第23話 いざ、地下室へ
いざ、鉄の扉を開くと、人一人が通れる程度の下に続く穴がぽっかりと開いている。
奥は深くてよくわからない。二メートルよりは深いことはわかった。
はしごもかかっている。木製だが、丈夫そうなので、問題なく降りることはできるだろう。
「若竹さん、まず明かりよろしく」
夏南汰さんは旅館の部屋に備え付けられている非常時のための懐中電灯を一つ若竹さんに手渡した。
懐中電灯部屋に二つ以上あったらしく、夏南汰さんの手にも同じ懐中電灯がある。
「あら。手際がいいのね。でも、これを使って大丈夫かしら」
「非常時だから、許してくれるさ」
「それもそうですわね」
非常用懐中電灯を受け取った若竹さんははしごから下を照らし、明かりを確保。
夏南汰さんがまず、地下へと降りていく。
若竹さんが奥を照らすが、特に何かが見当たるわけではなく、底が結構深いのか、床までは見えない。
「よし、路敏君。いいぞ」
夏南汰さんの声が響いてきた。
僕は両手を使って慎重にはしごを降りていくと、岩で囲われた通路らしき場所に降り立った。
無音だ。
じめじめした空気が肌にまとわりつくが、取り立てて身に危険も感じない。ただ、空気がよどんでいるだけだ。
通路は奥に続いている。何かが動いたような気配はない。奥は小部屋のように広がっているようだ。
「じゃぁ、進もうか」
懐中電灯を照らして進むこと数分、岩屋のような小部屋に到着した。
大体、五メートル四方で、部屋の中央に書箱がある。木製で古いが、漆塗りのきれいな箱だ。
「う~ん。路敏君。これもっていけるかい?」
「あ、はい」
僕は夏南汰さんの言われるままに、持ってみる。
思った以上に軽く、片手でもてた。これなら、はしごも難なく上れそうだ。
「路敏君は先に部屋に帰ってくれないかな……あ、ごめん、無理っぽいな」
夏南汰さんは何かに気がついていたらしく、いきなり、モデルガンを僕のすぐ側で発砲した。
バン!
銃弾は弾け、何かが飛び散る。
岩ではない。
この岩部屋にあるには、不自然な粘着質のあるモノ。懐中電灯の明かりによって、かろうじて緑色の粘液だとわかる。
「何だ、これ……」
こんなものが僕めがけて勢いよく飛び込んできたことは確かだろう。攻撃されたと判断したころには、得体の知れない緑色のヌルヌルは焼け焦げたにおいを発し、干からび、煙のごとく消滅していった。
この世のものとは思えない存在に、僕は戦慄を覚えた。
「麻衣さんの遺体のすぐそばにいた謎の生き物、としか俺にもわからないな。そうだろ。わざわざ千早を奪い取った、殺人者が!」
ボウ。
燭台から炎が上がった。
詳しく調べていなかったからわからなかったが、この岩部屋の四隅に燭台が置かれていたのだ。古そうな蝋燭がそれぞれに刺さり、火が灯されている。
殺人者がつけたものなのか。それともこの部屋にはこういうギミックが仕込まれていたのか。
わからないが、これで、岩部屋に隠れていた殺人者の正体がわかる。
「……、……」
そいつは無言だった。
ところどころに血がついた葵の花が描かれた千早をまとった、緑色のゲル状の生き物は何もしゃべらず、不気味にたたずんでいる。
「う……」
僕はスライムとゾンビの中間体というべきおぞましい存在を目のあたりにして、思わず後ずさりする。
赤染様のところで見たゾンビよりは、見た感じは悪くない。
しかし、血管のようなものがドクドクと波立ち、ダラダラと絶えず緑色の粘液を振り回す人型の化け物を許容できるかといえば、違う。
それに、顔のパーツ配置がでたらめで、左右の目は大きく上下に位置し、鼻は異様に大きくとがり、口は右端にあるという、ピカソで有名なキュビスムの人物画のようになっている。
正直、革新的過ぎて怖い。
「……、……!」
こいつは僕らに襲い掛かってきた。説得も通じない、血に飢えた殺戮者としか思えない。
それに、このまがまがしい感覚に覚えがある。
どこかで見た存在だ。今、はっきりと思い出せないのは……ここで倒れるわけにはいかないという自己防衛が働いているような気がする。
「思ったより、すばやいな」
夏南汰さんは迷わず、懐中電灯を捨て、銃口を向けると、今度は両手で握り締めて、撃った。
先ほどの銃弾と比べ鋭く重い音がする。
