第16話 窟拓神社の巫女の舞踊

「ふわ……」

 二十年に一度行われる大祭だからか、僕が思っていた以上に小さな村にしては厳格で、華美なものだった。

 拝殿前の敷地いっぱいに大きな円陣を作った老若男女が、緑色の半被を羽織って、手に手に鈴や小さな太鼓を持って、数人の先導者に合わせて独特のリズムを刻んでいる。

 演奏を奏でる村人の中に田中さんの姿が見えた。隣には馬渡村長。笛や太鼓の音色が境内全体を震わせる。

 見物に集まった観光客たちも含めて、全員の目の前で、額に前天冠をつけ、垂髪のかつらを着用した麻衣さんは練り歩く。

 普段とまったく違う髪型に、神妙な顔つき。

 まるで別人だ。

 僕では前もって言われていなかったら、気がつかないレベルだ。

 麻衣さんは一般的な白衣と緋袴の巫女装束に包まれ、その上に千早と呼ばれる儀式用の衣装を着ていた。

 千早は大きな袖を持つ無地の白絹で、青摺(あおずり)には緑精大神のシンボルであり、もっとも愛されているという葵の花が描かれている。

 緑精大神を迎え入れるのにふさわしい格好をした麻衣さんは、舞台中央に来ると、音に乗るように独特の祝詞が声高に唱えられ、両手に持つ神楽鈴がシャランと鳴らせると同時に、神楽の舞を披露しはじめた。

 右回り左回りと順逆双方に交互に回りながら、踊りと曲にあわせシャン、シャンと鳴る神楽鈴。時間がたつにつれ、次第に激しくなる旋回運動と鈴の音。よく目を回さないものだと感心するぐらい、クルクルと勢いよく巫女は回り続ける。その姿はまるで波間に泳ぐあでやかな水鳥のようで、何年も踊り続けている舞踊は優雅にして幽玄だった。人ごみもあってそれなりに騒がしかった観客たちも完全に静まり、引き込まれている。

 僕もそんな人々と同じく、麻衣さんの舞に意識を持っていかれた。

 神がかりの舞踊に理屈はいらないのか。心の奥から、原始的な何かに響くものを見られたという感動からか、僕の目から無意識に一筋の涙がこぼれた。

「あ……」

 ……いつ終わったのか。

 歓呼の声が響き、拝殿に入る麻衣さんの背中を見るまで終幕に気がつかなかった。

 それほど僕は麻衣さんの神楽に魅入っていた。

「きれいだったね」

 夏南汰さんが声をかけてくる。

「うん……きれいだった」

 僕は流れた涙をぬぐい、夏南汰さんの手に引かれながら、境内から遠ざかる。

 名残を惜しむ鳴り物の音がかすかに聞こえてくるような場所まで来ると、足を止める。

 目の前には座り込むには最適な石段。

 立ちっぱなしだった足を休ませるにはちょうどよかった。

 先ほどの道のりで買ったラムネのふたを開ける。口に含むとシュワシュワの泡と甘味がのどを程よく刺激し、火照った体を休ませてくれる。

 興奮がある程度収まってきたら、暗くなる前に刑事さんが待っている家に帰るか。

「今日はとても楽しかった。ありがとう、夏南汰さん。それに、椿」

 僕、うまく笑えたかな。

 楽しかったのは、本当のことだ。

 気配り上手じゃない僕は普段でも笑うのに慣れていないのだが、ここ最近は……家族が死んでからは表情筋がさらにこわばったからな。

 感情に反映されているような表情を、ちゃんと作れているかちょっと不安だ。

「ああ、こちらこそ」

 夏南汰さんが微笑み返してくれる。

 どうやら、僕の表情はそれらしいものになったらしい。

 よかった。

 僕、笑えたのか。

「ねぇ、路敏。帰る前にどうしても教えてもらいたいことがあるの」

 しかし、椿の表情は緊迫感に彩られている。

 怒りか、憎しみか、何をそんなに我慢しているのか。

 親の敵のように睨まれている。

 僕、椿に対して不快にさせるようなことしたか?

「トイレ、どこにあるか知らない?」

 生理現象かよ!

 せき止められている膀胱。その強烈なストレスに押しつぶされそうだからか、顔がすごいことになっているよ。

 ……気持ちはわかるけどね。

「あ……それなら」

 大好きなおじさんの前で粗相はしたくないよな。

 僕のナビゲートにも緊張が走る。

 椿の様子からして、失敗は許されない。そして、行列ができているような場所はダメだ。限界突破してしまう。

 爆発的事象という言葉じゃごまかしきれない、堤防の決壊。

 ここから近くて、利用されにくいところで、できるだけきれいなところを、僕はひらめかなければならない。

「よし、あそこだ」

 毎朝神社近くでランニングしているのは伊達じゃない。

 人気が少ない場所は熟知している。そして、下駄でも楽に通れる道も知っている。

 にぎやかな表通りとは逆方向。

 拝殿が最終目的地なら、まず通らないような小道。

 摂社としてよく見かける稲荷社(通販式)を右に回れば、白いコンクリートの建物。

 トイレである。

「助かったわ」

 待ち時間なしの快速エデン。

 椿が即座に女子トイレに行ったのを見送ると、僕と夏南汰さんも男子トイレに向かった。

 トイレって、意識すると行きたくなるものだ。

 それにここは田舎には珍しく、洋式、水洗、トイレットペーパーも常備しているから、旅行者にも人気があると思われるトイレスポットである。

 おおげさだって?

 田舎の中じゃ、まだ和式しかない。しかもどっぽん。初心者には大変厳しいトイレスポットしかないところもたくさんあるのだ。

 さらにトイレがあるだけマシという場合があるので、田舎に出かけるときは大草原の下で野グソをする覚悟か、携帯トイレをもっていたほうがいい。

 そして、思うことがある。

 すぐ近くにトイレがあるって、すばらしいことなのだと。

 村に来て、僕は体感しました。

 ……と、田舎のトイレ事情について考え込んでしまったが、女子のトイレは長いから、用をたしながら、これぐらいのトリップがちょうどいいはずだ。

 蛇口をひねり、水で手を荒い、ハンカチで拭く。

 そんな当たり前のことを、当たり前にしていたときだった。




 ……殺人事件が、起きる……。

 眠っていた幻想怪奇が、ついにその凶悪な刃をむき出した。

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