幕間劇 エピソード2

 窟拓村にはかつて二つに分かれていた。

 二つの派閥があったからだ。

 先代村長がリーダーだった急進派と、葵の一族とそのシンパたちが率いる保守派。

 強硬手段や表だった抗争はなかったが、村全体がギスギスしていた。

 だが、それは、保守派のほとんどはあの二十年前の火災で亡くなったため、自然消滅。

 村も先代村長をリーダーに建て直され、めんだし大祭を行えられるぐらいの村人たちは協力し合えるぐらい心に余裕もできた。

 当初、急進派に疑いの目が向けられたものだが、証拠もなく、むしろあのオカルト的な火災事故は、保守派による自作自演の自業自得なのではないかとされた。

 めんだし大祭という特別な日に『奇跡』を演出し、村人からより強い信望を得ようと、わざと窟拓神社周辺を放火。見た目を派手に被害を最小限にするように火の回りを調整したところまではよかったが、一酸化炭素中毒を計算に入れていなかったため死亡という、お粗末な説だ。

 だが、これが一番現実味があるのも事実。

 もともと過激なパフォーマンスにするつもりだったのだから、窟拓神社周辺の防火設備はほぼ完ぺきだったし、火災発見後の消火活動は思った以上に楽であったのも事実だった。

 ただし、『作られた奇跡』のために行動する予定だった保守派のほとんどが一酸化炭素中毒で死んだ。そのため、本来彼らがするはずだった消火活動もできなくなり、飛び火が死体に付着、炎上。

 死体だけが無残な姿となって発見されたのではないかという説は、あの頃村の内情を知るものにとって、反論できないぐらい説得力がありすぎた。

 それほど、愚かだったのだ。

 葵の一族は現実に見向きもせず、あれはいったい何百……何時代の話なのかというぐらい古びた上に自分たちに都合のいい解釈でまとめた考えを、村人に強要していた。

 あの火事で亡くならなかったら、今度は警察官か自衛隊が来るぐらいの騒動に発展したのではないぐらいの反社会的勢力だったという。

 その辺は葵の一族によってできた負債を解決してから、先代村長が酒の勢いで吐露した話なので本当にそうなのか、までは判明できない。だけど、当時公安の影がちらついていたので、多少脚色しているかもしれないが、大筋本当のことなのかもしれない。