こめた魔力が違うのか、威力が段違いなのだろう。弾丸は緑の化け物の骨盤を貫き、撃ち砕いた。人だったら、物理的に動けなくなる場所だ。
「……! っつ……!」
緑の化け物は声を出していなかったが、あからさまに焦っていた。
想定外のダメージ。
今まで傷つくことがなかったのだろうか。たしかにこの化け物なら、ただの人間相手なら遅れをとることはなかっただろう。
だが、夏南汰さんは違う。数々の怪事件にかかわり、解決し、普段はモデルガン、幻想の世界では強力な銃になるという不思議なものを所持するぐらい、数々の修羅場を潜り抜けた男だ。
並の人間と思ってはいけなかったのだ。
頭ではなく、骨盤を狙い撃ったところからしても、相当腕に自信がある。
緑の化け物は動こうとしたのだろう。だが、骨盤部分を失ったためか、転げ落ちた。やはり見ため通り、ある程度人と同じ構造のようだ。
「障害物はとりあえず排除しないとね。さようなら」
破裂音。
だが、今度は岩が炸裂した音だった。
「……ちっ、逃げるか。やはり、お前はここのルールを知っていたのか」
緑の化け物は避けた。
いや、避けたというべきなのか?
葵の花が描かれている千早を脱ぎ捨て、一瞬で体を消したのだ。幻覚や超スピードの類ではない。なにかもっと恐ろしく理不尽なものを見せ付けられた気がしてならない。
「若竹さん、そっちにいく!」
出入り口まで結構距離はあるはずなのに……まさか空間超越なのか。葵の花か葵の花を模したものを身につけておかなければ神域に入れないという縛りは、脱げば、一瞬で神域から出されるというのにつながるのか。
それにいち早く気がついた夏南汰さんが、若竹さんに聞こえるように叫んだ数秒後、何かが破壊された音が聞こえ、地下道を震動させた。
「路敏、黙って俺に背負われろ」
夏南汰さんは書箱を持つ僕ごと、背に置いた。
「はい」
僕はあいている腕と脚をうまく使い、必死になって、その背中にしがみついた。
気分は小猿とか、コアラとか、とりあえず親に抱っこされる生き物の赤ちゃんだ。
「若竹さん、無事か」
結果からいうと、はしごは壊されていなかった。
鉄の扉も閉まっていなかったこともあり、部屋の照明が入っていた。薄暗かったが、夏南汰さんは難なく上り、鶴の間にすぐ到着することができた。
だが、そこは椿ちゃん寝息しか、聞こえなかった。
「あ、あっち」
驚くべきことに、ドアが派手に壊されていた。
その粉砕されたドアの向こう……廊下には少し焦燥した若竹さんの姿が見えた。
「ええ。私は無事ですが……その……取り逃がしてしまいました」
緑の化け物はなりふり構わずまっすぐ逃げることを選択したらしい。
銃撃のダメージがでかかったのか、若竹さんに恐れたのか。それについてはなぞだ。
「か、夏南汰君、無事か! あ……っ」
小柳川教授が間髪いれずに声を荒げる。
どうやら、まだ彩ちゃんを探していたらしく、鶴の間付近でうろうろしていたらしい。
若竹さんのすぐ側にいるところから、かばわれていたようだ。
「えっと……俺たちは無事です……」
「扉が壊れ、緑の化け物が飛び出し、ソレを追うようにこの女性が出て来てくるなんて……。というか、アレはいったいなんだったのだ! そして、この状況は! しかも、畳の下になにがあったのだ!」
知りたいことがいっぱいあって困っちゃうお年頃並みの質問数。
小柳川教授の視点だけでも、こんなになぞがいっぱいだ。
「えっと、それは……俺も知りたいところです」
僕もそう思った。
夏南汰さんとは本当に気が合うよ。
僕たちは確かに小柳川教授の質問にある程度答えられるぐらいの情報はあるけど、あまりの惨状に頭が追いつかなくて、答える気力がない。
まるで、頭と口がフリーズしているようだ。
「とりあえず、みなさん。フロントに電話して事態の収拾に取り掛かるしかありませんわね」
そうだよね、若竹さん。いったん物事を整理しないと前に進めないよね。
僕らにはこの後、刑事さんたちの事情聴取が待っているわけなのだが……事情をすべて伝え、心の整理がつくころには、夜は明けていた。
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