手く隠れて殺せれば、誰にも気づかれずに「住民」になれるかもしれない。
……それでも、だ。
第5界に似ているとはいえ、ここはあくまで見知らぬ異世界。
いつ文化の違いにぶつかってボロが出るか知れたもんじゃない。
やるだけ無駄ではなさそうだけど……。
「……もういいや、面倒くさい」
要するにみんな殺しゃあいいんだ。
むしろ騒がれた方が魔法勢力にも噂が広まってお得じゃないか。
内部事情なんて知ったことか。
ぼくは殺して……殺せばいいんだ。
ぼくは殺すだけだ。
ぼくは狂ってるんだ。
ぼくは化け物なんだ。
血塗れの右手の汚れた親指にしゃぶりつく。
勢い余って喰いちぎる。
適当に治しながら地図を開く。
「西……西は、こっちか」
太陽を背にしたやや高い山々が見える。
千鳥足でふらふらと歩き出す。
このところやけに頭痛が酷い。
山のてっぺん。
車用の平坦な道はあったけど、なんとなく獣道を通って登った。
夕焼けがきれいだ。
眩しいくらいきれいだ。
恨めしいくらいきれいだ。
「……この世界でも、太陽は西に沈んでくんだな……」
この世界にも夕焼けはあるんだ。
この世界にも夜は来るんだ。
次に目指すヒトの町を見下ろす。
眺めていると、ぽつぽつと家に明かりが灯っていく。
あそこにはもう、「化け物」の話は伝わっているんだろうか。
驚き慌てて逃げ出す人と、その話を聞こうともしない人、一体どっちが多いんだろうか。
それともまだ、何も知らないままに今日の夕飯の支度でも……。
湧き出る激しい感情をかき消そうと、自分の頬を引っ叩く。
……やっぱり全然痛くなかった。
「……そこの若いの、何かお悩みかな?」
振り返るとそこには老人がいた。
老人、という言葉が似合わないほどしゃんとした背中には、何かの植物が満杯に入った籠を背負っている。
「……あなたはどうしてここに?」
「見ればわかるじゃろ、ちょっとした趣味の山菜採りじゃよ。
……君の方は?」
「ぼくは、その…………あれ?」
「翼があるのにどうして普通に話しているのかって?」
「……はっ、はい、そうです」
違和感の正体はこれか……。
「悩みの種もそれかい?」
「え?……ええ、まあ」
うやむやに取り繕うと、老人は深いため息をついた。
「無理もない、未だに西の人々への差別意識は根強いからのう……。
馬鹿馬鹿しい話じゃ。
彼らも彼らなりに生きているだけで、突き詰めればなんにも変わらんものを……」
「…………」
「君もそうじゃろう?
確かに君はわしらと違うが、何よりも見るべきは、君が何者かではなく、君がどう行動するかじゃ。
どれ、君の話を聞かせてはくれんかね?」
そこまで聞いてぼくは怖くなった。
それは聞き覚えのある言葉だった。
よく見るとその目も彼に似ているような気がしてきた。
優しく諭されるような、見ていて落ち着く黒い瞳が……。
……でも、今のぼくにはそれが何より怖かった。
今この人と話し続けると、ぼくが壊れてしまいそうな気さえした。
だからぼくは、老人の顔を殴って潰した。
ぼくは最初にその澄んだ目が潰れるように意識した。
特に抵抗することも無く、老人はぷつりと糸が切れるように息を引き取った。
かつて老人だったものを地中に埋め、ぼくは再び視線を上げた。
夕焼けはさっきと少しも変わらずに、世界を暖かく照らしていた。
それを見て、ぼくは突然泣き出した。
初めは小さく、だんだんと激しく。
薄汚れた手で目を拭きながら。
どうして泣いているのか、自分でもよくわからなかった。
でもどうしても止まらなかった。
どうしても制御できなかった。
ただただ苦しく、辛く、痛かった。
夜。
暗く静かな夜。
みんなが眠っている時間。
みんなが疲れを癒す時間。
みんなが健やかに夢を見る時間。
そしてぼくだけが立っている時間。
目を瞑って深呼吸する。
冷たい空気が肺に流れ込み、ぼくの身体を満たしていく。
「…………早く行かなきゃ」
ぼくはこそこそと山を下り始めた。
暗がりで見えなかった足元の石に、つまずいて前から派手に転んだ。
……やっぱり全然痛くなかった。
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