エピローグ
僕らは神域から無事生還した。夏南汰さんが椿とともに待機している救急車に乗せられていく姿を見る中で、大柄の男が、僕の頭を不意になでてきた。
大柄だと思うのは、その人の手が大きいからで。
そして、ここ何日が、僕の親の代わりになでてくれた人のものだからだ。
「関口、刑事……」
僕のすぐ側まで来てくれたのは、村長によって地上に飛ばされた関口刑事だった。
涙の跡がくっきりと残る僕を見て、強面の顔が歪むのだが、
「……路敏。いっそ、次は俺のところに来るか」
男性の大きな手が僕の頭をさらになでてきた。
「……」
そういえば、田中さんがいなくなったから、僕は天涯孤独の身に戻るのか。
考えていなかったな。
いろいろなことが在りすぎて、考える暇がなかったよ。
「いいのですか。僕、面倒くさい子供ですよ」
心の傷が深いなんてものじゃない。
傷しかないのだ。
その傷を背負ったから、僕はもう普通の子供のように無邪気に笑うことも、愛情を一身に受けたとしても素直に享受することも出来そうにない、生意気なかわいらくないガキになってしまったはずだ。
「バッキャヤロ。ガキがそんなこと気にするな。そもそも子供つうものは、面倒くさいぐらいがちょうどいい。それに俺も、俺の仕事がわかっているガキのほうが助かる」
そう言いながら、僕の頭を乱暴にくしゃくしゃさせながらも、大きなあたたかい手でなでる、関口刑事。なんとなく好ましい。
僕のことを考えてくれる人がいる。
孤独ではないということだけで、こんなにも力がわいてくるものなのか。
「おっと、関口刑事。こいつはうちの遠い親戚だ。今度はうちが預かることにした」
どこからともなく、さえぎる声が聞こえてきた。
声がするほうを振り向いたらそこには、高級感溢れるスーツにブランド品のサングラスや時計をつけた見知らぬ派手な格好の長身の男がいた。だけど、どこかで見たような男だ。
「俺の名は、都甲数冬。椿の養父だ」
……彼は夏南汰さんの実の兄のようだ。
「もともと、俺らのほうが先に名乗りをあげていたのだが、警察が俺らのところじゃ目立っちまうから、田舎のほうの親戚に預けたほうがいいっていうアドバイスにのって、田中家のほうに預けていたわけだ」
親族間でそんな話があったのか。
都甲……えっと、数冬さんのいうことだと。
「で、路敏だったな。お前はこれから夏南汰たちのマンションに引っ越すことになる。今のうちに荷造りしておけ」
◇◇◆◇◇
──数日後。
僕は日の当たるリビングで、モグモグと朝食を食べている。
向かいには夏南汰さん、隣には椿。田中さんが書類上で死んだその日から、新たにできた僕の家族である。最後のほうは頭の処理速度が追いつかなくなって、呆然とするしかなかった僕なのだが、家の主たちは違った。
傷口を縫って退院した夏南汰さんは、子供一人増えたことぐらいなら問題ない、と順応性の高さを見せ付けてくれた。
椿の目が若干怖かったが、すぐにおじさんの笑顔を見て、考えを改めていたな。ケガをしやすいおじさんには、医療知識があり治療できる子が側にいたほうがいいって。
どれだけ夏南汰さんが怪事件に巻き込まれてきたのか。聞いてないけど、なんか恐ろしいものを感じた。
ともかく、僕は世間の狭さに驚きつつも、夏南汰さんのマンションにやっかいになったわけだ。来た当初、窟拓村のような異変と狂気の中、不安定な日常を送ることになる気がしたが、そんなことなかった。
このとおり僕は平穏に暮らしている。温かいスープと彩り豊かなサラダと軽くこげたトーストが当たり前のように並べられたテーブルに着き、若竹さんからもらった梅ジャムをパンにつけ、食べる。
ハムハム。
この甘酸っぱさは癖になるな。それに、これを食べた後、なんか頭がスッキリするし、ケガの治りがやたらによくなっている気がする。
夏南汰さんのケガなんか、貫通したのが信じられなくなるぐらい、傷がきれいにふさがっている。両面にあるわずかな縦の傷跡が、命を懸けて椿を救った勲章だというように残っているぐらいだ。
「この梅ジャムで思い出したけど、夏南汰さん。昨日、若竹さんから原稿が届いていたよ」
原稿といっても、紙媒体ではなく、メールに添付されていたけど。
僕の近状を知っていたらしく、みんなで読んでねと書かれていたから、ファイルを展開させて一部読んだ。
内容には興味があったけど、気がついたのは夜中だったこともあって、途中で挫折。子供が徹夜なんかできるものじゃない。
「そうか。そういえば、今日瑞ぽよたちが来るって言っていたな。朗読会でもするかな」
「え、瑞穂刑事が!」
「関口刑事も来るって。路敏の元気な姿を見に来るつもりだから、用がなかったら今日はここにいてくれないか」
僕は目を輝かせていただろうな。
あの出来事を共有できる頼もしい大人といるのは、精神的に落ち着けるし、何よりうれしい。
「じゃぁ、わたし、食べ終わったらお茶の準備をするわね」
一緒に暮らしだして確信したのだが、おじさんさえ絡まなければ、椿は外面がよく、むしろ普通よりも気が利く、人付き合いのいいタイプだ。
おじさんへの恋愛過激派であるのは変わらないが、客人として尋ねる刑事さんたちをないがしろにはしない。
「あ、僕も手伝うよ」
といっても、まだ慣れない食器棚の中の配列に悪戦苦闘しながらだけどな。
椿とともにお出迎えの準備を整えたころだろうか、時間通り関口刑事と瑞穂刑事が来た。
早速僕らはプリントアウトした若竹さんの原稿を一読している。
タイトルは、緑の眷属。