 火災事故が起きた後、警察と税務署がタッグマッチを組んで、村に押し寄せたときは、外部から来た人間である自分でも体が震えたものだ。

 そこで葵の一族によって巧妙に隠されていた、いろいろな問題が浮上した。村の中も一層ギスギスし、廃村までそう時間がかからないのではないかと思われた。

 だが、先代村長はあきらめなかった。解決案を次々と着実に実行していったのだ。

 信仰の対象を失った村人たちの心の支えになったのは言うまでもない。

 とくに、現村長である、馬渡雅彦は先代村長に熱心に付き従い、廃村寸前「限界集落」とまで言われた、窟拓村を再生させたのだ。

 残念ながら先代村長は、めんだし大祭が行われるこの年まで、生きることができず、去年の暮れに亡くなった。

 葬式は、窟拓村らしく、窟拓旅館の鶴の間でしめやかに行われた。

 小柳川民雄ももちろん参列した。

 村の近代化のために尽くし、そして発展させた先代村長の死に顔は穏やかで、やり切った男の……いい顔であった。

 その先代村長の意志を引き継ぐように、馬渡はめんだし大祭を成功させようと……葵の一族に任せていたもの以上のいいものにしようとがんばっていた。

 その熱意に押され、小柳川は窟拓村独自の緑精大神について調べ、史料をまとめ上げた。

 小柳川にとって、これ以上ない仕上がりであった。

 ここに来て新たな史料と……あの怪異を見るまでの話であったが……。

「ふむふむ……」

 今、自分を突き動かしている者はなんだろうか。

 怪物と出会ったことによる恐怖か、学者としての好奇心か、窟拓村への義理や人情……すべてが混ざり混ざっている。

「書体は……前々のものと変わらないもので助かったな」

 同一人物が書いたのかもしれない。

 あの化け物と出会わなければ、かつての葵の一族の何某が悪趣味で書いた架空の話だと決めつけていただろう。

 だが、書箱の中に保管されていたこの恐ろしい内容は間違いなく、真実なのだ。

 もともと緑精大神にまつわる伝承は異質で、怖いたとえが多かったが、これの比ではなかった。

「……伝承には真実が隠されていると言われているが……これは……」

 小柳川も前々から疑問に思っていたことはあった。

 なぜ、緑精大神は葵の一族に『梅』を渡していたのか。

 そして、『梅』という表現が、本当に梅そのものを指していたのか。

 この書には、小柳川の疑問の答えが書きつづられていた。

「小柳川教授……あの、お茶です」

 チャイム音とともに、教授に古文書解読を依頼した刑事の片割れこと古賀瑞穂がやってきた。

 お盆の上には車の中に常備しているのか、村では見かけないメーカーの軽めの甘味と小柳川が頼んでいた渋めのお茶がある。

「あ、刑事さん……ありがとう」

「いえ、こちらが無理を言っているので、少しでもお手伝いできるならと……」

 この時ばかりは普段のドジは鳴りを潜め、夜食セットは無事客室のテーブルに置かれる。

「あと、岸彩香さんのことですが……やはり、ここ近辺では見つかりませんでした。明日の朝、本格的な捜索を開始するので……その時……」

「ああ、頼むよ。刑事さん」

 思い出すのは、鶴の間の地下室。

 そして、化け物が入っていた。いつ入っていたのかというよりも、どこから入ったのが気になる。

 普通に考えれば、鶴の間から、畳をひっぺ替えしたと考えられる。

 だが、本当に入り口は鶴の間だけなのか。

 相変わらず、彩香はどこにいるのか行方知れず。もしかしたら、この窟拓旅館や窟拓神社にはまだ地下へと続く隠し扉があるのかもしれない。もちろん、あの地下室にも抜け道がある可能性がある。

「ふぅ。いいお茶だ」

 だが、小柳川はそれらの探索は無理そうだ。

 徹夜で古文書解読は、予想以上に体力と気力を削っている。

 明日の朝は、確実に眠りにつくだろう。下手をすれば、夕方まで起きれないかもしれない。

 自分は、やはり歳をとったのだろう。

 現に、危機的な状況に対応できなかった。


 そう、数時間前のこと──小柳川は緑色の粘液を絶えず流れ出る、スライムのようなあの緑の化け物と初めて対面した時、時間が止まったかのような大きな衝撃を受けた。

 その言い知れぬ恐怖によって、喉は緊張で乾き、思考はストップ。

 首元まで伸びてきた触手は避けられない。あ、死んだな、とどこか冷静な頭が判断してしまったあの時。

「おやめなさい」

 凛と。

 浴衣を着こなした美女が、緑の化け物に向かって言い放つと、持っていたスタンガンを躊躇なく押し当てる。

 凄まじい閃光がさく裂し、化け物を突き飛ばす。

 最近の女性は一段とたくましくなったようだ。

 そう断言してしまえるぐらい、若竹韻は表情を崩すことなく涼しい顔で化け物にまた近づこうとした。

 だが、それは鶴の間からの援軍と、緑の化け物自身の判断で空振りに終わる。

 後は連絡を受けてやってきた刑事さんに、夏南汰君が持ってきた書箱の中身の現代語訳を申し出た──。


(私にできることは、これぐらいだからね……)

 あの緑の化け物は引き時を見誤らなかった。その姿勢から、知性を感じた。

 知性がある生き物を敵に回すのは危険だ。だからこそ、書箱に入っていたこの書物は解読して、その情報を渡さなければならないと思うのだ。

(もしかしたら、私はこのために窟拓村に来たのかもしれないな……)

 めんだし大祭の成功をこの目にしたかったが、麻衣君が殺され、死体が発見された時点で、中止は確定だ。

 せめて、めんだし大祭を台無しにした犯人をぎゃふんと言わせないと気が済まない。

(……語彙が死んできているな……後、数枚……わかりやすく訳するだけだから……もってくれ……)

 睡眠不足と書物の内容が小柳川の気力を確実に削ってくる。

 だが、彼は朝日が水平線からのぼってくる頃には、翻訳に成功し、関口にその成果を手渡す。

 今はまだ、作業の途中ではあるが、けしてできないことではない。

 小柳川は瑞穂がいれたお茶を飲み干し、翻訳作業に再び着手した。

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