第30話 死体は語らずとも

 その扉は洞窟の側面にすえつけられている。

 一応、聞き耳を立てて、慎重にゆっくりと周りの気配を探る。

 何もなく、静かなことを確認すると、瑞穂刑事は扉を開けた。中は横穴を利用して作られた、十畳ほどの広さを持つ小さな個室だった。

「さぁって、何があるかな」

 個室の中は物置のようになっていた。

 木箱が積んであったり、雑多なものがそのまま置かれていたりと、散乱している。

「これだけあれば、ロープもありそうだね」

「そうね」

 僕と瑞穂刑事は部屋を探索する。

 すると、部屋の奥にある棚の下段に、不自然に布で覆い隠してあるものを見つける。

 そして布の下のほうは、赤黒い。

「瑞穂刑事、これってまさか……」

 いやな予感しかしない。

「路敏君、あなたは近づいてはダメ。あと、後ろを向いて……」

 瑞穂刑事はそれが何か感づき、目をそらすように告げる。

 だが、瑞穂刑事はドジっこである。

 僕が背を向ける前に、たまたま地面においてあった何かにつまずき、勢いあまって、布をめくってしまった。

「あ……」

 そこには旅館の従業員が顔を伏せ、丸まっていた。年齢と性別から彩ちゃんだろうか。

 見てしまった限りは応急手当をするなり、最善を尽くさないと、と僕はとにかく様子を確認しようとして気づいてしまう。

 触れた彩ちゃんの体は冷たく、白い肌にはすでに生気を感じられない。閉じた瞳が開くことは、もう二度とないだろう。

「やはり、手遅れか」

 彩ちゃんがいた周辺、床や壁、付近においてあったものが赤黒くなっていたのだ。

 大量に出血した後だと簡単に予想できていた。

 でも、死体だと判明しない限り、無意識のうちに生きていると期待してしまうものだ。

 それはたとえ、太ももやお腹なども刺したあとがあっても。特にお腹の刺し傷は結構深くて、内臓が損傷しているかもしれなくても。

 期待して、そして絶望して。

 でも、今は嘆かない。死体は情報源だ。亡くなった人の無念を晴らすため、事件解決の糸口を見つけなければならない。

「直接の死因は出血性ショック死だろうな……」

 女性の体は傷口以外きれいで、腐敗した様子はなく、死後硬直もしていないようだ。

「……ごめんね」

 僕に対してなのか、殺されてしまった女性に対してなのか。

 家族をあんな形で亡くしてしまったからなのか、原形をとどめている死体に関しては怖いという感覚が薄い。

「あ、路敏君はそんなに見ちゃだめ」

 起き上がった瑞穂刑事は、慌てて、再び白い布をかけようとしたのだが、僕は彩ちゃんが居た奥の壁に、たぶんペンで書いたのであろう文字に気がついてしまう。

「……壁に何か書いてある。瑞穂刑事、まだ被せないでくれ」

 僕の冷静な判断と言動に、瑞穂刑事はなんともいえない表情を浮かべつつ、壁の文字を読みやすくするために、後ろに一歩下がった。

『ごめんなさい。私たち、あおいの一族のせいでみどりのけんぞくが……』

 最後の力を振り絞って書いたものなのか、ところどころ字が雑になっていたため、読み取れた部分はここまでだった。

「え……。なんで、この人、緑の眷属のことを知っているの……」

 瑞穂刑事が驚く。

 僕だってそうだ。緑の眷属なんて名称、昨日の地下室にあった本でやっと知ることができた化け物だぞ。昨日から姿を消している彩ちゃんが知っているわけがないはずなのだ。

「いったい……なんで……」

 僕たちは注意深く死体の近くを調べると、血に塗られた手帳を見つけた。

 読めないページもあるが、手帳はなぞを解く大きなヒントを与えてくれるだろう。

「あれ?」

 手帳には葵彩香という名前が書かれていた。

 作業員のネームプレートのある岸彩香とは苗字が違う。

 それは、なぜか。

 僕の頭の中でカチリと音がする。

「まさか、彩さんは……二十年前の葵の一族が亡くなった大火事の生き残りなのか」

「そんな。あの大火事で発見された遺体の数はあっていたというのに……」

 もしかして、彩ちゃん……僕みたいに赤染様のゲームに打ち勝ってよみがえったのか?

「って、刑事さんたちは、大火事の捜査資料を読みこんでいたのかよ」

「正直言うと、路敏君たち一家とは関係ないと思っていたのだけど。関口刑事が、『悪いことはいわねぇ。幻想怪奇殺人事件は真正面から見るだけじゃ解けねぇことが多い。複雑怪奇だからといっちゃあそれまでだが、無関係だと思っていた過去の事件の絡んでくることはよくあることだからな。解決するまで頭に叩き込んでおけ』って……」

 関口刑事の長年の経験と勘はあっていたというべきなのだろうな……。

「岸さん……いえ、葵彩香は二十年前の葵の一族とそのシンパが亡くなった不可解な火事を引き起こした犯人は、緑の眷属であるのを知っていた……」

「そして彩ちゃんは口封じで、殺されたのか」

 彩ちゃんは僕と同じく、緑の眷属に家族を骨を抜き取られて殺された。骨をない体を燃やし、わざわざ人体自然発火現象に見せかけた理由はわからないが、それは緑の眷属しか知らないことだろう。

