第19話 幻想怪奇はいったん遠ざかる

「入るぞ、夏南汰。路敏は……起きたようだな」

 ふすまを開き、関口刑事が入ってきた。

 その顔はどこかくたびれており、関係者一同の事情聴取をし終えてきたようだ。

「確認のために聞くが……大丈夫か」

 僕の家族が死んだ光景によく似ている死体。

 そのことに感づいているようで、強面の顔にいつもよりも心配しているという文字が書かれている。

「大丈夫だよ。関口刑事。僕、大丈夫だから」

 だから、よく聞いてほしい。

 でも、のどがまだ震えている。ダメだな。まだ僕、動揺しているのか。

 アワワとなっている僕の手に夏南汰さんの手がそっとふれる。

 あたたかい。

 やさしくて大きな手。

 僕は夏南汰さんの意図を読んで、ぎゅっと握った。

 勇気をくれてありがとう。

「僕の両親が殺されたときと同じだったよ。吊るされていた。関口刑事なら検死でわかっているだろうけど、あえて言うよ。殺人者は、殺す前に両手を切り、骨を抜き、心臓をぶち抜くような形で吊るす。麻衣さんのあの死に方は、僕の家族の殺され方と似ていたよ」

 特異的な殺害。

 だけど、まったく一緒だと言い切れなかったのは、何かひっかかるものがあるから。どうしてひっかかるのか。思い出せない記憶の中に答えがありそうだけど、出せない。しかも頭が真っ白に、体が小刻みに震えだす。

 あれ、僕、何を恐れている。

 全部言うつもりなのに、何でこんなに寒いのだろ。

 首や四肢を切り、はらわたを巻き散らかすのは、死後だって知っているだろ。

 そういえば、生き返って病室にいたとき、死ぬ前もあれだけいたぶっておいて、死んだ後もまだ足りないといわんばかりに舐るように肉体を解体する行為の全容を聞かされた僕は、殺人者のその異常な残虐性に気づかされた時、強烈な吐き気に襲われたような……。

「……もういい。もう言うんじゃねぇ、路敏。もう、十分お前の伝えたいことは俺にはわかっているから」

「関口刑事……」

「確認は終わった。だから、お前がこれ以上傷つく必要なんかねぇんだ」

「あ、そっか。だから、こんなに震えているのか……」

「路敏!」

 関口刑事が夏南汰さん諸共僕に抱きついてきた。

「関口刑事、感極まるのはわかるけど、急すぎます!」

「うわっ!」

 夏南汰さんが衝撃を和らげてくれたので、痛みはなかった。

 僕はさらなるあたたかさに、体の震えが治まっていくのを感じる。

 ここには狂った殺害者はいない。ちょっと不器用だけどやさしい大人たちに囲まれた安全な場所だ。

 安心していいのだ。

「夏南たん、路敏君は起きているの?」

 瑞穂刑事だ。

 ただ、どこかで転んだのか、髪は若干乱れ、膝小僧に絆創膏が貼られている。

 どんなドジをしたらそうなったのか。

「瑞ぽよそのケガ……」

「ちょっと質の悪い突風にあおられて……転んだだけよ」

 瑞穂刑事はばつの悪そうな顔をする。

 どうやら今回はドジではなく、筆舌につくしがたい不幸があったようだ。

「それは大変だったのですね、瑞穂刑事」

 ケガをするぐらいだからね。

「こんな傷ぐらいならすぐに治るわ、路敏君。いつものことだし」

 いつものことなのかよ!

 そんな顔見知りの大人たちの会話で空気が和んでいた時だろうか、

「……」

 不意に視線を感じる。

 関口刑事が開けたふすまの先から。

 ホラーによくある、人じゃないものがありえない方向で獲物を見るような類か?

 いや、どちらかというと嫉妬に狂った女の視線に近いような……。

「椿?」

 日本人形のような容姿の少女が歯軋りしている。

 その顔に余裕はない。尿意を我慢していたときと比べようがないぐらい凶悪に歪んでいる。

「あ、椿ちゃん……」

 夏南汰さんも熱い視線に気がついたのか、椿のほうをむく。

 位置関係的に死角だったよな。

 それでも気づかせるというのは、椿の執念がすさまじいものだからか。

 普通の人間ではできないことだぞ。

「おじさん、おじさん、おじさん、おじさん、おじさん……」

 深刻なおじさん欠乏症にかかっていた椿は、僕や関口刑事、瑞穂刑事という他人の目があるのもかまわず、夏南汰さんに向かってダイブ。

 背中に抱きつくと、スーハースーハーと荒い息を立てながら、おじさんのぬくもりと体臭をすごい勢いで取り込んでいる。

 ……ある意味ホラーだった。

「甘えたがりだな、椿ちゃん」

 そしてこの対応である。

 おおらかなんて言葉じゃ言い表せられない、もっと何か恐ろしいものの片鱗を味わった。

「おじさん。おじさん~」

「うんうん。椿ちゃん。おじさんはここだよ」

 ……夏南汰さんの純粋な心遣いが尊すぎる。

「そ、そういえば、田中さんは?」

 椿の異常性については当事者同士に丸投げ……ゲフン、ゲフン、任せるとして。

 まったく姿が見えない田中さんに気がついた僕は、急に気になりだした。

 僕よりも親しい間柄で幼馴染の麻衣さんをあんな形で亡くしたのだ。田中さんの精神が心配だ。

「田中なら酔いつぶれて寝ている」

 麻衣さんの死が公になるより先に、大宴会があったらしい。

 ある意味……幸せか。

「で、これからだが。路敏、この夏南汰の泊まっている旅館に行って来い」

 なんでまたと僕が尋ねる前に、関口刑事がさらに言葉を続ける。

「酔いつぶれた田中は馬渡村長が引き取っていた。俺たちもこれから仕事だ。殺人者がうろうろしているかもしれない村に、子ども一人にするのは危険と判断し、夏南汰に預けることにしたわけだ。不満はあるだろうが、温泉宿にタダと泊まれると思って、そこらへんは腹をくくれ」

 納得はできた。

 だが、いくつか問題はある。

「……替えの下着とかどうする気だよ」

「ガキのくせにこういう細かいところを気にしているな。大丈夫だ。経費で落としてやるから」

 金の問題はこれでなくなったが……。

「そういうわけで、夏南汰、領収書を取っておけよ」

 関口刑事と夏南汰さんが顔なじみだとはなんとなく感じてはいるのだが、どういう関係だよ。

 警察関係者じゃないことは確かだろうけど。

 刑事さんたちからすると、夏南汰さんが安全牌なのだろうな。昼に会ったときも、夏南汰の側は安全だからな。絶対離れるなよって言っていたし。

 田中さんが酔いつぶれているなら、僕としても刑事さんたちの推薦する人物に寄り添ったほうがいいだろう。

「どんな事件で知り合ったのかといえば……」

「その辺の詳しい話は宿にいってからにしろ、夏南汰。いつまでも事件現場近くにうろちょろされると迷惑だ。ほら、シッシ」

 扱いが雑だが、たしかに事件現場の近くにいつまでも一般人がいるほうがおかしいな。

 目撃者情報を伝えたら、さっさと席をはずすべきだろう。

 夏南汰さんは右手に椿、左手に僕を連れて、窟拓旅館へとまっすぐ帰ったのだった。

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