第37幕
指の関節を鳴らしながら、両腕を戦闘態勢に切り替える。
「……殺せるとでも?」
「思わなければ殺せんだろう」
細めの剣を引き抜かれるのとほぼ同時に、身体を翻して殴りかかる。
攻撃の軸をずらされ、すれ違いざまに腹を斬りつけられる。
屈んで傷口を圧着しつつ足を払う。
青年が飛び上がり、そのまま羽ばたいて滞空を始める。
その飛び方は安定しておらず、見ていてかなり危なっかしい。
それもそのはず、彼はすでにそこかしこを負傷していた。
左腕からはだらだらと生き血が流れ、翼はところどころが黒く焦げている。
肩で息をし、血走った目で剣を構えるその姿は、その肉体の限界の近さをありありと示していた。
魔法を使ってこないのは、単純に力を使い切ってしまったということだろう。
熱線を放って振り上げる。
射線から逃げる身体を硬い手刀で薙ごうとすると、空気を蹴るようにさっと飛翔し、そのまま瞬時に後ろを取ってぼくの背中を深く切り裂く。
少しふらついたぼくを蹴倒そうとしたその足を、ほとんど第3の腕と化した翼で捉える。
そのまま自分の目の前の地面に叩きつける。
「ぐはっ……!」
「攻撃を欲張るのは良くないよ」
手刀を突きつける。
「……もう、終わり?」
「ちいっ!」
素早く身体を起こし、ぼくの腕を剣で弾いて再び飛び上がる。
軽い脳震盪に襲われたのか、さっきよりさらに痛々しい飛び方になっている。
「頑張ってよ。君はまだまだできるはずだ」
「……情けでもかけたつもりか?」
「……さあ、どっちが『情け』なんだか」
……ぼくは何をやってるんだ?
ヒトはできるだけ苦しめずに殺すんじゃなかったのか?
こんな悪趣味なことをしたくてこの世界に来たわけじゃないはずだ。
……まあいい。
「神様」なんかに誓った約束でもないし、ぼくのやりたいようにやればいいだろう。
首の骨を鳴らして心拍数を一段上げる。
……本来なら、とても強い人間だったんだと思う。
飛行能力を活かして軽やかに相手を撹乱しつつ堅実に追い詰めるという戦法は、言うのは簡単でも実行するのは非常に難しい。
極限状態でそれをやってのける技術には素直に驚かされる。
闘いながらぼくの癖や盲点を探し出して的確に突いてくる冷静さも、滅多に見られるものではなかった。
……だけど「化け物」殺しには、それだけでは足りなかった。
起き上がる体力も失い、仰向けに倒れた彼の喉元にもう一度手刀を突きつける。
「……何か言っておきたいことは?」
「……1つ、聞きたい……」
息も絶え絶えに言葉を絞り出す。
「貴方は……なぜ殺す?
彼らへの復讐が目的だというのは……嘘、だろう?」
「うん、そうだよ。
あれは真っ赤な嘘だ」
「……それならどうして……あらゆる人々に牙を剥く?
目的は……食い物か、女か……それともその力の誇示か?」
「……それは、その……」
一瞬答えに詰まる。
そして答えに詰まる自分にぞっとする。
必死で考えて、元は第6界を護るためだったことを思い出す。
奪われた人々の魂を奪還し、2度と同じことが起きないようにするため。
でも今となっては、それだけでは説明できないような気がする。
今のぼくを言い表すのにそれでは不十分な気がする。
それを言葉にするとすれば、やっぱり……。
自分なりの答えを示そうと口を開いたその瞬間、ぼくの身体は白く眩い閃光によって消し飛ばされた。
……最後の1発として、密かに力を残していたのだろう。
確実に当てられるタイミングをずっと探していて、それが難しかったから、隙を作らせる危険な賭けに出たのだろう。
そして見事、彼は賭けに勝った。
ぼくはそのとき完全に油断していた。
渾身の一撃はしかとぼくに命中した。
……でも偶然というものは、基本的に悪い方向にばかり作用するらしい。
偶然にも、ほんのひとかけらだけ残ってしまった。
20秒前と同じ構図で身体を作り直す。
「……ぼくが殺すのは、多分、ぼくがぼくだからなんだと思う。
本当は理由なんてあって無いようなもので、結局、ぼくはぼくである限り、殺し続けることしか……誰かを傷つけることしか、できない存在なんだと思う」
答えのようなものを改めて伝え直す。
反応は無い。
青年を目だけで見下ろす。
彼は額に手のひらを押し当て、歯を強く食いしばっていた。
「ぁぁぁあああああああ!!」
突然、込み上げるように絶叫し、立ち上がって狂ったようにその得物を振り回す。
「ああ!ああああああ!」
恐ろしく力の込もった斬撃が何度も何度もぼくを斬り裂く。
避けようとせず、傷も治さず、でも決して倒れずに、その攻撃を受け続ける。
得物の切れ味が完全に鈍り、また腕の力を使い果たしてそれを振り上げることすらできなくなったとき、青年は武器を取り落として両手を力なく地面につけた。
「畜生!……私は、どうして……!」
その声は震え、弱々しくうわずっている。
「……なんで、泣いてるの?」
切り傷を修復しながら問いかける。
「悔しいからに決まっているだろう?