「彩ちゃん……」

 彩ちゃんは仇を取るため、村のことを調べ、犯人に近づけたのはいいが、この様子だと返り討ちにあったようだ。

 一人だけで突き進んだ結果がこれか。もしかしたら僕もたどったかもしれない末路だと思うと、頭の中に氷の柱を埋め込まれてしまったような冷たさを感じた。

「それだけじゃないかもしれないわ。従業員が持っているというマスターキーが見当たらないし」

 緑の眷属は旅館に入り込むために盗んだのか。

「もしかして、一人じゃないのか……田中さん以外にもいるってことなのか」

 田中さんの歳から考えて二十年前の事件を引き起こすにしては、おかしな話だしな。

「そうよ。田中以外にも緑の眷属はいるわ」

 不意に切り裂かれた死体であるはずの彩ちゃんの口が動き出した。

「彩ちゃん!」

 死者がしゃべりだすおぞましい光景に僕は目を見開く。

「いえ、路敏君違うわ。信じられないでしょうが、これはもう彩ちゃん……葵彩香ではないわ。そうでしょ、赤染」

「フフフ、そうね。変に期待を持たせたら悪いから言うけど、これは死体。わたし様はあなたの間違った関係のない推論で真実をゆがめられたくないという願いに反応して、彼女の死体に憑依したわけなの」

 目を閉じたままの血まみれの死体だというのに、神々しい光を放っていた。

「赤染、様って、まさか、あの……」

「ええ、わたし様こそが生と死の狭間の守り神。死にきれない人間たちによみがえさせる機会を与え、選定する役目を持つ、偉大なる神、なのよ」

 たしかに死者をよみがえらせる力はすごいとしか言いようがないな。

「ただの邪神じゃない」

「まぁ。瑞穂さんは相変わらず口が悪いのね。でも、いいわ。あなたを無礼討ちにしたら、わたし様の愛しいあの人が嘆くもの。そんなの想像するだけで身震いするわ。あの人の涙も心もわたし様のものなのよ。取るに足りない人間ごときに与えられるものでなくてよ」

 瑞穂刑事と赤染様は知り合いなのか。

 神とコネがあるのは幻想怪奇の世界でも、驚くべきことだよな。僕としては赤染様がヤンデレ気味だということのほうがインパクト高いけど。椿といい、恋をするとヤンデレになるのか。

「それよりも、赤染。それはどういうこと。緑の眷属は田中さん以外にもいるってこと……」

「ええ。そうよ、瑞穂。この村ではわざと緑の眷属を作っていたみたいだけど。人よりもはるかに優れた緑の眷属を欲するのはわからないでもないわ」

 緑の眷属はかつて貴重な労働力だったらしいからな。

「でも、人がチンパンジーの言うことを聞くわけないのと同じく、緑の眷族が人の言うことをいつまでも聞くわけないでしょう。結局扱いに困って、めんだし大祭のときやってくる緑精大神に返すことが多かったみたいね」

 クスクスとあざ笑う顔には侮蔑が浮かんでいる。

「それに瑞穂、あなたも気が付いているでしょう。葵の一族は懲りずに、禁忌を破ってまた緑の眷属を作り出したってこと。結果は知ってのとおり……一族皆殺しってところよ。よほど恨みが深かったのかしら。壊して、燃やして……人間に無関心なのが一般的だという緑の眷属らしからぬ衝動だったわ」

 通常緑の眷属は覚醒と同時に人間に対する関心が薄れるものなのか。赤染様視点の話なので、人間の考えとは多少異なっているだろうが、二十年前と彩ちゃんを殺した緑の眷属は特殊だったというのは間違いないだろう。

「それもそうね。今の感覚なら、人として生まれるはずだった存在を、わざわざ化け物にしたことになるわよね。人間の浅はかな欲望のために、人生を失った。覚醒直後は怒り心頭になるわ」

 赤染様はわかりきったことをなぜ試したのかと、あきれるようなそぶりを見せる。

 だが、その唇に酷薄な笑みが浮かばせていた。

「詳しくは、手帳を見て頂戴。それに、葵彩香の過去や懺悔が記されているから。でも、誰が緑の眷属に関しては破かれているからないわよ。悔しいでしょうね。だからこそ、魔術に長けていた彩香はメッセンジャーにわたし様を呼んだわけ」

 赤染様はニンマリと微笑んだ。明らかにこの混沌とした状況を楽しんでいる。

「とりあえず、葵彩香の人選、もとい神選が悪いというのはわかったわ。この愉快犯が」

「フフフ。瑞穂、おぼれるものは藁をもつかむということよ。さあ、人間。わたし様を楽しませて頂戴。そして、隠された真実に驚愕しなさい」

 憑依した赤染様がそう言い終えると、光が消え、糸が切れたマリオネットみたいに彩ちゃんの死体は元の動かない骸へと戻った。

 死体が神とはいえ、操られていたという事実に僕は改めて戦慄を覚えた。

「手帳……これを読めば事件の背景がわかるかもしれないわね。でも、その前に、関口刑事と夏南たんを落とし穴から引き上げないと」

 この個室に来たのはロープを探すためだ。

 手帳のことと彩ちゃんの出自についてはいったん置いといて、僕のリュックの中に入れて持っていこう。

 彩ちゃんの死体に布をかけたら、ロープの捜索再開。

 程なくして当初の目的のものを見つけると、僕と瑞穂刑事は救出へともと来た道へと戻ったのだった。

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