ジャンルはノンフィクションにするのは荒唐無稽すぎると判断したためか、ホラーサスペンスになっている。
「まったく、あの若竹というやつはどこまで情報を仕入れているのだ」
関口刑事の呟きには同意する。
たしかに、そう思えるぐらい、文章中には窟拓村で起こった怪事件の内容が大幅に補填されている。
たとえば、犯人が葵彩香を殺した真相とその直後。
葵の一族殺害事件当時の彩香は四歳。教授の子供は彩香と間違えられて殺されたのは、手帳で確認できた。しかし、犯人である村長がソレを知ったのはいつだったのか。そんな犯人しかしらない視点の描写が書きこまれている。
村長がそのことに気がついたのは、実は彩香が他家の養子になったときだったという。案外早い時期にわかっていた。
当時、村長が彩ちゃんを表立って殺しに行かなかったのは、意外な第三者に目をつけられ、村や自分のことを感づかれたらまずいと思ったことと、彼女自身は小さいから忘れているだろうと高をくくっていたからだという。
それよりも古記録を解読でき、子供(早紀)を殺してしまった教授の存在のほうを危険視していた。
この二十年間、教授と友好関係だったのは、村の発展のためだけではなく、真相がばれないかと監視するためだったらしい。
だが、村長の思惑に反して、彩ちゃんは神域に入り込み、秘密を知ってしまった。
ちょうどその頃、村長は麻衣さんを殺し正気を失った田中さんを見つけ出し、昏倒させ、神域の本殿に放置していた。そして、帰り際に彩ちゃんとばったり会うことになる。
かつて葵の一族に辛酸をなめさせられた村長は、彩ちゃんを見るなり薄暗い感情をむき出しにし、急遽殺害したのだ。
彩ちゃんのの骨を抜き取らずに殺したのは、殺した場所が神域であったから。緑の眷族は神域での食事を禁じられている。そのため、皮膚を鎌状にして切り殺すことしか出来なかったらしい。
殺してまもなく、神域の入り口である鶴の間に仕掛けた盗聴気が破壊されたのを知ると、時間がないと村長は思い、彩ちゃんの遺体をいったん神域の小部屋に放り込み、鶴の間にある地下室の入り口を隠しに行った。
僕と夏南汰さんが来たときは、神域の中心部に入らないように細工したのが終わったときだった。村長にしては絶妙なタイミングだったわけだ。
そして、あの小部屋で彩ちゃんが見つからなければ、適当な理由をでっち上げて失踪したようにみせるつもりだったらしい。
……聞き出すために村長をかくまっているのかと勘ぐってしまうぐらい、犯人視点が詳細だよ、若竹さん!
「さぁ。でも、路敏君と椿ちゃんの情報は何も書かれていないから、俺としては一安心です」
その代わり、瑞穂刑事と、夏南汰さんをモデルにしたキャラクターの設定が盛られている。
もちろん登場キャラクターは実際のものとは違う名を当てられ、一部の人物は性別すら変えられている。事件を知っている僕らなら判別が出来るが、何も知らない一般人が僕らにたどり着けるかとなると難しい話だ。
この原稿がオカルト系雑誌に載るならまだしも、わざわざご丁寧に創作だと断言しているものが、現実に起きたことだと考える人はいないだろう。
「む~。瑞ぽよとおじさんが恋愛しているようで、ちょっとむかつくの」
おいおい、本の登場人物に嫉妬してどうする、椿。
「実物の人物とのまったく関係ない、フィクションだと注意書きにはちゃんと書かれているから。こういうのは気にしたら負けだよ」
「路敏君のいうとおりよ。確かに私と夏南たんは幼馴染だけど、それ以上の関係はないって」
そうきっぱりと幼馴染に言われるのもなんだかな。
少し哀愁が漂っているような、しょっぱい空間にさせるなよ、瑞穂刑事。
あ、でも椿の機嫌がよくなったからいいかと、僕は思うことにした。
「窟拓村か……いろいろなことがあったな……」
事の発端であり、すべての元凶である悪意ある葵の一族は僕が生まれてくる前に馬渡雅彦に殺され、ほとんど死に絶えた。
だが、残された悪意が一人歩きし、僕らは巻き込まれた。
悲しいことはたくさんあった。
恐い思いも何度もした。
僕があの事件で本当に知ったのは、化け物や神の存在じゃなく、人間の悪意がきっかけで広まった悲しみの連鎖だったのかもしれない。
僕は、僕の精神はつい数か月前の家族に囲まれた何も知らずにいたときより、大きく変わってしまっただろう。
時々、いなくなった、やさしい人たちのことを考え、心が落ち着かなくなってしまうことがある。
正直苦しいし、せつないよ。
だけど、『あの人たち』がどうしていなくなったのかは、ずっと覚えていようと思う。そう『あの人たち』は僕にとっては化け物じゃない……どこにでもいる、普通の、弱くて、どうしようもないくらい悲しい運命に翻弄された人だった……のだ。
少なくても、僕はそう思い続けてみせる。
そして、あのときのことは絶対忘れない。
特に、僕の目の前で、みんなを守るため、身を犠牲にして戦う姿を見せてくれた、かっこいいみんなみたいな……刑事さんたちや夏南汰さんみたいな、強い大人になりたい。
「新生活にも慣れてきたことだし。そろそろ、学校に通って、友達作りを始めようかな……」
これから、僕はたくさん勉強して、いろんな経験をつんで、弱くても、絶対にくじけない人間になろう。
目標はもちろん目の前のこの人たちだ!
家族の死。とくに麗姫のことを受けいれた僕は、今、新しい道を歩き出そうとしている。
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