皆を守りたいと……もっと強くなりたいと思って、今の今までずっと努力してきたはずなのに……どうして私はこんなに弱いんだ?
不甲斐なくて情けないんだ……自分のやってきたことは何だったんだと思うと……」
「弱い……?君は強いよ?
少なくとも、ぼくなんかよりは」
「何を言っている!?
事実として、私は貴方に負けたんだ!
……貴方は私を殺し、これからも皆を傷つけていくんだろう?
私は何も守れなかった……ただそれだけのことだ」
「確かにそうだけど……でも、勝ったか負けたかは強さとは関係ないよ。
闘い始めたとき、君はもう万全の状態じゃなかっただろ?
たまたま今回はぼくが勝っただけで、君はぼくよりも強い」
「貴方の強さへの考え方はわからないが……だがどの道、私にとっては、守れなければ意味が無い。
この1戦で勝てなかった私の力には何の価値も無いのだよ……守れない強さなら、私には要らない」
「……護りたい人がいるんだね」
「ああ……でも私は守れなかった。
私は私の無力が憎い……」
「……本当にそうなの?」
「……どういうことだ?」
「君は一度はぼくに負けた。
でも君は、こうしてまだ生きてる。
そして、今は使えなくても、ぼくを殺し得る力を持ってる」
「……何が言いたい?」
「逃げろってことだよ。
逃げて、傷を治して、またもう一度ぼくに挑めばいい……今からでも護ればいいってこと」
「そんな……そんなこと、もうできるわけが無いだろう。
この翼と足では、貴方からは逃げられまい」
「……試しもせずにそんなこと言うんだね。
そういうとこは弱いんだ……あのさ、今ここで君が死んだら、一体誰がぼくを殺すの?
君がいなくなったら、誰が君の大切な人を護るの?」
「…………!」
「自分にしかできないことがあるのに、それを早々に放棄するのは、君のような強い人間のするべきことじゃない。
君はまだ生きている。
だったら地べたを這い、情けなく逃げ回ってでもぼくを殺そうとすること……最期の最期までしつこく抵抗を続けることこそが、君が今しなきゃいけないことだよ」
「簡単に言うがな……今私が逃げたら、貴方は私を追いかけて、皆の居場所を特定してしまうだろう。
それでは余計に死者が増えるだけだ」
「増える?何を言っているんだい?
ぼくが殺されない限り、犠牲になる人の数は変わらないよ。
……全員、だ。
ぼくが死ぬか、みんなが死ぬか。
君がぼくを殺せなければ、後は全部時間の問題だ。
だから、もし君が時間稼ぎのつもりで生きているのなら、それは最悪手なんだよ。
勝利を諦め、みんなの死を受け入れるというのなら、今度はできるだけ早くみんなを死なせてあげなきゃいけない。
死の恐怖に怯える時間を伸ばすのは、優しさなんかじゃないからね。
……さあ、諦めるんならとっとと死ね。
護りたいんなら今すぐ逃げな」
「しかし……」
「ぼくはここで丸3日待つ。
丸3日待って、君の向かった方向に歩き出す。
本当にみんなを護りたいのなら、君にもう選択肢は無いはずだよ」
「だが、私は……」
「決めろ。今すぐに」
……ほんの少しの沈黙。
「…………畜生……」
青年の背中がわなわなと震え出す。
「畜生……畜生っ!」
傷だらけの身体に鞭打つように立ち上がる。
「うぅっ!……くっ……ああ!」
足を引きずり、血の軌跡を描きながらぼくに背を向けて進む姿は、決して見栄えのいいものではなかった。
でもぼくはそれを美しいと思った。
1つの信念のために恥も尊厳も捨て、敵に背を向けるその姿こそが、何より美しく尊敬すべきものなのだと思った。
彼ならぼくを殺せるかもしれないと思った。
…………。
……そうだ、勇者だ。
彼の類稀な強さと、併せ持った弱さと、それを含めた強さとを、ぼくはあの両翼の青年に重ねているんだ。
だからこそもっと強くあってほしいと、最期まで誇り高く生きてほしいと思ってしまうんだろう。
……だとしたら、彼を苦しめているぼくはミューデか?
いや、違うな。
ぼくは彼女ほど強くもない。
ぼくはもっともっと弱くて、下劣で、救いようの無い化け物だ。
だったらぼくは何なんだ?
数えきれないほどの命を屠ったぼくは、一体何者なんだ?
ぼくはここで一体何をしてるんだ?
…………。
……もういいや。
ぼくのことなんてどうでもいい。
正義なんて、善悪なんてどうでもいい。
今ごろ第6界では、勇者やフィスや、ぼくの愛する人たちが、つつがなく幸せに生きているんだろう。
あの2人も仲良く暮らして、いずれは子どもなんか作って……。
いいんだ。
ぼくはそれだけでいいんだ。
これでいい。
ぼくはずっとこのままで……。
感情が激しく揺れ動くのを感じて、大きく、深く深呼吸する。
風に舞い、口に入った砂の粒が、ジャリジャリとして気持ち悪い。
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